第29話 洞窟の奥

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第29話 洞窟の奥

 焚火になる小枝をかき集めながら歩いていた二人は、洞窟に入るとすぐに追加の木を拾いに行き、入り口に溜まっていた落ち葉をかき集めて中へと運んだ。  思ったよりも洞窟は乾燥しており、奥にはまだまだ先があるようで、蝙蝠たちの気配もない。  焚火するに充分な量の枝が準備できた二人が、寝床にするのに落ち葉をさらに集めている時に、ぽつぽつと大粒の雨が暗い空から降ってきた。  遠くで鳴りはじめた雷の様子からして、それなりにひどい雨になりそうだった。 「良かった、濡れる前にいろいろ準備できて」  ニケが安心して焚火を準備した。火起こし草という油のたっぷり含まれた草をシオンは薬箱から取り出す。火起こし草は、冬の雪深いところでも焚火を燃やし続けることができるほどに油分を含んだ草で、旅の時にはこれは欠かせない。  マグナだったらきっと、火を一瞬で熾せるのだろう。自分も魔力の調整ができたのであれば、いともたやすく火起こしにしろ、何にしろできるのかもしれない。そんなことをニケはぼんやりと思いながら、結局は火打石で火をつけた。  何かを考えこむニケに気づいていたシオンだが、しかし声をかけることはしなかった。  二人は黙って、やるべき作業をこなした。雨はひどくなるばかりで、雷に照らされて一瞬昼間のようになる森を見ながら過ごした。  雨と共に雷が激しくなってくると、ニケはどうも恐ろしくなってきて、洞窟の奥の方へと移動した。 「どうした?」 「あんまり、雷得意じゃないみたい」  縮こまりながらも、何とか取り繕うとするその顔は、血の気が引いていた。 「ひどい顔してるぞ。何か、温かいものでも飲むか?」  気持ちを落ち着ける薬草を煮出して飲めば、冷えた身体も温まり、すぐに寝ることだって可能だ。  光に一瞬浮かび上がるニケの顔色があまりにも悪いので、シオンは脈をとってからいくつかの薬草を混ぜて湯に入れた。  しばらくしてシオンは煮出したお茶をニケに差し出す。  師匠がくれたお茶とは全く違う香りと味だったが、とても安心して眠くなるような香りに、ニケの瞼が重くなった。 「俺は側にいるから、ゆっくり休んで」 「うん、ありがとう」  フードを目深にかぶって、小さく丸まって寝る姿は、まるで小さい子どものようだった。薬草が身体に合っていたのか、しばらくするとニケの寝息が聞こえてきた。  シオンはそれを確認すると、薬箱からハミルにもらった半透明の金色の液体が入った小瓶を取り出す。  焚火にかざしながら、きらきらとまるで光を発しているかのようなそれをじっと眺めた。  ふたを開けて匂いを確認する。嗅いだことのあるような匂いだが、それはどこで嗅いだのか、何の薬草やどんな材料だったのかは思い出せなかった。いくつもの匂いが混じり合っていて、特定できるようには思えない。  手に数滴垂らしてみたが、何の変哲もないように感じられて、舌先で味を確認する。やけに甘い味がして、舌を後からピリピリと刺激する。  その刺激が終わった後には、喉の奥がやんわりと温まってくるかのようだった。 「これなら、ニケに飲ませればよかったかな」  ただの栄養剤なのであれば、甘みも強いことだし、今日のあまりにも顔色の悪かったニケに飲ませれば、よく効いたかもしれない。  もう数滴を手のひらに垂らして、味を確認したのだが、一部使われている薬草は思いつくものの、主成分は何なのかがシオンにもわからなかった。  とりあえずそこまでにしておいて、明日ニケにも数滴飲ませてみようと思いながら、シオンも手を止めて休むことにした。  * 『……いで、……おいで』  風の鳴る音かと思ってニケが目を開けると、今度ははっきりと『おいで』と聞こえた。慌てて飛びあがったのだが、そこに誰かがいるわけでもなかった。  燃え残りの焚火がぱちぱちと爆ぜる音がする。見れば、シオンは隣の落ち葉の布団で静かに寝ていた。 『後ろ』  言われてニケが後ろを振り返り、言葉を失った。洞窟の壁一面に、青白い光が灯っていた。 「……なにこれ、光る苔?」  見たこともない青白く光る苔に、一瞬にして心を奪われたニケが立ち上がる。外をちらりとだけ見ると、雷は遠ざかり、雨はだいぶ小降りになってきているようだった。  奥の青白い苔に顔を戻し、シオンを起こさないようにして一歩奥へと踏み出した。 「もしかしてここは、精霊の洞窟……?」  歩いて行くと、苔たちは瞬きをするようにゆっくりと光の大きさを変えているように揺らめく。触ってみると、確かに苔のような肌触りなのだが、それにしてはだいぶざらついていた。 「奥に、何かあるの?」  ニケに話しかけてきたのは精霊のようだった。しかし、ニケの問いかけには答えてくれない。  青白い光を放つ苔をたよりに、それに導かれるように奥へ奥へと進んだ。  どれくらい歩いたかは分からないが、それほど遠くまで来たような感覚ではない。しかし、水のはねる音とかすかな風を感じて、ニケは奥まで歩調を速めた。 「誰か、いるの?」  ほの明るい洞窟をだいぶ進んだ先に、突如としてひらけた空間が現れ、ニケは足を止めた。 「……!」  人が何百人も入れるような空洞がそこにあって、脇にはぽたぽたと上から滴る水が、見たこともないような深い青さで岩を削った窪みに水たまりを造っていた。 「すごい!」  足元にはびっしりと青白い苔が生えており、それは上下左右関係なく群生しているため、まるで青い光に包まれた空間だった。光は揺らめき、瞬き、その幻想的な光景にニケは見入った。  しゃがみこんで、その苔を手に取ってみる。ふわふわと点滅しながらしばらく光っているようだった。 「たぶん、碧海苔(へきかいごけ)だ、これ」  精霊の森の洞窟に生息すると言われる、いわゆる希少な苔の一種で、岩肌に貼りついて夜になると光るという。頭に叩き込んだ精霊薬学辞典から、その情報を引っ張り出してきた。 「誰もいないの?」  精霊が呼んだと思ったのだが、ニケの前に姿を見せてくれない。ニケはまあいいかと思いながら、その青い苔の地面を楽しみながら歩く。  まるで、精霊に包まれたかのように心地の良い空間で、最初からこっちで寝ていればよかったななどとのんきに考えていた。  見たこともないような深い青みをたたえた水の近くへと向かい、それがいくつも連なっているのを見つけた。  ぽたぽたと水が垂れて、ゆっくりと波紋を広げる。長い年月をかけて、水が侵食してこの形を造っていったのだった。  ニケはさらにその空間をゆっくりと歩いていき、そして、風が吹いてきていることに気がついた。  おそらく、外に繋がっている個所がいくつかあるのだろう。  ふいに足元から生暖かい風を感じて、ニケが見やると、左手の壁にほんの少しの隙間があってそこから風が吹いて来ていた。  まるでおいでと言っているかのようなその風に、ニケはほほ笑んだ。 「ちょっとだけ見に行こう」  危なそうだったらすぐに戻ろうと決意して、明かり代わりに地面に生えていた碧海苔(へきかいごけ)を少しだけすくいとると、ニケはその隙間に自分の身体をねじ込んだ。
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