悪意

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 5月。  わたしがその少年に会ったのは、ある夜の公園だった。  わたしはその日、アパートの部屋を出て、それほど明るくない照明の灯る近所の公園へ行った。  公園は夕方までは子どもたちが遊んでいて、その近くには子どもの親が数人居ることが多かった。それ以外の、ましてやわたしのような中年の男が昼下がりに公園に居ることは、ほぼなかっただろうから、居れば周囲の人々に訝しがられただろう。だから、わたしは日が暮れて、多くの家庭が夕食を迎える時間に公園を訪れてみた。わたしは独身であり、職にあぶれて何もすることのない男だった。  わたしは公園に誰もいないことを確かめてから恐る恐るブランコに近づいた。そしてもう一度、周囲に誰もいないことを確かめてからブランコの鎖に手をかけて吊された板に座ってみた。  こんなことをするのは何年ぶりだろうかと心に思いながら、ゆっくりゆらゆらとブランコを漕いでみた。ブランコの揺れに少し勢いが付いたら、両足を揃えて浮かせてみた。心臓がドキドキした。鼻がツーンとするような感覚を覚えた。  わたしはそうしてひとしきり、誰か通行人に見られないかとビクビクしながらブランコを漕いだ。  そうしているところへ一人の少年がやって来たのが見えた。公園にわたしがいたので少年は公園に入るのを少し躊躇したように見えたが、それでも入って来た。わたしは、このような日の暮れた夕食時に、恐らく小学校の2年生かそこらに見える子どもが一人で訪れたことを驚いたが、それはなにか、自分の少年時代の昔懐かしい、親に叱られて家の外に出て近所を闇雲にほっつき歩いた経験を思い出させた。  少年は様子を見ながらわたしの方へうつむき気味に歩いて来て、2台のブランコの空いている方へ座って漕ぎだした。わたしが逆の立場だったら出来ないだろうという気がした。  わたしたちはしばらく、並んでゆっくりブランコを漕いでいた。 「お母さんにでも叱られたのか?」  ブランコを漕ぎ前を見たまま、わたしは興味本位で少年に聞いてみた。少年は首を横に振った。 「外に出てろって。アイツが来てるときは、そう言われる」 「アイツ?」 「お母さんの、アイツ」 「お母さんのアイツ……男の人か」 「アイツは大嫌いだよ。お母さんをいつもブツ。僕もブツ」 「そうか。お父さんではないんだな」 「前はお父さんだった。今は違うんだってお母さんが言ってた。けど、前にもお父さんじゃなくなって、それからまた少ししたら家に来るようになって、それでまたお母さんも僕もブタれて」 「別れたり戻ったりを繰り返してるってわけか」 「もう3回目だと思う」 「それで、その男の人が家に来ると、君は外に出ていろと言われるわけか」 「うん」 「……」  わたしはその少年に何か言おうと思ったが、何も言えなかった。励ましも慰めも、何も彼にとっては大した意味を持たないように思った。 「お母さんはバカだよ」 「そうなのか」 「そうだよ。いつもブタれて、お金も取られて……泣いているのに。バカだよ」 「そうか。せめて、逆にお金を置いていってくれるならまだマシだな」 「お金をくれても、僕はイヤだよ」 「まあ、そうだろうな……でも一応、戸籍上は君の父親なんだろうな」 「コセキってなに?」 「ああ、ううん。書類の上では?……なんて言えばいいんだろうな」  わたしはそれ以来、公園を訪れて何度かそんな会話を少年と交わした。多くの雑談もした。彼の学校での出来事を聞き、わたしの少年時代の話をした。  少年の名前が古畑正一で母親が和美ということを知った。家に来るアイツは幸田育夫と言って、少年の母親とは内縁関係であり、詳細は不明だが正一少年を父親として認知もしていないようだった。少年の母親はアイツの暴力に嫌気して引っ越したが、すぐにまた所在を突き止められてしまうようだった。  わたしは始め気づかなかったが、よく見ると彼が顔や腕、足に青あざを作っているのを見つけた。  