闇の剣士 剣弥兵衛 悪霊の兆し(四) 

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 この日の昼過ぎに、吾平に言われたと若い男が不動寺にやって来た。名を平助と名乗り、弥兵衛より三歳上で二十歳を越したばかりである。年下の弥兵衛に対しても律儀な物言いをし、吾平の言った通り信頼が出来、仕事もする男である。それは、ここに来るまでに吾平から受け取った一分銀を使い、既に藩邸の顔見知りの下男から侍達の話を聞き出していた。それによると、朝倉藩では町奉行所からの問い合わせがあった後、直ぐに関係者の処分をしていた。四人の侍は藩邸内の長屋や自邸に謹慎させられた。しかし、その態度が改まることが無く所払いとされ、親は減俸になっていた。その後、四人の足取りは判らないが、見掛けたと言う人もおり、京の何処かに居るかも知れないらしい。 「早速、お手間を取らし、有難うございました。彼らの棲家は、後を付けてでも探し当てなければ仕方が無いようですね」 「そんなとこどす」  こんな平助に興味を持った弥兵衛は、己の片田舎であった野盗による一家皆殺しから父親の遺言、更には見分を広めることと不正を正すことが、京に来た所以であることを話した。ただ、闇の剣士の話は除いた。これに対し、平助が話したのは、朝倉藩の藩士の子として十五歳まで藩邸で暮らしたが、藩の財政不如意を理由に父親が除籍された。これも財政が改善されれば再任されるとの約束で、藩邸の近くで暮らしたが、一向に話は無く二年後に父親が亡くなり、母親も続くようにして亡くなった。たちまち暮らし向きに困った平助は、父親の仕事の残りをしていた傘貼りの納品で町に出た時に掏りを捕まえ、この腕を吾平に見込まれて仲間内に加わった。それからは言葉使いも町の人々に合わすのは、自然の成り行きであった。 「そうでしたか。それで、名字は、どのような」 「山形どす」 「山形平助さんですか」  お互いの境遇を判り合えたことに、更に親密感を覚えていた。  時刻もそろそろ夕刻に差し掛かる頃、通りを見た平助が囁いた。 「あれは田中喜三郎」 「あの侍です」 「判りました。後を付けて確かめて参りやす」
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