第2章 ナゾの部屋とじっちゃんの秘密

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「ほれ、飲みなさい」  目の前に、温かいココアが差し出される。  じっちゃんお手製のココアは、濃すぎず薄すぎずおいしいのだけれど、あたしはすぐに手をつけることができなかった。  だって、ショックだったんだ。  じっちゃんの背中を追いかけて、探偵としての修行をするのがとても楽しかったのに、いきなり怪盗にならないかだなんて言われたから。  あたしには、探偵としてやっていく資質がないからそう言うのかな。  そもそも、今どき怪盗だなんて、急にどうしてそんなことを言うんだろう。  聞きたいことはいっぱいあるのに、言葉が出てこない。  うつむくあたしに苦笑すると、じっちゃんはそっとあたしの頭をなでた。 「すまなかった。いきなりあんなことを言ったんだ、お前も戸惑ったろう」 「ううん……それは」  別にいいよ、の一言が最後まで言えなくて、やっぱり俯いてしまう。  湯気の立つマグカップを両手で包みこんで、複雑な気持ちをもてあそぶ。  すると、じっちゃんはやっぱり困ったように笑うと、机の引き出しから何かを取り出した。 「千春、これは見たことはあるかのう?」 「なあに?」  じっちゃんが見せてきたものを覗き込んでみれば、それが新聞記事だとわかった。  日付は、2月25日となっている。つまり、あたしがまだ京都にいた時期のものだ。  一面の見出しには、でかでかとこう書かれている。 『怪盗シャノワール、またもや現る』  あ、このニュース、知ってる。  神奈川県の大きなおうちに忍び込んだ『怪盗シャノワール』が、ええっと、このときは確か……ものすごーく古くて貴重な本を盗み出したんだっけ。 「怪盗シャノワールというのは、もちろん知っておるな?」 「うんっ。そりゃあもちろん!」  思わず身を乗り出して、そう答える。  フランス語で『黒猫』を意味する名前を持つその怪盗は、ここ2年くらいで世間をさわがせるようになった、神出鬼没にして大胆不敵な大泥棒。  でも、ただの泥棒じゃない。  無差別かつ無意味な盗みは決してすることはなく、うわさによると、何やら事情のある人のもとからしか盗みをしないんだって。  怪盗といえば、創作の範囲で言えば、モーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパン、それから、怪盗クイーンに怪盗キッドあたりが有名だ。  けれど、怪盗シャノワールは、本当の本当に、現代の日本に存在する怪盗。  創作の世界に出てくる人物のようなその活躍が、テレビやインターネットのニュースでは、もっぱら話題になっているんだ。  もちろん、あたしは直に会ったことはない。  でも、いつか立派な探偵になったら直接対決をして、あわよくばこの手で捕まえられたら――なんて、密かに思っている。  けれど、なんでそのシャノワールが、今ここで話題に上るんだろう。  そう思っていると、じっちゃんがやけに神妙な面持ちで言った。 「千春、落ち着いて聞いてほしいんじゃがな」 「うん」  一拍。 「実は――怪盗シャノワールの正体は、わしなんじゃ」  へえー。  シャノワールの正体が、じっちゃんかあ。  知らなかったなあ。  ……んっ? 「ちょ、ちょっと待って、待って!」  大慌てで立ち上がって、噛みつくような勢いでじっちゃんに顔を近づける。  今、なんて言ったの?  シャノワールの正体が、じっちゃんだなんて…… 「嘘、だよね? 冗談だよね?」  冗談にしたって、たちが悪すぎるよ。  それに、こんな真面目な場面でそんな嘘をつくなんて、じっちゃんらしくもない。 「……なんとか言ってよ、じっちゃん」  思わず責めるようにそう言っても、じっちゃんは黙って口を真一文字に結んでいる。  じっと、じっちゃんの目をのぞき込んで観察する。  悔しいけれど、悲しいけれど、信じたくなんかないけれど。  じっちゃんの目は、嘘をついている人にしてはまっすぐすぎるほどにすんでいた。 「ほんまなん? ほんまに、じっちゃんが、怪盗シャノワールなの?」  じっちゃんは、無言でうなずく。 「今まで、黙っておってすまなかった」  深々と頭を下げるじっちゃん。  とてもじゃないけれど、ここまでしているじっちゃんが冗談を言っているのだとは、思えなかった。  思わずため息は出てしまうけれど、ひとまずこの件について言及するのは、ここでやめることにした。  