私たち、番組の企画で同性婚することになりました。

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詩音(しのん)(かなで)。結婚しないか?」  五月の昼下がり。  レコード会社の会議スペースに呼び出された私と奏を待っていたのは、私たちのガールズバンドの音楽プロデューサー・夏虎(なつとら)Pによるそんな告白だった。 「ええと……」  隣を伺うと、ポカンと間の抜けた表情をする奏と目が合う。  ――ねえ奏、こいつは一体何を言っているんだ?  ――詩音ちゃん、わたしにも分かりかねます……。  アイコンタクトで完璧な以心伝心。 「とりあえず夏虎P、女二人を呼び出してWプロポーズとか最低だぞ?」 「プロデューサーさん、実は多様性に寛容になってきた日本でもまだ重婚は認められていなくて……」 「違ぇよ!『俺と結婚しろ』とは言ってないっつーの!」  夏虎Pは盛大にため息をついた。結論から申し上げろって先輩に怒られたばっかりなのにどうしてこう上手くいかねえんだ……、という切ない呟きは聞かなかったことにしてあげよう。 「順序だてて説明する。第一に、これは仕事の話だ」 「ほほう? ウェディングソングの依頼?」 「音楽方面っつーよりは、芸能人としての格を評価されての仕事の依頼だな」  私が「げ」と顔をしかめると、奏がくすくすと肩を揺らした。  今若者に人気を誇るガールズバンド『Teardrop(ティアドロップ)』……なんて自分で説明するのは恥ずかしいのだけれど、そんな肩書きでライブイベントや音楽番組を渡り歩くバンドのボーカルが私、日向(ひなた)詩音(しのん)だ。隣にいる月影(つきかげ)(かなで)はベーシスト。  私たちのバンドは音楽だけできればOKというスタンス……ではあるのだけれど、万人が発信者のこのSNS時代でそれを貫いていてはすぐに埋もれてしまう。なので、できるだけテレビ番組やイベント、雑誌の取材等のオファーも引き受けているのだ。  そういう芸能人系のお仕事かぁ。私の辟易を見透かした夏虎Pは苦笑しながら、 「さっき奏も言っていたが、最近日本で多様性を認める動きが活発化してるのは知っているよな?」 「まあ、なんとなくはネ」 「新しい総理大臣さんがその手の活動に意欲的なんですよね。諸外国に対する遅れを取り戻すべく、法整備の見直しやパートナーシップ制度の拡大に働きかけているとニュースで見ました」 「その通り。んでこれは内々に動いていることでまだ確実ではないんだが……」  夏虎Pは周囲に人がいないことを確認すると、口元を手で隠しながらぼそっと告げた。 「……近々、日本全国で同性婚が法律で認められるようになるらしい」 「へぇー………………えええええ!?」 「ほ、本当ですか!?」 「バカお前ら声がでけぇ! 俺が小声で話した意味を察しろ!」 「あ痛っ! 先に『リアクションするな』とか指示出せよぅ!」  ポカポカと頭を叩かれた。「あうぅ」と悲鳴を上げる奏の頭をよしよしと撫でる私をよそに、夏虎Pは説明を続ける。 「社長が知り合いの某政治家に聞いた話らしいんだが、ついに憲法改正に動き出すらしくてな。今の日本の動きを鑑みれば国民投票の三分の二を獲得し、同性婚が合憲となる可能性が高い…………らしい」 「資料丸読みだね夏虎P」 「『らしい』って連呼しすぎです」 「ロックンローラーは難しい話は分かんねんだよ」頼りないPである。「とにかくだ。約一年後、日本でも同性婚が認められるようになる。そこで、なんだがな……」  夏虎Pは一旦言葉を区切ると、私と奏の手を、それぞれ確認するように見やった。  具体的には――私と奏の左手薬指を、だったと思う。  そんな不自然な間合いで……あからさまに話を切り出しづらいと示している夏虎Pの沈黙で、私は話の流れを察した。 「私と奏に同性婚してほしいってこと?」 「し、詩音ちゃん!?」  狼狽する奏。何とも言えない表情で頷く夏虎P。最初に私と奏に『結婚しないか』って言ったのはそういう意味だったのか。  夏虎Pがなかなか口を開こうとしないので、私は一度左手薬指のペアリングに目線を落とし、それからため息交じりに話を進める。 「私たち、恋人なんですって公言してバンド活動してるもんねぇ」 「……それでも差別的な意見より応援してくれるファンの方が多いからな。