結婚の条件は「ちはやぶる」

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5 「そっか……、成る程ね。つまり、君はということだね。がっかりだよ」  もはや、小浅さんの瞳は冷たかった。まるで、家の中に現れた害虫を見るような目で俺を眺めていた。 「は……? 何で? 何が悪いんだよ。そっちから話を振ってきたんだろう」  あまりに突然な掌返しの態度に、俺は我慢できずに苦言を呈す。すると、彼女は「チッ」と舌打ちをして、吐き捨てるように言った。 「実はね。これはテストだったんだよ。ちなみに、君が今日、この場で私に告白することは知っていた。突然のディナーのお誘いかと思いきや、店は超高級料理店。何より、今日はクリスマスイブだ。男性が女性をディナーに誘うのは十中八九、デートのお誘いだろうからね。  そして、私に対する告白が『結婚を前提にお付き合いしよう』という内容であることも予測が出来た。女性を先に店に入らせて待たせるなんて、普通のデートで考えたら一発退場ものの失態だ。だが、君はそれにもかかわらず、私を待たせて『忘れ物』とやらを取りに行った。その際に君は『ちょっとだけ待ってて』って言ってたからね。まず、忘れ物は『探す』必要があるものではないと分かる。探す必要がある物なら『ちょっとだけ』とか時間については言及できない筈だから。となると、次に浮かぶ選択肢は『取りに行く』。デートの前に彼女を待たせてまで取りに行く忘れ物ということは、このディナーの間に『使う』必要があると予想できる。そう考えると、忘れ物の内容は『指輪』或いはそれに準ずるアクセサリーの類いで、私に告白する為のプレゼント。そこまでの品を渡す告白だと『結婚を前提に』という言葉が出てきやすいと思ったんだ」  ……凄い。流石は小浅さんだ。そこまで見抜かれていたとは。小浅さんは話を続けた。 「ちなみに、君が三月から私と必要以上に距離を縮めようとしていることは分かっていた。だから、君が私に好意があるということも薄々、気付いてはいたよ。だけどね……」  ここで彼女は言葉を切り、俺を睨みつけた。 「許せなかったのは、だよ。私は真剣に英文学を研究したいと思って、あのゼミに入った。だが、君が私と同じゼミに入ったのは『小浅莉奈と一緒の空間に居たい』という邪な考えだろう? いや、そうではない可能性もあった。偶々、私と希望のゼミが同じで、君が真剣に英文学を勉強したいから、あのゼミを選んだ可能性もね。だが、君は教授の質問にも頓珍漢な答えを連発し、課題にも真面目に取り組まない。だから、私と一緒に居たいだけでゼミを選んだ可能性が七割程度はあると思っていた。それでも、君が単に能力不足である可能性も三割ほど否定できなかった。だから、だよ」  俺は体中の震えが止まらなかった。俺の意識の低さが彼女に見抜かれていたのか……。彼女は俺の不真面目さに嫌悪や憎悪の感情を向けている。理由は分からないが、俺はそれが怖かった。 「実は私はのようなものに属していてね。その教団の教義は『こと』なんだよ。だから、君が『英文学を含む言語学と真面目に向き合っている存在』なのか、或いは『恋愛感情などの惰性で言語学を汚す愚か者』なのかを見極める必要があった。  そして、私が欲しかった答えは『在原業平の原点の歌に美しさを感じる』、『改変され、いい加減な内容に解釈された古典落語の方に嫌悪感を感じる』だったんだよ。英語でもそれは同じ。正しい解釈、正しい言葉の使い方こそが『言葉と真面目に向き合う』ということなのだから……。  だが、君はむしろがお気に召したようだね。つまり、君は言葉と真面目に向き合っていない人間であり、私が最も嫌悪する人種であることが証明された訳だ。  というわけで、今後一切、私には近づかないで欲しい。『結婚を前提にお付き合い』の返事はNOだ」  そう吐き捨てると、彼女は鞄を掴み、席から立ち上がった。俺は慌てて彼女を引き留めた。 「待ってくれ! 確かに、俺は君目的であのゼミに入った! 言語学を真面目に学ぶ気なんか、さらさら無かったんだ。それは謝るよ。君の邪魔になっていたのかもしれない。それは本当に悪かった。  でも、これから心を入れ替えるよ! 君の言う『言葉と真面目に向き合える』人間になれるように努力する! だから、もう一度、考え直してもらえないか?」  必死で土下座し、頭を床に擦り付けた。そんな俺の肩を彼女の手がポンと叩く。 (考え直してくれたのか……)  一縷の希望を抱き、俺は顔を上げた。だが、彼女の表情は冷徹なままだった。彼女は言い放った。 「牛を殺して食べる男にヒンドゥ―教の女性は添い遂げたいと思うか? イスラム教の男性が豚肉が大好きな女性を妻にしたいと思うか? インドにおいてクシャトリヤとダリット(不可触民)が結婚できるとでも? エホバの証人という宗教団体でも信者以外との恋愛は禁止している。  つまり、価値観の違う人間同士が交わることなど、どの国のどの文化においても有り得る訳が無いんだ。身の程を知れ。愚か者が」    彼女は去って行ってしまった。メインディッシュはまだ来ていない。俺の頬からツーっと一筋の涙が零れ落ちた。  指輪の箱がポケットから落ちた。 (完) (※注 一部、不適切な表現が出てきましたが、これはあくまで登場人物の思想であり、筆者の思想ではありません)    
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