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 目覚めると、眩しい陽光の差す白い部屋にいた。ベッドもカーテンも、テーブルも壁も、何もかも白い。どれも見覚えがなく、眠る前とは違う場所に来たように感じるが、それもいつものことだ。単に記憶が抜け落ちただけとも言えない類の違和感。私はもう何度も感じているのだが、未だにそれが何故だか分からない。  窓の向こう側には、青々とした田畑が何キロ先も続いている。何度目覚めても田畑は青いままで、誰かが耕しているところは見たことがない。夜を目にしたこともない。  ベッドから立ち上がって何もない室内を彷徨い歩く。その時、私は何かの習慣のように冷蔵庫の中を覗くが、何もないことを知っていた。何も食べる必要はないというのに、食べ物がないのを物足りないと感じる。  再びベッドに戻って腰かけたところで、バイクの音が近付いて来る。周囲に建物がなく、人の気配がまるでないこの地にも宅配が届くのかと、いつも不思議に思う。  ポストに郵便物が押し込まれる音を聞きながら窓辺に近付くと、宅配物を届けに来た人物が見える。だが、いつも影になっていて顔が分からない。顔がなかったとしても私は驚かないだろう。  窓から身を乗り出して声を張り上げた。 「あの!」  人影がこちらに顔を向ける。顔はやはり見えない。まさに影が服を着ているようだ。 「いつもありがとうございます。気を付けて」  勝手に口を突いて出たのは、そんな当たり障りのない言葉だった。人影は頭を下げ、そのまま走り去る。  エンジン音が聞こえなくなるまで待ち、風に乗って田畑の匂いが運ばれてきたところでドアから外に出た。遮るものが何もなく、目が眩むほどの白い陽射しが降り注いできて、数秒間、瞬きを繰り返して慣らしていく。  目が慣れたところで辺りを見渡しても、相変わらずの田畑が広がるばかりで、面白いものは何もない。ここは誰かの夢の中で、叫んだらその誰かは目を覚まし、私は消えてなくなるのではないかという妄想をした。  自分の妄想を笑い飛ばせないまま、長い間景色を眺め、太陽が僅かに西に寄った気がしたところで郵便物を取りに行く。  どうにもこの何もない景色を眺めていると、思考がうまく働かなくなる。特別気に入っているわけでもないというのに。  郵便受けを覗くと、一束の新聞が入っていた。ちゃんと日本語で書いてあっても、異国の言葉のように遠く感じる。この新聞に載っている誰もが、私のいる場所からどれほど離れた場所にいるのか、あるいはいないのかさえ分からないからだ。  私は新聞にざっと目を通し、すぐに捨ててしまおうと思ったが、ある記事に目が止まった。 「男女二人組が心中を図り、入水したと思われる。海岸に流れ着いた時には……」  途中まで何気なく読み上げていき、男女の名前に目を向けるが、特に思い当たることはない。私はここにずっと一人で住んでいる。知り合いなどいるはずがない。  私はその記事のある一面を広げたまま立ち上がり、もう一度ドアの方へ向かう。一日一回と決めているわけではないが、一回以上出たことがなかった。家の周辺以外にも行ったことがない。  少し緊張しながらドアノブを回し、外へ一歩踏み出す。そこには変わらない景色があったが、空は既に茜色に染まり始めていた。  どこか焦りを覚えて、私は家から離れて走り出そうとする。しかし、家のすぐ傍にあった田んぼから向こうへは行けなかった。見えない何かに阻まれているように、いくら前へ進もうとしても一歩も進めない。私はそれに抗い続けたが、日が沈んでしまう寸前でふっと意識が途絶えた。
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