そういう人間が結婚したってニュースを、お偉いさん方は即座に流したいんだろ」 「狙いはわかるけど……」  ちらり、と横目に奏を――私の恋人を伺ってみると、彼女は『結婚』というワードでまず思考停止してしまったらしく、耳まで真っ赤にしながら硬直していた。可愛いけど……そのリアクションは……うむ……。  すると夏虎Pが「すまん」と頭を下げた。 「俺はプロデューサーとしては、正直に言うと、お前達をこういう国のPR活動に利用されたくない。詩音と奏が学生時代に少なからず差別を受けていたのも、同性愛者だと公表した後に受けたバッシングも知っているしな」 「……プロデューサーと一緒に、バンドみんなで乗り越えたんですよ」  硬直から復活した奏がそう微笑み、私も夏虎Pもつられて頬を緩める。  夏虎Pは咳払いをすると、いつになく真剣な表情で告げた。 「国に利用されること自体は癪だが、お前達みたいに辛い想いをしてきた人たちの背中を押すことにも繋がるんだ。お前達さえよかったら、ぜひこの『同性婚第一号が誕生するまでの365日(仮)』に協力してほしい」 「おおっと、企画名聞くと一気に胡散臭くなったぞ?」 「テレビ番組なんですか?」  首を傾げる私たちに、夏虎Pは改めて説明を再開させた。  憲法改正の発議が行われてから国民投票が終わり、私たちが結婚式を挙げるまでを密着取材という形で追うテレビ番組の企画らしい。投票を左右しないよう企画の詳細は合憲となるまで伏せられ、違憲となった場合はお蔵入り。頼むぞ国民の三分の二というだいぶ危うい企画だ。  でも、それだけの反響は期待できる。  そして何より、私たち『Teardrop』のバンドコンセプトにぴったりだ。 〝辛く苦しんで流した涙を越えて、また明日笑えますように〟……そう考えると断る理由もないよね。 「だが夏虎P、この企画を受ける上で一個だけ問題があるんだけど」 「なんだ?」 「私、まだ奏にプロポーズしてない」 「………………マジ?」  マジマジ、と私が肯定すると夏虎Pの顔が真っ青になっていく。奏は……と彼女の事も確認したかったけれど、流石に顔色を窺う勇気はなかった。いやまぁ愛し合っている自信はあるよ? だけど結婚て。 「だだだ、だってお前ら左手薬指にペアリングしてるし、俺はてっきり婚姻届を出していないだけなのかと!」 「指輪と結婚は別じゃん」 「別じゃねえ……とは言えないんだったな。すまん」  そう。私たちの場合は法的に、指輪と結婚が別だったのだ。パートナーシップ制度はあるけれど、真の意味で運命共同体になることは許されていなかった。 「ねえ、奏」 「なんでしょうか、詩音ちゃん」  私は顔をそむけたまま、隣の恋人に聞いてみた。 「……夏虎Pのために結婚しよっか」 「……そうですね。夏虎Pのために結婚しましょう」 「悪かった、こんな形で結婚を決めさせて悪かったって! 謝るからそんな怖い顔で俺を見るな!!」  夏虎Pの盛大な謝罪に、私は奏と顔を見合わせて、笑った。  奏の左手に手を重ねてみる。そこにある指輪の感触をなぞって、改めてプロポーズしないとなぁ、なんてことを考えながら。  夏虎Pは「とりあえず企画出演はOKだな、後日打ち合わせと顔合わせの場を設けるから、また連絡するわ」と言って会議室を後にした。  今日は仕事もバンド練習もないので、そのまま自分の家に帰宅する。もちろん……というと変かもしれないけど、大学を中退して音楽活動に専念した時から奏と同棲しているマンションだ。 「とりあえず報告しないと、ですね」 「そうだね。バンドメンバーと……家族かな?」  LINEで簡素に伝えると、まずはバンドメンバー達から即電話がかかってきて祝福されてしまった。家族からも続々と祝電(?)が届く。余計な波風を立てて違憲となるのは私たちも望むところじゃないので、くれぐれも内密にするように伝えた。  ひと段落すると、ソファに沈む私の隣に奏がすり寄ってきた。彼女の枝毛の少ない髪を手で梳きながら、 「来年の今頃には結婚だってよ、奏」 「ふふ、実感が湧きませんよね。もう一緒に暮らしていて、お仕事も私生活も一緒。詩音ちゃんといない時間の方が短いはずなのに」 「ホント、今と何が変わるんだろうね」 「詩音ちゃん知らないんですか? まず戸籍が変わるんです」 「いやそういう意味じゃないんだけど……苗字は変わるんだっけ?」 