話が先に進まないし、何より、じっちゃんを責めるのは、苦しいから。 「じゃあ、じっちゃんの話が本当だとしてよ? じっちゃんがシャノワールやっていうことと、あたしが怪盗になることと、なんの関係があるん?」  そう。  じっちゃんが怪盗をやっていたからって、あたしが怪盗をやる理由が、今のところ見当たらないのだ。  あたしがなりたいのは探偵であって、怪盗ではない。  第一、いくら正義の怪盗と言ったって、盗みは犯罪だ。  正直、やってみないかって言われても、答えに困ってしまう。  そんなあたしの気持ちをくんでか、じっちゃんはあごをなでさすりながらこう言った。 「実はな、厳密に言えば、わしがやっていたのは、怪盗ではないんじゃよ」 「えっ?」  どういうこと?  だってさっき、確かに『怪盗』シャノワールはじっちゃんなんだって言ったよね?  その疑問に対する答えなのかなんなのか、じっちゃんは少し考えて、こんな話を始めた。 「この世界には、遺産(レガシー)と呼ばれるモノが存在しておる」 「遺産……?」 「そう。世界遺産の『遺産』と書いて、『レガシー』じゃ」  何だそれ。  初めて聞いたんだけど。 「遺産というのはな、簡単に言えば付喪神の宿った物や道具のことじゃ。千春、付喪神は知っておるな?」 「うん!」  確か、長い間大切に使われた道具に宿る神様や、精霊のことだよね。  何かの本で読んだことがあるぞ。  じっちゃんの言葉にうなずけば、じっちゃんは満足そうにしていた。 「付喪神はまあ、ものの例えに過ぎんがの。詳しい理由はわからんが、何らかの技術や方法によって、意思と不思議な力を宿すようになったアイテムの数々――それらを、わしら怪盗は、遺産と呼んでおる」 「へえ、そうなんや……」  ……ん?  待って、今、「わしら」って言った? 「じっちゃん。もしかして、怪盗って、じっちゃん以外にもたくさんおるん? ニュースじゃあんまり見たことないんだけど」 「そうじゃよ」  しれっとうなずかれても!  あたしのおどろきをよそに、じっちゃんの話は続く。 「遺産が宿す不思議な力は、『異能力異能力(エフェクト)』と呼ばれておる。これは、使い手やその周りの環境に、大きな影響をもたらす強大な力じゃ」  異能力(エフェクト)。  当たり前だけど初めて聞く言葉に、目をぱちぱちさせる。 「与えられる影響には、良いものも悪いものもある。じゃが、おおむね悪い影響が主じゃな。良い影響しか与えない遺産というものは確認されておらんが、悪い影響しか与えない遺産というものは往々にしてあるからのう」 「えっと、つまり、遺産にはいい所も悪い所もあって、でも悪い所のほうが多いってこと?」 「おおむね、そんなところじゃな」  じっちゃんがうなずく。 「そして、意思を持った道具の中には、人間に使われるのではなく、人間を使おうとする物がある。人間の心と契約し、その物自身が持つ悪しき力を使うようにと人間の心を支配し、悪事を引き起こす。そういった遺産は、世界中に散らばっておる。速やかに回収せねば、取り返しのつかない大事件をも引き起こしかねんじゃろう」 「それじゃあ、まさか……怪盗っていうのは」  じっちゃんの話から、あたしはなんとなく答えを察した。  それを確かめるより早く、じっちゃんがその先を口にする。 「〝怪盗〟というのは、遺産回収の専門家の隠語じゃよ。正式な名称は、同じ怪盗と書いて、『ハンター』と呼ぶ。世間に対しては、あくまで華麗にお宝をうばうというショーをくり広げておるが、その実、世界に危機をもたらしかねない危険なアイテムを回収している専門家というわけじゃ。この部屋に置いてある物も、全部遺産なんじゃよ」  そう言いながら、じっちゃんはぐるりと部屋を見回す。  つられて部屋の中を見ながら、あたしは思わずため息をついた。  ここにある物、全部じっちゃんが集めたものなんだ。  すごいなあ。 「怪盗、って書いて、ハンター……なんか、かっこええね」 「うむ。遺産の中には、その本質がどういうものかも知られずに芸術品として保管されておるものもあるからのう。そういう意味でも、怪盗という比喩はぴったりなんじゃ」  なるほど。  つまり、じっちゃんの話を要約するとこうだ。  じっちゃんが演じている怪盗(かいとう)シャノワールのような〝怪盗〟は、世間一般にイメージされるようなただの怪盗じゃなくて、実は、遺産と呼ばれる危険なアイテムを回収する専門家。  そして、これはじっちゃんは直接口にはしていなかったけれど、多分、その専門家集団は世界中に散らばっていて、日夜、遺産の回収にはげんでいる――ということになる。 