第32話 フォッサ小国

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第32話 フォッサ小国

 すでにたいぶ歩いていて、洞窟から抜け出すとそのあまりのまぶしさにニケが目をつぶった。  そこはフォッサ小国の辺境の森で、すでに小国内に入っているという。  まずは城へといざなわれたニケが、先に治療をさせてほしいから薬所(やくしょ)へ行きたいと言うと、それはできないと若い男が厳しい顔をした。 「今、捕まえた精霊たちから早く薬を造らなくてはだから、薬所で治療する暇はない」 「――今、なんて?」  それを聞かされた時、ニケの世界から、音という音が消えた。  頭が瞬時に真っ白になる。  若い男が、聞こえなかったのかと迷惑そうに眉根を寄せた。 「だから、この新薬は生きた精霊から造られているんだ。そのために、精霊狩りをしている」 「生きている、精霊……」  ニケは、思わず口から言葉が溢れ出した。 「そうだ。精霊は死ぬ間際になると、濃度の高い魔力を体内に溜めこむ性質がある。それを利用して、精霊をわざと瀕死にさせ、その身体から抽出した魔力を元にしてこの薬は開発された」  男の言っている言葉が理解できなかったが、しばらくして頭が冴えてくると、ニケは猛烈な怒りが体中を駆け巡るのを感じた。 「生きている精霊を殺すのは、禁じられているんだよ!」  捉まれた腕をはがそうと、その皮膚に自分の爪が食い込むのではないかというくらいに握ったのだが、若い男はピクリとも動かなかった。  生きている精霊をむやみやたらと捕らえたり、私欲のために売買したりすることは禁じられている。闇取引でそういうことがされている場合もあるが、基本的には、精霊と人とは、互いに不干渉の部分を多く貫きつつ、独自の世界を形成していた。 「そうだ。だから、この薬の製造方法や製造国が内密なんだ。公になったら、それこそ国の一大事だ。しかし、気づかれないようにしていれば何事も問題がない。精霊たちを内密に狩り、そして薬を製造して販売し利益を得る。全部の精霊を殺すわけじゃないんだから」 「この、鬼!」  ニケが手を振り払おうとしたが、にやりと男は意地の悪い笑い方をした。 「鬼で結構。大儀のためだ。このままじゃフォッサの国民が瀕死する。森の譲渡を持ちかけたが、守護精霊は聞き入れなかった。だったら、国民を守るためには強行するまでだ。お前、今の話を聞いたのなら、黙って帰れると思うなよ」 「嫌だ、行かない!」 「魔力を抽出し終わって、瀕死になった精霊を助けてほしいと言ったら?」  それにニケは暴れるのをためらった。若い男が傷ついた精霊をニケに見せつける。 「こうなってしまった状態の精霊を、薬師は放置するのか?」 「あなたたちが、こうしたんじゃない!」  今にも泣きそうになりながらも、必死にこらえたせいでニケの声は裏返る。 「そうだ。死んでしまった精霊もいる。でも、まだこの精霊のように、息がある精霊だってたくさんいるんだ…見過ごせないよな――薬師なら」  ニケは血が出るかと思うほどに下唇を強く噛んだ。 「そんな怒るなよ。お前には、やってもらわなくちゃいけないことがたくさんありそうだ。弾かれ者の薬師や魔導士崩れじゃ、やっぱり魔力が少なくて精霊とまともにやり合えない。お前ほどにはっきり見えているのならば、すぐに仕事に取りかかれる」 「その前に治療を……」 「そんなの後だ」  話が違うじゃないかと、ニケは今度こそ暴れた。すると、若い男にそのまま羽交い絞めにされる。足をいくらバタバタさせても、小さいためにひょいと持ち上げられてしまい、ニケはさらに暴れた。 「帰して、私行かない!」  暴れるニケに、壮年の男がゆっくりと言い聞かせるように口を開いた。 「私たちのいうことをいい子に先に聞いてくれたら、後でいくらでも治療できるように手配する。国の専属の薬師にだってなれる」 「いらない!」  往生際の悪い子は嫌いだと壮年の男が困った顔をすると、若い男に目配せする。羽交い絞めが解けたかと思うと、みぞおちに鈍い痛みが走って、ニケは気を失った。  目を開けると、清潔なベッドに寝かされていた。起き上がったニケは、胸の痛みに唸った。吐き気が押し寄せてきて口元を抑え込んで半身をベッドの端に預ける。  近くにあった水差しに用意されてあった水を飲みほすと、気分が落ち着いてきた。 「どこだろう、ここ」  窓から差し込んできた陽が窓枠の黒い影を伸ばしているのを見ると、夕方になっているようだった。起き上がってみると、特に身体は問題がなさそうで、胸のむかつきを抑え込みながら出入り口を探し、見つけてドアノブをひねったが動かなかった。 「鍵かけられてるのね。ということは」  外からカギがかけられる部屋。つまり、中の人間が出られないようにするための部屋だ。  ニケはどうしようかと取手をがちゃがちゃと動かしていてが、急に強い力がかかって、ドアが外側から開いた。 「起きたか」  そこには、さっきニケを昏倒させた若い男と、壮年の男がいた。部屋の中に勝手に入ってくると、二人はそこにあった椅子に腰かける。 「今日は休んでくれていい。お嬢さんの仕事は、精霊を捕まえることだ。明日、森へと行くから準備しておいてくれ」 「お断りします」  壮年の男は、困ったなと少しまなじりを下げた。 「いまさら往生際が悪いことを言わないでくれ。精霊たちには悪いかもしれないけれど、別に全てを殺すわけじゃないんだ。それに、君は捕まえるだけでいい。そして、傷ついた精霊たちを、治療して戻すだけだ。簡単だろう?」  虫唾が走るその話し方に、ニケの怒りが頂点に達した。 「困っているからといって、精霊を傷つけるなんて間違っています!」 「じゃあ君は、この国の人間が飢えて死ぬのは良いというのか?」  そういうのではないのだと言おうとしたが、声が出てこなかった。 「そもそも、命は天秤にかけるものではないだろう。だからといって、やすやすとくれてやるものでもない。弱肉強食なら、人だって知恵を絞って、この精霊がいる世界で生きて行くしかない。そこで、軋轢が起こることなんて、今に始まったことじゃないだろう」  男の言っていることは正しい。いつの時代でも精霊と人は分かり合えずに、戦ってきてしまった。そして、人間も精霊も、多大な被害を出すのだ。 「私は、この国を救いたい。今は、これしか手段がない」  壮年の男の顔に、冷静さが光った。それは、充分に苦しんだ顔をしていた。 「まさか、あなた王様…」 「鋭いな。いかにも、私がフォッサの王だ。王と呼べる手腕もないが。精霊も見えず、魔力もないただの人間だからこそ、目に見えないもの――精霊に怯えて生きることができない。私が王としてできるのは、自国の民を救うことだ。百年続くような基盤をつくることができればいいが、それができないから今は資金を集めている」  国王だという壮年の男は、深いしわを刻んだ顔に、夕焼けでできた黒い影を落とした。 「フォッサの民のために、お嬢さん、力を貸してほしい」  王はニケを射た。
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