「そうですね。夫婦別姓はまだですから」 「そっかそっか、ついに私も『月影詩音』かぁ」 「え? わたしが『日向奏』に変わるんじゃないんですか?」 「まさかの意見が割れた!? だって『月影』って格好いいじゃん! 残そうよ、私月影詩音になるよ!」 「うぅ、月影詩音という響きもとても魅力的でドキッとします……でも、えっと、これ言うの恥ずかしいんですけど…………わたし『日向奏』になってもいいなって、学生の頃から妄想してて……」 「へ?」 「……だって月は、お日様がないと輝けないから。わたしがベーシストとして頑張れるのは、いつも詩音ちゃんが導いてくれるからで……そんな詩音ちゃんと一緒の苗字になれるなら、いいかなって……」  うわ、うわうわうわ。顔を真っ赤にして逃げようとする奏があまりにも愛おしくて、私は逃がさないように彼女の胴体に腕を回した。 「本当に奏はもう……っ」 「うぅー……」 「ねえ、明日仕事ってどうだったっけ?」 「明日は朝からレコーディングです、ダメですダメです!」  私がそのまま手を這わせようとすると、ブンブンと首を大きく横に振る奏。彼女の髪が鞭のように鼻先を打つので、私はしぶしぶ腕を離した。 「ま、結婚するまであと一年はあるんだもんね。難しいことは来年考えよう」 「そうですね。それまでに説得材料を探して『日向奏』を押し通します」 「別に私は拘りないからね!?」  私が叫ぶと、奏はくすくすと肩を揺らした。  彼女のこの静かな笑い方が好きなんだよなぁ、と呑気に想っていた。  それから間もなく、与党が憲法改正の発議をしたニュースが流れるとともに、私と奏への密着取材が始まった。  といっても四六時中つきっきりになるワケではない。そりゃ、毎日政治的な動きがあるわけじゃないもんね。ニュースがあった時に取材のオファーが来たり、ライブやロケに時々クルーが同行したり。心的負担は想像以上に軽いし、普段は企画の存在を忘れて過ごしているようなものだった。 「そういえば、詩音と奏ってどっちが『(ふう)』でどっちが『()』なんだ?」 「はい?」  夏虎Pと次の楽曲の打ち合わせをしていた時、不意にそんなことを聞かれた。  ちらりと会議室の隅を見やる。今日は例の企画の取材クルーがいる日で、カメラが向いているので『話題を放り込め』と指示があったのかな、なんて邪推する。 「そもそも『夫婦』という括り自体多様性に背いているのでは?」 「それを言われると耳が痛いんだが……結婚する時そういう書類を出すよな?」 「夫になる者、妻になる者、だっけ」  細かい文言は覚えていないが、子供の頃に少女漫画雑誌についてきた婚姻届のレプリカにはそんな項目があったはずだ。 「同性婚で項目も変わるんじゃない? 婚姻する者甲、婚姻する者乙みたいな」 「婚姻する者乙はないだろうが……まあ、そりゃ変わるか」 「変わるでしょ」  なんて笑ってみせたけれど、私は内心、どきりとしていた。  私たちが何気なく協力を引き受けたこの企画は、この変革は、そういうことなんだと。私は今になってようやく自覚した。  不自由に思っていた『常識』が突き崩され、前例のない社会へ生まれ変わっていく。  これから秩序が編まれていく、自由で無秩序な社会へと。  私は、奏を、そんな世界で、幸せにしてあげないと――。 「……詩音?」 「……んーん、なんでもない。それより新曲とライブの話でしょ! ボーカルと音楽プロデューサーが顔を突き合わせてるんだからロックじゃない話は無しだよ!」 「お、おう。それもそうだな!」  じわりと滲んだ何かから目を背けるように、私はタブレットのテキストエディタを開いて無理やり話題を変える。取材クルーからの視線に夏虎Pは終始気まずそうにしていて、少し申し訳なかった。  その日を境に、私の中で極々薄い存在だった結婚が、一瞬で思考を制圧してきた。  何が『普段は企画の存在を忘れて過ごしているような~』だよ。少し前までの呑気な自分を恨めしく、羨ましく思う。  朝起きて、適当にテレビをつけると、憲法改正の国民投票に関する街頭インタビューが行われていて。  仕事の移動時間にスマホでSNSを眺めていると、私と奏が同性婚を利用するか否かでファンが口論(すぐ利用するか否か、だけど)を繰り広げているのを見つけて。  