第1章 名探偵との謎解き勝負!

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 歩いてピッタリ15分、ダッシュなら10分、さらに全力で走れば7分。  家から少し離れた距離に、その建物はある。  大宮探偵事務所。  雑居ビルの3階の窓に貼られたシールの文字を見上げながら息を整えて、あたしは全力で階段を駆け上った。  事務所のドアを開け放つ。  応接用のローテーブルやソファ、資料の入った本棚に簡単な給湯スペースがある、こじんまりとした事務所の応接室。  そこにじっちゃんは――いなかった。  けれど、焦ることはない。  ここは多分、最後の謎がある場所にすぎないから。 「さて、と」  ぐるっと事務所を見渡せば、私のお目当ての人物……もとい、動物はそこにいた。  日当たりのいい窓辺にある重厚な木のデスク。  その上にどんと鎮座して、なんとも能天気に「うにゃあ」とあくびをしている黒猫。  その首元で、赤い首輪についた金色の鈴が、ちりんと涼し気な音を立てて揺れた。 「ランポさん、ちょっとごめんよ」  毛づくろいを始めたばかりの三毛猫を抱き上げてそう声をかければ、最近また少し太った彼は、不服そうに「ぶみゃあ」と鳴いた。  この子の名前はランポさん。  じっちゃんが飼っている猫で、じっちゃんの推理捜査のお供に毎回ついて回っている助手猫。ちなみに、名前の由来は、かの有名な小説家・推理作家の江戸川乱歩さんからだ。  さて、あたしがランポさんに声をかけたのはなぜか?  それは、第2のヒントのありかが、このランポさんにほかならないから。  みんな、さっきの便せんに書かれていた文章は覚えてる? 【頭の上には何がいる?】  これを解くには、あいうえお――五〇音を思い浮かべればいい。  といっても、ただ思い浮かべればいいわけじゃない。もっときちんと、規則的に並べる必要がある。  では、あいうえおを規則的に並べたらどうなるか?  そう! 五〇音表にすればいいの!   あ い う え お   か き く け こ   さ し す せ そ   た ち つ て と   な に ぬ ね の   は ひ ふ へ ほ   ま み む め も   や   ゆ   よ   ら り る れ ろ   わ       を   ん           そして、この表の中から、頭――つまり、「あ」、「た」、「ま」の真上にある文字を探せばいい。  ア段の真上の文字をオ段の文字と考えると、「あ」の上には「お」、「た」の上には「と」、「ま」の上には「も」が来るよね。  「あたま」の上には、「おとも」がいる。  つまり、第1のヒントが示しているのは、じっちゃんのお供である、ランポさんのことだったのだ!  さて、問題はランポさんのどこに次のヒントがあるか、だけれど。  これは案外あっさりと見つかった。首輪の後ろ側に、折り畳まれたメモが挟まっていたのだ。  嫌がるランポさんに危うく引っかかれそうになりながら、ノートの切れ端のようなメモを取り上げる。  2つ目のヒント。 これが最後になるのか、それとも……  緊張にごくりと唾を呑んで、おそるおそるメモを開いたあたしは、その文面に驚きの声を上げた。 「……えっ?」 【第一のヒント、簡単だったのはなぜだろう?】 【勇気ある者に道は開く】  「……これ、もはや謎とかヒントっていうより……」  じっちゃんの脳内当てクイズ、やんね。  思わずそうつぶやいて、首を傾げる。  じっちゃんは最後の謎を解いた先にある場所にいる、って言っていたけれど……つまり、これはまだ、最後の謎じゃないってことなのかな。  まあ、人の心を読み解くことこそ、ある意味推理の真髄だ。 受けて立とうじゃないか。  ランポさんを机の上に戻して、事務所の中をぐるぐると歩き回りながら考える。  思えば、第一のヒントは、謎解きをするように求められてはいたけれど、「ヒントになる謎を解くためのヒント」(頭がこんがらがりそうな言い方だね)がやけに丁寧に用意されていた。  いつもなら、あたしが解けないような謎でも嬉々として用意するじっちゃんが、今日に限ってどうしてそんなことを?  考えられる理由は、一つしかない。 「……じっちゃんは、今回に限っては、うちと本気の謎解き勝負をする気はなかった。謎を解かせるっていうよりは、暗号を解読するために必要な知識があるかどうかを試してる感じやった」  つまり。 「じっちゃんには、うちの実力を推し量ってまで、ここへ来させたい理由があった。伝えたいことか渡したいものか――もしくは、その両方があった! これが、答え!」  猫型のルーペを取り出して、意味もなく、ビシッ! とランポさんに向ける。  けれど、ランポさんが興味もなさそうに首を傾げて「うにゃあ」と鳴いたきり、返ってくる言葉はない。  