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もう少しで年が改まろうとする頃、平助が尋ねて来た。
「あの後も二、三度、寺に行き境内にも入りました。本堂の左手となる長屋の裏に続く道を行くと、谷があり向かいの斜面には洞穴がありやした」
弥兵衛は、洞穴と聞き己の経験もあって謎めいた記憶を思い返していた。
「その洞穴へ行く道はありますか」
「草木の様子を窺うと、人の踏み跡と折れた小枝が見られ、明らかに人が通った跡と思いやす」
「ならば、その洞穴の中に何があるかですね」
「手前から見ただけですが、入り口は狭く、奥は暗闇どす」
「判りました。良く調べてもらいました」
「それともう一つ。四人目の侍は坂口久兵衛で、こ奴が頭のはずどす。先日、寺から出て来るのを見ましたが、何か朦朧としておりやした」
「ほう、それは何かに取り付かれておるかも知れませんね。とにかく私も一度、探って見ます」
「えっ、お一人で行かれますか」
「その心算ですが」
「あ奴らは四人どす。何かあれば危のおす。五十嵐家の源四郎はんにも、寺でおうとりますんで、繋ぎを付けますさかい」
「源四郎さんも、あの寺に行かれてましたか。ならば明後日の昼にします」
弥兵衛は、洞穴に入っても何があるか判らないが、この辺りに詳しい源四郎がおれば力になると考えた。
その日は小雪が舞い、一段と寒い日になった。北の山並みには暗い雲が覆い、何か天から降り来た悪霊を想起させる景色に思えた。平助と連れ立って不動寺を出た弥兵衛は、昼頃に寺の山門前で源四郎と落ち合った。その源四郎の一本差の出で立ちには、張り詰めた表情が窺えた。
「源四郎さん、今日は万端の用意ですか」
「はい、平助はんが、何かことが起きればとゆわはるもんで。うちらは捕り方の時には帯刀を許されておます」
「それは心強いご手配です」
三人は山門を潜った。右手の食堂では人の気配がするが、こんな寒い日に外へ出て来る様子は見られない。左手の長屋の裏に回り、道を進むと小雪が降る谷を見下ろす所に出た。向かいの斜面には洞穴の入り口が小さな暗闇を見せており、ここから谷を下り洞穴へと踏み跡が続いていた。
「行って見ましょうか」
滑らないように用心して斜面を下り、少しの登りで洞穴の入り口に着いた。遠くからは気付かなかったが、入り口には木々の枝葉が折り重なり、これを取り除くと人一人が十分に通れる広さがあった。平助が用意して来た蝋燭に火を灯した。これを持って先に進むと、足元にはしっかりとした道が出来ている。これは初めにあった洞穴の途中から人の手が加えられたもので、天井や壁には鑿の跡が残っている。そろそろ一丁ほども歩いたであろうか、うっすらと刺し込む明かりを感じる辺りに来た。
「出口に近づいて来たかも知れまへん」
平助が、小声で囁いた。
「ちょっと待っとくりゃす。うちが先に出て確かめますさかい」
こう言って源四郎が洞穴を出て、辺りの様子を窺っている。
「何やらここは暖かで、春になったような気がしよります」
弥兵衛と平助も外に出たが、洞穴に入る前の寒さに較べると、ここの暖かさが異様に思えた。
「ここが何処か判りますか」
弥兵衛は、源四郎に訊ねた。
先程から辺りを見回していた源四郎が、不思議そうな顔をしている。
「何か狐か狸に化かされたようで、この辺りでこんな景色は見たことがおまへん」
三人が黙念して、辺りを見回している。山間の狭い地に木々が茂り、遠望は利かないがこの林の向こうには田畑が広がっているように思える。そこで、身が軽い弥兵衛は猿(ましら)の如く木に登って確かめた。
「一丁ほど先に畑があり、小屋も数軒立てられております。それに、人の姿も伺えました」
「畑に人どすか」
源四郎が刀の柄に手を置いた。
「それと、ここでは臭いませんが、腐臭がしました」
「もしかして、この辺りには温泉が湧いているのかも知れまへん」
源四郎が、答えた。
「温泉どすか。それならこの暖かいのも判りますな」
平助が大きく頷いた。
「では畑に向かいますか。こんな所で何を作っているのかを、確かめねばなりません」
弥兵衛は、先に進んだ。
開けた畑を前にして、木の陰に身を隠した三人が人の様子を見ている。雪は降っておらず、むしろ薄い陽射しまでが刺し込んでいる。そんな時、畑の下草を取っていた男の顔が、こちらを向いた。
「あれは、村山権左衛門。まるで農夫ではないか」
平助が男の顔を凝視して呟いた。
「あの男が朝倉藩の侍の一人どす。それにしても、あのふやけた顔はどないしよりましたか」
「この畑で作られている草は、何だか判りますか」
弥兵衛は、二人に聞いた。
「これは大麻かも知れまへん。うちは伊賀の生まれどして、伊賀三家の一つ藤林家に伝わる文書に阿保薬なるものが記されておると、聞いたことがおます」
源四郎が呟いた。
「阿保薬ですか」
「そうどす。この草の葉を乾かし薄茶で飲むと、気分は好くなりますんやが、その内に気が抜けてうつけになるそうどす」
「そんな大麻を、ここで作っておると」
弥兵衛は、悪霊の狙いを見定めたように思えた。
「さあ、ここはどうするかどすな」
源四郎が、問い掛けて来た。
「朝倉藩の侍は、他に三人どす。それと、あ奴らが、連れて来ている子供がどこにいるのかを確かめることどす」
平助が、答えた。
「その通りです。この男の目を掠めて、向こうの小屋を覗けたらいいのですが」
「それなら、うちにやらせてもらいやす。これでも忍びの端くれどすさかい」
源四郎が、身を屈め男の目を逸らしながら小走りに駆けて行った。途中では木陰に入って身を隠し、更に進んで一つの小屋の窓下に着いている。その窓を除くと、次の小屋へ向かったと思われ、姿が見えなくなった。半時ほどで戻って来た源四郎が、冷や汗を流していた。
「やはり、大変な所に入り込んだもんどす」
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