十一 砲兵の左肩

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十一 砲兵の左肩

 平成の時代でも、私が大阪の祖父の家に帰省すると、祖父の勇は戦時中の話を話すことがよくありました。 「その頃のわしの月給は16円。そのうち半分は内地の実家に送金することになっとるから、月に使えるのは8円や。軍隊生活の生活費や雑費に7円ほど使うから、わしが自由に使えるのは月1円やった。休みの日にそれを持って街に遊びにゆくのが楽しみやったんや」  祖父は砲兵の将校で、トヨと同じ駐屯地でした。 「行軍が終わると全身くたくたになる。でも終わったらまず馬の世話をするんや。どんなに疲れていてもやで。まず馬の水と餌、馬の身体を洗ってやらんとあかん。馬の世話が終わってから、やっと自分の食事や休みを取れるんや」  祖父と話しているとき、祖母トヨが私に声をかけました。 「じいちゃんの肩をみてみぃ。左肩だけ少し下がってるやろ」  言われてよく見ると、居間に立っている祖父の片方の左の肩が二センチほど下がっています。両肩の高さが均等でないのです。 「若いときに重い砲筒を担いで行軍したからやで」  そのまま左肩が下がってしもて、戻らへん。  そう祖父は語っていました。
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