もちろん、じっちゃんも姿を見せはしない。 「……不正解、ってことかなあ」  はあ、とため息をついて、机の上にいるランポさんを再び抱き上げる。  しょぼくれたあたしのほっぺたを、ランポさんは無言でなめてくれた。 「なあランポさん。うち、こんなんじゃ、じっちゃんに認めてもらえんよなあ」  うなーん? と鳴くランポさんのお腹に顔をうめて、またため息。  小さい頃から、じっちゃんにあこがれていた。  いつか、じっちゃんみたいなすごい探偵になるんだって、全力でじっちゃんからの謎解き勝負を受けてきた。  そして今日、いつもと少しふんいきの違う謎解きを持ちかけられたから、実は少しくらいはじっちゃんに認められ始めているのかなって、思ったのに。  あたしなんかじゃ、まだまだ、じっちゃんには認めてもらえないのかな。  そう思っているうちに、なんだか目頭が熱くなってくる。  悲しくて悔しくて、思わず泣き出しそうになってしまった、その時だった。  ……ズズ……  どこからか、何か、重いものが動く音がした。 「な、何っ?」  思わず顔を上げたけれど、部屋の中に特に変わった様子はない。  気のせいだったのかなあ。  そう思いながらも一応部屋を見回したあたしは、ふと部屋のある一ヶ所が気になった。  ――レンガ造りの暖炉。  そう、この事務所に置かれているのは基本的に現代的な家具で統一されているけれど、2つ、この部屋のふんいきにそぐわない家具がある。  1つは、さっきまでランポさんがいた木のデスク。  そしてもう1つが、この暖炉なのだ。  机のほうは、じっちゃんの趣味だって聞いたことはあるけれど…… 「そういえばこれって、じっちゃんが使ってるところ、見たことないなあ」  そうつぶやいて、あたしは西側の壁を見上げる。  そこにあるのは、主に夏冬に大活躍のエアコン。  そう、この部屋にはちゃんとエアコンがついているから、暖炉がなくても冬場に暖をとるのには困らないのだ。  じゃあ、なんでわざわざじっちゃんは暖炉なんか……ん? 「もしかして!」  あたしは、そこであることに気づいて、すかさず暖炉に駆け寄った。  不自然なことに、覗き込んだそこには灰一つ残っていない。  そして、何より不自然だったのは、暖炉の位置が、少しだけずれていることだった。  その証拠に、ほこりがたまっている床に、暖炉を引きずったような跡がある。  やっぱり、さっき動いたのはこの暖炉だったんだ。 「でも、なんで急にこれが動いて……?」  そうつぶやいて、あたしは暖炉の中から観察を進めていく。  あたしのとなりには、いつのまにか机から降りてきたランポさんがいて、一緒に中を見回しているみたいだった。  けれど、暖炉の中には何も異常がない。  だったら、あとは外を見てみるしかない。 「……あ!」  何と、ちょうど暖炉の脚があった部分の床に、木の扉がついていたんだ。  しかもその大きさは、ちょうど人一人が入れるくらい。  これは…… 「入れ、って言ってるようなものやんね……」  好奇心に思わず喉を鳴らして、扉に手をかける。  で、でも、どうしよう。  もしここに入って、じっちゃんがいなかったら?  ここに入って扉を閉めたとして、閉じ込められてしまったら?  暗いのは平気だけれど、さすがに閉じ込められちゃうかもしれないのはちょっと怖いかも。  けれど、そんなとき、あたしはさっきのメモに書かれた最後の一文を思い出した。  ――勇気ある者に道は開く。 「勇気ある者に、かあ……」  噛みしめるようにそう繰り返して、うんっとうなずく。  そうだよね。  怖がっていちゃ、何も始まらない。  とにもかくにも、ここまで来た以上、あたしには進む以外の方法は残されていないんだ!  バチィン! と、少し強く両側のほっぺたを叩いて気合いを入れる。 「ようし、行くぞっ!」  自分自身を奮い立たせるようにそう言って、扉を開く。  真っ暗な闇が広がるその中へ、一歩足を踏み出して――  ずるっ。 「へ?」  けれどその足は、急斜面になっていた床でつるりと滑ってしまった。 「ま、まさか……」  嫌な予感。  とっさに下を見れば、予感的中。  下へ降りる手段は、階段でもはしごでもなく、滑り台のように長いスロープになっていたんだ!  と、いうことは。 「うち、このまま落ちちゃうってことぉおおあああああ―――――!?」  踏ん張ろうとしたけれどもう遅い。  尻もちをついたあたしは、そのままスロープを勢いよく滑り落ちていく。  少し遅れて、頭の上でゆっくりと扉が閉まる重い音がする。  そのあと、あたしの耳に届いたのは、ちりんと涼やかに鳴る鈴の音色だった。
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