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プロローグ
その日、空から降って来たのは、巨大な竜の死骸だった――。
「ねえ、師匠。なんで竜がお空から降ってきたの?」
まだ小さなニケは、短い足を懸命に前後に動かして歩きながら、師匠の大きな手を繋いで質問した。
「竜も、病気にかかるんだよ。かからない人間も、精霊もいないんだ」
「竜は精霊の王なのに?」
「そうだよ。竜だって、病気にかかることもある。治してあげないとね」
「うん。ニケが全部治してあげる!」
その時、図鑑や魔術書にも記されていない竜は、とつじょ空から降ってくると、山に囲まれた小さな町に落下した。その衝撃によって町の三分の一が壊れてしまったという。
竜はその希少性から精霊王と呼ばれ、その姿を見た者は近年ほとんどいない。その精霊王が、突如として空から落下して来たのだから、町中が大騒ぎになり、伝聞師たちによって、あっという間に世界中にその知らせが広がって行った。
その竜の落下事件が起きた数日後——。
落下した竜を抱え込んでいた町の住民たちに異変が起きた。
原因不明の高熱、悪夢にうなされ、全身に青紫色の斑点が広がっていくという奇病が突然に流行った。
そして、みるみる痩せ細っていき、数日後にはみんな死亡した。
原因不明の病がどこから来たのかを人々が調べる段階になって、空から落ちて来た竜にも同じように青紫色の斑点が身体中に広がっている事を知った時には、すでに遅かった。
不死と言われる竜の謎の死骸の身体から発生したとされるこの奇病は、その町を中心に、どんどんと近隣に広がっていき、気がつけば全世界へと広がっていた。
〈竜の患い熱〉と後になって付けられた病名は、たちどころに世界中の人間を恐怖へと陥れた。精霊にも、人間にも、その治療法はわからなかった。
あまりの感染力の強さに、世界中の名だたる魔導師たちが集結して、その病原体を持ち込んできたとされる竜を、世界の果ての永久凍土へと封印した。
それによって、ゆっくりと感染者は減少していったのだが、いまだにその治療法が見当たらない不治の病として恐れられている。
それまで協力関係を築けていた人間と精霊の間に、大きな溝が生まれてしまったのは、精霊の王である竜から発生したこの謎の病原体によってだった。人間には猛威を振るうこの竜の患い熱は、精霊には罹らなかったのだ。
竜が空から降って来て以来、人と精霊は、その立場の均衡を崩し始めていた。
――それから、十年もの歳月が流れる。
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