第10話 出立

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第10話 出立

 慌てて夜中に荷物をまとめたニケだったが、思った以上に何も持っていなかった。  半人前の薬師(くすし)なので自分専用の薬箱も無く、服も誰かのおさがりを二着くらいしか持っていない。  時計を見ると、とっくに真夜中を超えていた。  子どもたちの寝顔をもう一度見て、その隣で布団に横になると、どっと疲れが押し寄せてくる。目をつぶると、一瞬のうちに眠ってしまった。 「ニケー! 起きろよ!」 「んーうるさいなぁ、今日は薬所(やくしょ)お休みでしょ。もう少し……」 「あっ、シオン様だ!」  その声にニケは飛び起きた。 「えっ、シオン!?」 「はっはー! ニケのばか、だまされてやんのー!」  子どもたちはそう言ってぎゃーぎゃー騒ぎはじめる。ニケはだまして起こしてきた子どもをとっ捕まえると、くすぐり攻撃をした。  朝からニケと子どもたちの楽しそうな声が薬所(やくしょ)に響いた。 「あっ、シオン様だ!」 「今度はだまされないんだからね。捕まえた!」  くすぐっていると、他の子たちがニケの服を引っ張る。「シオン様、本当!」と言われて入り口を見ると、そこにはシオンが立っていた。 「あっ……と、えっとこれはその……」  ニケはその場で固まる。 「ずいぶんと楽しそうだな。準備できたら行くぞ。あと、ノックはしたからな」  シオンはふと笑うと、部屋から出て行った。  ニケは恥ずかしくて顔を真っ赤にして、そしてそれをまた子どもたちに散々からかわれた。  朝食はいつも通りにぎやかで、食べ終わると、ニケは荷物を確認する。  ニケが唯一大事に持っていたものは小さな日記で、そこに今まで学んだことが全部書いてあった。  それをしっかりと鞄に入れると、ニケは精霊の森まで走っていった。 「――チイ、ビイ!」  走ってくるニケを待っていたかのように、二人はそこにすでにいた。手を伸ばすと飛んできてニケにじゃれつく。  視線を感じて見ると、そこには昨日、毒キノコにあたってしまった精霊もいた。 「あ。元気になった? もう大丈夫? お腹痛くない?」 『ニーケー。この町の守護精霊(しゅごせいれい)様だぞー』  チイが意地悪な声でそう伝えてくる。守護精霊(しゅごせいれい)とは、精霊樹(せいれいじゅ)を守る役目のある一番力の強い精霊だ。  ニケは「え?」と口をぽかんと開けたまま、狸のような姿の精霊を見つめて固まった。 『良いのだよ。この少女は救ってくれたからの。少女よ、行くのか?』  守護精霊(しゅごせいれい)が、ニケの前に進み出て座った。ニケも思わず正座をして向かい合う。 「あ、はい。シオンと一緒に行きます」 『ニケ行っちゃうの、寂しいよ』 『また戻ってくる?』  チイとビイがニケの膝の上で首をかしげる。ニケは、たまらなくなって二人を掴むと、ぎゅっと抱きしめた。 『わ、ニケ苦しい!』 「チイ、ビイ、友達でいてくれてありがとう」  ニケは大きく息を吸い込んで、太陽と森の香りがする二人に頬を寄せた。二人も、目をつぶって、ニケにほおずりする。 『僕たちはずっと一緒だ』  二人がするりとニケの腕から抜ける。そして、守護精霊(しゅごせいれい)の頭の上にとまりなおした。 『少女よ、祝福を授けよう。わしの角に両手で触れよ』  ニケは言われた通り、守護精霊(しゅごせいれい)の古びた一本角に恐る恐る触れた。  ――瞬間。  精霊三人からとつじょ猛烈な勢いで草花が伸びだして、ニケの肘まですっぽりと包み込まれる。ぐんぐんと成長したそれは、見る見るうちに花を咲かせて光る粉を散らして爆ぜた。  手を離していいと言われて、見ると、光る粉がまだキラキラとニケの腕についている。