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弥兵衛は不動寺で朝の務めが終わると、五条の番所へ吾平を訪ねた。ところが吾平が出ており、代わりの者が応対してくれた。
「今日も捨て子がおまして、吾平はんは駈けずり回っておられやす」
「捨て子ですか」
「そうどす。火事のお蔭かどうか、よう判らしまへんが、この所捨て子が多おまして大変どす。おまけに、捨て子をもろたるとゆうお人もおまして、それが養うための一時金を狙っとることがおますんや」
「そんな不埒な人がいるのですか」
「へい。そこで吾平はんは、そんな人の調べもせなあかんので大忙しどすな」
「それは大層なお役目で、そういうことなら出直します」
弥兵衛は、人の煩悩が切羽詰まるとあらぬ方向に向かってしまうのかと、悩ましい思いを持って番所から出た。
町触れ
・戌十一月
一、捨子いたし候事御制禁之旨度々相触候へ共、近年別而捨子数多有
之、・・・
一、里子ニ遣シ候者も有之、右里子申請候者ハ、金銀等を相添貰ひなか
ら、追而其子を捨候類茂可有之哉、此段難斗候、実父母より心を付候
而、若其子の行方不知様之事も相聞候・・・
・戌十一月
一、洛中洛外辻々夜番、・・・、捨子いたし候もの見付召捕候様ニ入念可
申付候、
弥兵衛は、五条の麩屋町通りを北へ歩き不動寺のある松原通り近くまで来た時、向こうから吾平が下を向いてぶつくさと言いながらやって来た。
「吾平さん、どうされましたか」
「おっ、弥兵衛はん。ここは不動寺かいな」
周りを見た吾平が、漸く気付いていた。
「そんなに下を向いて歩いていたら、何かにぶつかります」
「そう、その通りにおます。そやけど、あんな侍、聞いたことおまへん」
「侍が、どうかしましたか」
吾平が周りの人の気配を気にしたので、不動寺の境内にある床几に誘った。
「弥兵衛はんやからゆいますけど、町中でおました二歳ほどの男の捨て子を養うとゆうて若い侍が連れて行こうとしますんや。町内のもんは、これは手間が省けると思たんどっしゃろ。これ幸いと二両ほどを包んで渡そうとしましたんやが、おかしいと思おて、わいは止めましたんや」
「それは、余程子供が好きなら別ですが、若い侍がすることでは無いと思います。しかも二歳となれば、女手が無ければ無理です」
「そうどっしゃろ。ところが、我等には孤児を預かる寺を持っておるので、安心されたいとゆうて、大徳寺の北の辺りにある寺の名を挙げよりましたんや。そこで、紙に包んだ金をひったくるようにし、子供を抱えて帰って行きよりました」
「ほう、そんな良識のある寺なら、一度見てみたいものです」
「そやけど、この辺は五十嵐家の方内どして、書付でも用意していかなあきまへん。それで、明日にでも行こうかと考えとりやす」
「判りました。私もご一緒します。ところで、私は先程、吾平さんを訪ねて番所へ参りました」
「それはすまんことどした。何かご用でもおましたか」
「はい。用とゆうのは、朝倉藩の侍のことです。近頃、この辺りをうろつくようになりました」
「あー、夏の夕涼みで娘を連れ去ろうとした奴どすな」
「そうです。特に、これと言って何かをする様子でなく、私を監視しているように通り過ぎるのです。私が後を付ける訳にもいかず、侍たちがどのようにしているかを知りたいのです」
「判りやした。わいの仲間で朝倉藩の藩邸の近くに住み、信頼出来る者がおります。ただ、調べるのにちょっとばかし入用になることがおます」
弥兵衛は、直ぐに社務所に行き一分銀十枚を持って来て、吾平に渡した。
「えー、こんなに」
「余ることになれば、何かの足しにして下さい」
「この者なら、数日の内に調べますやろ」
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