わたしは正一少年と公園で話すようになって1ヶ月ほど過ぎた。わたしは相変わらず職が無く、手持ちの金も底をつきかけていたが、夜の公園で正一少年に会うのは楽しいことだった。  ある日、彼にこう言った。 「君に会うのは今日で終わりだ。わたしはもう、ここへは来ない。今度から君がこの公園へ夜に来たら、ここで一人で時間を過ごすことになると思う。よく気をつけるんだよ。そして、わたしのことはすべて忘れるんだ。もしわたしを見ても、絶対に話しかけないで欲しい。わかったかい?」 「もう、話してくれないの?」 「わたしは君と友達になれた気がする。だから辛いけれど、今日でお別れして……もう一度言うが、私に会っても絶対に話しかけてはいけないよ」 「……わかった。おじさん……おじさんがお父さんだったらよかったのに」  7月。幸田育夫は交通事故に遭って死亡した。  その日、夜19時ごろ被害者幸田育夫が古畑和美のアパートの部屋を訪れて飲酒をし数時間後に部屋を出て電車の駅までの2キロ近い道を徒歩で向かっていた。  幸田が歩いていた道は地元の人が使う細い暗い道だった。  幸田は道の進行方向左側を歩いていた。彼の後ろから車が来たので、彼はそれを察してさらに少し道路左に寄った。車は彼の横を過ぎる手前で加速した。幸田育夫は右に振り向くようにして後方から迫る車に対して危険を感じた。彼は突差に、もっと左に車を避けようと思ったが、左側はフェンスのない側溝で水が流れていた。このため彼は行き場を失い、車から逃れるために一瞬走り出したが、この時にはすでに間に合わなかった。車はブレーキを掛けたが止まりきれずに跳ねられた。この事故で彼は相当な傷を負ったが致命傷にまではならなかった。だが運が悪く、彼は車に跳ねられた弾みで道路脇の側溝に転落した。この側溝は、普段は大した量の水は流れていなかったが、この日は前日までの雨の影響で水量が増していた。幸田育夫は背後から車に跳ねられて前のめりに側溝に落ち、そのまま水に流される格好になった。車の運転者である紅林義男は、突差に車を降りて見たが、車の前方にあると思った被害者の姿がなく、道路脇の側溝に落ちたものと思って探したが、すでにすぐそばには被害者の姿は見つけられず、前方に向かう流れに沿って見ていこうとしたが、道が暗くよく見えなかったので、一旦車に戻り、懐中電灯を車のグローブボックスから取り出して側溝に戻り、懐中電灯の明かりで被害者を探した。しかしそのときには被害者は側溝をすでに数メートル先まで流されていた。側溝を照らしながら探して被害者を見つけ、水の中から引き上げなければと思ったが、それは思った以上に困難だった。側溝の脇から被害者を抱え上げるだけの腕力は紅林義男にはなかった。(これは裁判でも、70キロを超える体重の被害者の体を側溝から一人で抱え上げるのは相当困難なことだったと証明されている)  そこで紅林義男は側溝に自分も入り、水に足を掬われそうになりながら、なんとか被害者を道路上に上げることに成功した。だがその時点で被害者は死亡していたと考えられた。紅林義男は被害者を道路脇に上げてから携帯電話で救急車の要請をした。この点についても、先に救急車の要請をするべきだったという指摘を裁判で受けたが、紅林義男はそれについて、被害者が側溝の水流に流されていると考えた状況では救急通報をするよりも先に被害者を救護しなければと考えたと主張した。  これらの経過を踏まえて、紅林義男は、被害者幸田育夫さんを誤って車で跳ね、救護を試みたが結果的に死亡させたとして、裁判では禁固1年3ヶ月、執行猶予3年の判決を受けた。  これが表向き、わたしが主張した事実による裁判の結果だ。  続けてこれから、わたしだけが知っている、この事故のあらましを記しておくことにする。  わたしはその日、被害者幸田育夫が古畑和美の家を出て帰途につくのを車に乗り込み外で待っていた。  わたしは古畑和美と正一少年の住むアパートの部屋に幸田が訪れる時間や、部屋をあとにする時間を観察して何度も確かめた。