その一つが右手の甲に入り込むと、蔦模様を描いて光って消えた。 『道中、気を付けてな』  守護精霊が、笑うかのように目を細めた。 『ニケ、大好きだよ』  チイとビイが、名残惜しそうにニケに近寄って、身を擦り寄せてきた。 「私も大好きだよ。二人とも大好き。守護精霊(しゅごせいれい)様、ありがとう。私、行ってくる。立派な薬師(くすし)になってくる」  ニケは、チイとビイともう一度抱き合うと、森を後にした。  *  薬所(やくしょ)に戻ると、入り口の外にはすでに荷物を背負ったシオンがいて、子どもたちが見送りのために彼の周りを囲っていた。 「ニケ、どこ行って」 「ごめんロン、ちょっと森に! シオン、ごめんお待たせ!」  そう言うと、ロンのげんこつがニケの頭に飛んでくる。 「シオン様、だろニケ。まったく、お別れ前なのに怒らせるなよ」  ロンは困ったやつだと笑いながら、ニケに手紙を差し出す。昨晩見た、師匠が書いた手紙だった。 「え、いいの、これもらって?」 「うん。ニケのことを知る手掛かりになるかもしれないから。気を付けて行ってくるんだぞ。くれぐれも、シオン様のいうことを聞いて、人にも患者にも優しく自分には厳しく……」  分かったよ、とニケがそのロンを止めた。もう何百回となく聞いたロンのそのセリフが懐かしい。  ニケは、ロンに飛びついた。ロンも、一瞬驚いた顔をした後に、彼女を抱きしめた。すると、小さい子たちが「ニケ!」と言いながらいっせいにニケに飛びついてきた。  ニケはかがみこむと一人ひとりを抱きしめて頭を撫でる。 「みんな、元気でね。風邪ひかないでね。お腹出して寝ちゃだめだからね。あれ、なんか私ロンみたいに口うるさいこと言って……痛いっ! ロン、げんこつ嫌だってば!」  みんながそのやりとりに笑う。ニケは立ち上がると、服を正した。そして、シオンを見る。シオンは行こう、とほほ笑んだ。  みんなが薬所(やくしょ)の前で大きく手を振っていた。ばいばーいという声が追ってくる。見えなくなるまで手を振って、そして、角を曲がると、本当にその姿が見えなくなった。  しばらく、ニケはシオンと並んで、黙って歩いた。  町の出口まではすぐそこで、そこに一人の人物が立って腕組みをしていた。 「……ビビ?」  ニケは足を一瞬止めて、そしてビビに駆け寄った。 「ビビ、見送り来てくれたの?」 「勘違いしないでよ。あんたの事なんか大っ嫌いなの。本当なら私が行くはずだったのになんでニケなんかが……」  ビビはニケをにらんだ。思わずニケが一歩後ずさる。 「あ、えっとごめん、色々」 「ふん。いいわよ、別に」  それよりこれ。そう言って、ビビが差し出したのは、師匠が身に着けていた大きな魔法石が埋め込まれた首飾りだった。 「これ、持ってきちゃったの!?」 「あんたが一番師匠と長くいたんだから、これくらい持って行ってもいいんじゃないの。薬所(やくしょ)には形見はいっぱいあるけど、あんたは出て行っちゃうから見れないし」  ニケはそれを見つめてぎゅっと握ると、首から掛けた。 「ありがとう、わざわざ」 「いいわよ。ニケが勝手に持ち出したって言うから」  ニケはそれには困った顔をしたが、気を取り直すとビビに抱きついた。 「わ、ニケ恥ずかしいから離れなさいよ!」 「ビビ、ありがと。またね」  ふん、とビビは鼻を鳴らす。ニケはビビから離れると、大きく手を振った。 「また帰ってくるね、元気でね!」  ビビはもう一度ツンとした顔で笑った。ニケは、シオンに向き直って「お待たせ」と言うと、二人で歩きだした。  町を出て、新しい世界の広がる道をニケは歩き始めた。
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