「さて、ここからが本題じゃ」  そう言って、じっちゃんは、それまでの穏やかな雰囲気から一変して、今までに見たことのないような真面目な顔をした。  それにつられて、あたしもつい、ピンと背筋が伸びる。 「わしら怪盗(ハンター)には、任期や定年というものこそないが、世界の安寧秩序……平和を守るために、その活動を次の世代に引き継いでいく必要がある」 「世界の、平和……」 「うむ。じゃが、わしとてもう歳じゃ。全盛期ほどの身体能力はとうに無くなっておるし、この老いさらばえた体では、いつまで怪盗として活動できるかわからん」 「う、うん」 「そこでじゃ、千春。わしはお前に、わしの役割を引き継ぎたいと思っておる」 「……っ!」  ある程度予想できた、じっちゃんの言葉。  息をつまらせたあたしの様子に気付いてか気付かずか、じっちゃんは続ける。 「いつかわしの跡を継いで立派な探偵になってもらうためにも、怪盗になるのは悪くないことだと思うぞ」 「それは……どうして?」  あたしがたずねると、じっちゃんは淀みなく答える。 「誰が、なぜ、何を思って遺産と契約し、その力を使ってしまったのか。それを推し量れるようになることは、探偵が犯人の心理を探る時にも役に立つはずじゃからな」 「それが、探偵として役に立つこと……」  それでもあたしは、すぐには首を縦に振れなかった。  じっちゃんのような探偵になりたい、という、自分が持ち続けてきた将来の夢。  じっちゃんが、怪盗と呼ばれる存在であることをあたしに隠し続けてきたこと。  何より――どうして、あたしを後継者にしたいのだろう、という疑問。  いろんなことが頭の中をぐるぐると回って、返事ができなかった。  すると、そんなあたしの様子に何を思ったのか、じっちゃんは眉毛をハの字にして笑うと、あたしの頭にぽんと手をのせてきた。 「いきなりこんな話をしたから、混乱したじゃろう。すまなかったな」 「それは……でも」 「いいんじゃよ。返事を急ぐことはない。だが、これはいつか、誰かがやらねばならぬこと。わしはただ、お前を信頼しておるから、自分の役目を引き継ぎたかった。それだけなんじゃ」 「うちを……信頼……?」  じっちゃんの言葉に、思わず、ぎゅっと両手を握りしめる。  小さい頃から、じっちゃんが捜査に行くのについて回っていた。  現場を荒らすだけだから帰れと、叱られたこともあった。  それでも、ただ、じっちゃんのしゃんとした背中にあこがれて、じっちゃんが快刀乱麻を断つように事件を解決する姿にあこがれて、探偵になるための修行をしてきた。  捜査に必要な体力をつけるための、ランニングや簡単な筋トレ。 推理力を身に着けるための、じっちゃんとの謎解き勝負。  学校の勉強や宿題をコツコツやることは苦手だったけれど、おかげで頭の回転は速くなったし、運動能力にも自信はついた。  こんなあたしのことを、じっちゃんが、少しでも信頼してくれるって言うのなら。 「……わかった」 「うん?」  優しく頭をなでてくれていたじっちゃんの手を、そっと両手でつかんで下ろす。  それから、まっすぐにじっちゃんの目を見て、心からの真剣な声で、あたしは言った。 「じっちゃんが、うちのことを信頼してくれるなら。うちは、それに応えたい」 「千春……」  あたしの名前をつぶやいたじっちゃんに、一瞬だけ微笑んでみせて。  すうっと息を吸って、あたしは堂々と宣言する! 「うち、怪盗(ハンター)になる! じっちゃんが今までやってきた、世界を守る正義の〝怪盗〟の役目を、うちが引き継ぐ!」  立派な探偵になるための道からは、少し逸れちゃうかもしれない。  少し逸れるどころか、とんでもなく遠回りになっちゃうかもしれない。  それでも、じっちゃんが寄せてくれる期待に、信頼に、少しでも応えたい。  だから、とにもかくにも一度、やってみようと思う。  あたしの言葉に、じっちゃんは驚いたように目を丸くして、そのあと、泣き出しそうな顔をして。 「……ありがとう、千春」  それでも、いつもと変わらない笑顔でまた頭をなでてくれたから、じっちゃんの表情の意味を、あたしは気にしないことにした。  こうして、あたしは、名探偵見習い兼怪盗という、なんだかしっちゃかめっちゃかな肩書きを得ることになった。  明後日から中学2年生の1学期が始まるという日の、よく晴れた昼下がりのこと。
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