幸田が訪れしばらくすると正一少年が部屋の外に出て来て、時間つぶしにどこかへ向かうのを隠れて見ていた。  幸田育夫が帰途で電車の駅へ向かうとき、表通りの明るい道を通らず、少しだが近道になる薄暗く細い生活道路を使うことをわたしは下調べしてあった。彼が外に出てくるのを待つ間、何度か移動をしながら近所の住民に怪しまれ、目撃されないよう注意を払った。  後ろから見る限り幸田育夫はよく、しきりに首を振ったりかしげたりしながらゆっくり歩いていた。 その日、わたしは車を発進させて彼の後ろから気づかれないように走った。道にほかの誰かがいないか、ほかの車の通行がないかをわたしは数秒ごとに確認した。  わたしはゆっくり静かに、ヘッドライトを消して暗い道を幸田育夫の数十メートル手前にとらえて置いてアクセルを踏み込んだ。彼はわたしが点けた車のヘッドライトを背中から浴びて、すぐに道の左に寄った。わたしは、彼がわたしの企てに気づいて避けられてしまわないように、それとなく加速した。そして、わたしは幸田育夫の背中がはっきりと見える距離まで迫ったとき、車のハンドルを彼に向かって切った。彼がわたしの車のヘッドライトに照らし出され、彼が自分がスポットライトを浴びたことに驚いて振り返ろうとした瞬間、わたしの車は彼に襲いかかり、そしてわたしは突差にブレーキを踏んだ。わたしは彼を車で轢くことを躊躇してブレーキを踏んだのではない。ブレーキ痕を残すことで不注意の自動車事故を演出するためにそうした。  わたしが車を降りて行くと、幸田育夫は道路脇に倒れて朦朧としているようだった。わたしはすぐさま彼を側溝に蹴落とした。この日、雨上がりのあとで側溝の水かさが増しているのもわたしの企ての一つのポイントだった。彼を、ただ車で轢くだけならチャンスはいくらでもあったが、自動車事故で死ぬのではなく、事故のあとに不幸にも水かさの増した側溝に落ちて死亡するのが、わたしの考えた筋書きだった。彼を側溝に落としてから車にとって返して懐中電灯を探し、戻ってあらためて彼の姿を探し、彼を見つけ出して側溝から抱き上げることに対して時間を取られ、彼がそのために死んでしまうのを自然に見せるためにこうした。わたしは増水している側溝に降りて幸田育夫の体を、さも苦労して引き上げようと喘ぎのフリをしながら彼の顔を水流に押しつけて、その間、わたしは、誰かに見られていること、目撃者がいる可能性を意識しながら気取られないように振る舞いながら約5分間、彼の顔を水流に確実に押しつけた。  彼の体が全くだらりとしてしまったのを感じて、わたしは今度は本当に彼の体を必死で側溝の縁に押し上げ、それから携帯電話を取りだして救急車の要請などの通報を行ったのだ。 「古畑和美さんは、被害者との関係を修復してまた一緒に暮らそうと思う矢先だったそうです。お子さんも父親を失い、母子とも悲しんでいると。あなたに重い刑を望んでいるということです」  弁護士はわたしにそう言った。 「そうですか。それは、申し訳ないことをしました」  裁判で正一少年が一度だけ傍聴席にいた。  わたしは横目で少しだけ彼を見たが、それ以外はずっとそっぽを向いていた。  正一少年は、わたしを見ても何も言わなかった。それは、驚きや憎しみから閉口して黙っていたのか、わたしが強いた「わたしに話しかけてはいけない」という約束を守ったのか、わからなかった。  わたしは退廷のとき、何ら知らぬ顔で前を向いたまま古畑母子の前を通りすぎた。「わたしに話しかけないでくれ。反応しないでくれ」と正一少年に祈りながら。  正一少年は、今回のこの事件についてどう思い、どう考えているだろう。それはわたしには生涯わからない。わたしは二度と彼に会うつもりはないからだ。彼もわたしも、それぞれにこの事件について、何らかの答えを出して生きていくしかない。わたしが思うのは、彼はこの件についてこの先も折に触れて思い出すことがあるだろうけれど不必要に囚われて思い悩まないで欲しいと言うことだった。
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