闇の剣士 剣弥兵衛 悪霊の兆し(四) 

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 翌日の朝、吾平が書付を持って弥兵衛を訪ねて来た。弥兵衛は、智里が揃えてくれた綿入りの作務衣を身に着け、二人して五十嵐家を目指した。上雑色が如何なるものかを知らない弥兵衛にとって気軽な気持ちでいたが、屋敷に着くとその広大さに驚かされ、出入りする人の多さにも権勢を感じさせられた。吾平が顔見知りを見つけ、要件を頼むと小島と名乗る下雑色に面会を許された。捨て子の一件を話すと、昨今は金だけ取って直ぐに子を捨て去る不届きな輩がおるゆえ、当家からも確認の者を出すとの返事であった。ここで呼ばれた源四郎が、弥兵衛と同い年で、この辺りの町触れを担っており同行することになった。  京の北にあり玄武神が宿るとされた船岡山の東を大宮通りで北へ向かい、大徳寺を過ぎ広い田畑の中を更に北へ進んだ。 「この辺りが紫竹村となり、その寺はこの村の端になりやす」  源四郎の案内で寺に着き、山門を潜ろうとすると脇から平助が声を掛けて来た。 「吾平はんに弥兵衛はん、どうしてここへ来なさった」 「平助こそ、何でここにおるんや」  吾平が、驚いている。 「昨日の夕方に不動寺から侍の後を付けて来ましたら、この寺に入りよりました。昨夜は近くの農家に泊めてもらい、今朝から様子を窺うため今まで待っておりました」 「それはご苦労でした。何か変わったことはありましたか」  弥兵衛は、平助をねぎらうように問い掛けた。 「寺に入ったのは、私が後を付けた田中喜三郎の他に二人、村山権左衛門と西花助作どす。いずれも朝倉藩では、部屋住みの悪ガキばかりどした」 「子供を預かっているはずですが、声などは聞こえて来ましたか」 「そうなんどすが、この山門の辺りでは聞けませんでした。そやけど農家の人は、侍が子供を連れ込むのを何度も見たとゆうとります」 「判りました。それでは踏み込みますか」  顔が知られている平助を残して、三人が山門を潜り境内に入った。石畳の参道の正面が本堂で、右手には住居、食堂などの建屋があり、左手には講義や参拝者の休憩に使う部屋なのか、長屋風の建屋が設けられている。そろそろ昼餉の頃となり、食堂には数人の僧が集まっていた。三人は、僧の食事が終わるのを中庭で待ち、住職と思しき老僧に吾平が声を掛けた。 「わいらは雑色のもんどすが、ちょっとお尋ねしたいことがおます」  雑色と聞いて眉を顰めた僧が、鷹揚に答えた。 「この寺になんぞ、ご用どすか」 「昨日、下京でおました捨て子を養うんやと、このお寺で預かるとお侍がゆわはったもんで」 「えっ、侍が。厳学、そんな話を聞いておますか」  老僧から声を掛けられた中年の僧が、答えている。 「そのような話は、聞いたことがおません」 「そやけど子連れの侍が、この寺に入ったのを見た人がおますんやけど」  吾平が、憤慨するような口調で言った。 「この寺は誰にでも開放しとります。誰かが山門を勝手に入り、裏へ通り抜けても判りまへん」 「と言うことは、この寺のお方は誰も侍を見ていないと仰りますか」  弥兵衛は、問い掛けている。 「我等は、ここで仏に仕える身におまして、いちいち外のことは気にしてられまへん」 「そうどすか、ならば出直しどすな」  吾平が、投げやりな言葉を放った。  山門の外に出た三人は、待っていた平助に話を伝え、寺の裏手へと回り込んだ。 「ここから西へ向かうと、玄沢から鷹峯になり峠を越えると杉坂から周山に行きます。また、東へ向かうと西賀茂から賀茂川沿いの道があり、雲ケ畑へと通じております」  この辺りに詳しい源四郎が、説明してくれた。東を見ると冬空に比叡山の英姿がくっきりと浮かび上がっていた。
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