二番手の結婚

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 タクシーの中で僕らは言葉を交わさなかった。  ずっと外に顔を向けていたので彼女の表情はわからない。  それでもずっと繋いだ手から彼女の熱が、感情が流れてきた。  十五年来ずっと感じていた引け目が高揚感へと変わっていった。  豪奢なエントランスがある築浅の綺麗なマンションはそれだけで格が高いことが分かった。  彼女がそこに住んでいるということはつまり、勝がそれだけ稼いでいるということでもあった。 「健一くん、今日はありがとうね。久々に会えて楽しかった」  エントランスのオートロックの前で彼女は振り向いた。 「え? ああ、うん。こちらこそ楽しかったよ」  お開きを示唆するような彼女の言葉に混乱した。 「えっと、ここまで来たしお茶の一杯でももらえないかな?」  ここまで来て手ぶらでは帰れない。  と言うより、昂った感情を持て余したくなかった。 「ごめんなさい、部屋のなか散らかっているから――」  彼女の返事に驚愕した。  あれだけ思わせぶりな態度を取っておいてあまりにもひどい結末だと思った。 「ここまで来たのにそれはないんじゃない?」  彼女にせまって肩を掴んだ。 「ここまで来てって、健一くんが勝手にタクシーから降りてきたんじゃない。まさか一緒になって降りてくると思わなかったんだもの」 「は? それってつまり送ってってタクシーでマンションまで送れってことだったわけ?」  沙奈絵はさも当然とコクリと頷いた。  あまりにもそれが身勝手に思えて、腹が立った。あれだけの思わせぶりな態度はなんだったんだ。 「健一! 久しぶりじゃん」  いきなり声を掛けられて驚いて感情に空白ができた。  声がする方を振り返るとそこには面影を残しつつもやり手のビジネスマンという風体の勝が立っていたのだった。 「ま、まさる。久しぶり」  沙奈絵の肩から手を放す。 「なんだ、沙奈絵のことわざわざ送ってくれたんだ?」  解放された彼女に勝は視線を向けた。 「あなた、お帰りなさい。少し飲み過ぎちゃったから、健一くんがここまで送ってくれたの」  答えに窮していた僕の代わりに彼女がそう答えた。 「そうだったんだ、わざわざありがとな。せっかく久々に会ったんだしうちに上がっていきなよ。ちょうど出張先のご当地ワイン買ってきたから飲もうよ」  なんの疑いもない勝の無邪気な態度に心が苦しくなった。 「いや、悪いけど今日は帰るわ。明日も仕事あるし」  バツが悪くなって僕はそう言っていた。 「そっか、仕事ならしょうがないよな。じゃあ今度彼女つれてきなよ。四人で遊ぼうよ」  勝は沙奈絵の肩を抱き寄せた。  その台詞に、その行動に微かに怒りを覚えたが、負い目があるために笑顔でその感情を隠した。 「今、彼女いないんだよ。彼女作る秘訣ってやつをご教授願いたいもんだね」  悪意なく発言したであろう勝に、僕は鼻で笑うようにして言葉を返した。 「秘訣ってわけじゃないけど――」  勝は照れたように頭を掻きながら一度沙奈絵を見てから言葉を続けた。 「やっぱ相手にとっての一番になることじゃない?」  耳を疑った、沙奈絵の中で少なくとも二番手以下な勝のくせに、どの口が言うんだと思った。あまりにも滑稽で笑いが込み上げてきた。 「ははっ、勝、お前ってめでたいやつだな! 沙奈絵の中で一番だと思っているんだ!」  乾いた笑いが止まらなかった。 「ああ、健一。なんか勘違いしているけどさ、俺が言った一番っていうのはさ、彼女に一番愛されることじゃなくて、彼女を一番愛することだと思うんだよね」  勝の言葉に込み上げた笑いがピタリと止んだ。 「なんだよ、それ。単なるきれいごとじゃんかよ。だったらストーカーなんかみんな一番になりうるじゃんか」  勝はヤレヤレと首を振った。 「それは飛躍し過ぎだけど、そもそもストーカーは執着であって愛じゃないからね。奴らは自分の欲を満たす行動しかしてないじゃん。もし本当に相手のことを大切にしているのであれば、拒絶された時に身を引いてしかるべきなんだよ」  ぐうの音もでなかった。 「なんだよそれ、別に屁理屈なんて求めちゃいないんだよ。そもそも結婚だって婚姻届け一枚の単なる契約じゃんかよ」 「勝くんはさ――」  沙奈絵が前置きの様にポソリとそう口を開いた。 「勝くんは、誰よりも私を大切にしてくれたのよね。大切にするって守ってくれるだけじゃなくてさ、道を踏み外した時は叱ってくれたり、助けてくれたり。結婚って単なる契約っていうけど、その契約にはその相手と幸せになるっていう覚悟がのっているんだよ? それがどれだけ大変なことか分からないの? 高校の時は健一くんのこと好きだったけど、健一くんって結局自分が一番大切なんだろうなって、そんな人と幸せになろうという覚悟なんて少なくとも私にはできないよ」  彼女に裏切られたような気がしていた。 「なんだよそれ、さっき僕が結婚したら幸せだったろうなって言った時笑ってたじゃんかよ」  彼女はゆっくり頭を振った。 「それは、健一くんの感想でしょ。そこに私の幸せはちゃんとあるの?」 「あ、当たり前じゃんかよ」  そう言って僕は沙奈絵を見据えると、彼女が何か反論しようと口を開きかけた時にスッと勝が間に立って僕らを遮ったのだった。 「健一、とりあえず今日はもう帰った方がいいんじゃないか? 沙奈絵も、さ?」  たしなめるような口調で立ちはだかる勝を睨みつけたが、感情の読めない瞳で見つめ返す勝に圧倒されて僕は視線を逸らさざるを得なかったのだ。  背格好はほとんど同じはずなのになんでこんなにも勝が大きく見えるのだろうか。 「そうだな。帰るわ――」  僕はボソリとそう言って踵を返した。 「積もる話もあるから、今度改めて遊びに来いよ」  背後から勝の屈託のない声が響く。  僕は振り向くことをせずに、手を上げて返事をした。  それが今の僕にできる精いっぱいだったのだ。  一番じゃなきゃ意味がないと思っていた。  だからこそ、自分はずっと一番だと思っていた。  なのに、僕はいつの間にか一番じゃなくなっていたのだ。  いや、そう思っていたのは僕だけだったってことなんだろう。  勝が結婚して、僕が結婚できない。  つまりそれが結果なのだ。  マンションから出ると、季節外れのにわか雨が降りしきりあっという間に全身を濡らしていったのだった。  ~おわり~
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