夜、ソファでうたた寝する奏の左手薬指には指輪が輝いていて――。 「…………」  今の今まで、私が視界に入れていなかっただけなんだ。私たちの恋心を法的に認めてもらうという事は、目を逸らすのも難しいくらい大切な出来事で。  きちんと調べて向き合わないとダメだ。  私は眠る彼女の頭を撫でてから、今更のようにノートパソコンと向かい合う。戸籍が変わると起こる事。結婚前にやっておくべき事。相続税や親権のこと……って子供か。子供は……奏は欲しいのかな。女二人で一緒に育てていくのかな……。 「…………」  なんだか、自分をみっともなく感じる。  今だって同棲してるし、奏のことは愛している。  そのはずだったのに、いざ結婚するとなると、こんなにも動揺している。  それじゃあ今までの奏への想いは、なんだったのさ。  彼女と運命共同体になる覚悟を、できているようで、できていなかったのかな。 「詩音ちゃん」  そんなタイミングだった。  背後から少し寝惚けたような奏の声がして、私は彼女の顔を直視するのが怖くて、振り返れなかった。 「……ごめん奏、起こしちゃったかな?」 「いえ、そもそもうたた寝するつもりもなかったので……詩音ちゃん?」  いつまでも振り返らない私を不審に思ったのだろう、奏が首を傾げて寄ってくる気配がした。私は……正解が分からなくて、ただじっと成り行きに身を任せていた。  そうして回り込んできた奏が、目を丸くする。 「詩音ちゃん、どうして……泣いてるんですか?」  え……? 慌てて自分の頬に手で触れると、確かに涙の感触があった。気づかないうちに泣いていたようだ。まさか私が、バンドでボーカルを担当するような女が、結婚への不安で――? 「これはその、ちょっと犬の動画を見てて」 「違いますよね。パソコン見ますね」  普段は柔らかな奏から想像もつかないキッパリした口調で、彼女は私が開いていた結婚生活に関するサイトを覗き込んだ。 「これって……ふ、ふふふ」  すると奏は――どうしてか、笑い始めた。え? なんで? 今笑う要素あった? 困惑する私に気付いて「ごめんなさい、バカにしているわけではなくて」と奏は首をふるふる横に振った。 「だって、それってマリッジブルーでしょう?」 「え――」 「詩音ちゃんがなるとは思ってなくて、その、嬉しくて……ごめんなさい」  結婚前に花嫁が抱く不安を指す言葉――。頭の中でそう思い浮かべた途端、私の頬をかあっと熱が帯びた。  同時に、安堵する自分もいた。  同性婚とか、自由へ飛び込む恐怖とか、世間一般でいうそれとはズレているのかもしれない。けれどその感情に名前が付けられているならば、その感情は万人が共有し、共感できる感覚という証明に他ならない。  私たちの結婚は、私の抱いたこの不安は。  特別だけれど、ごく普通のものだったんだ。  奏は私の頬を流れ続ける涙を撫でて、ふわりと笑った。 「詩音ちゃんがわたしとの結婚に真剣に向き合ってくれて、涙を流す程悩んでくれて、そのことは、とても嬉しいです」 「……違うんだよ。本当は、つい最近、やっと向き合う決意をしたの」  本音をぽつりと零す。頬に添えられた奏の手をそっとどけて、涙を腕でぐしぐしと拭って、私は最愛の人の肩を抱きながら、伝えた。 「でも、私、ちゃんと考えるから。奏と一緒に幸せになるために。奏と一生を共にするために」 「ふふ、嬉しすぎて死んじゃいますよ」  彼女は私が大好きな笑い方をすると、そのまま私の腕の中へと倒れ込んできて。 「でも一人で悩んで抱え込むのだけは禁止ですよ、詩音ちゃん。わたし達、これから家族になるんですから」  そんなことを言う彼女を、私は力いっぱいに抱きしめた。  無事国民投票は終わり、三分の二以上の票を獲得。憲法24条1項とそれに連なる婚姻に関する法律が見直されることになった。  私と奏が忙しかったのはそれからだ。結婚することを公表し、ひそかに撮り続けていた企画も宣伝され始めた。なんと同性婚の受理開始の予定時期がツアーの期間とダダ被りになり、テレビ的には忙しいだけ取れ高も上がるかもしれないけど、こちとら準備にてんてこ舞い。  両家への挨拶と婚約指輪の見繕いと、ウェディングドレスの試着だけはしっかり時間を取った。奏のウェディングドレス姿が全国放送されてしまうのは少し勿体ないなと思った。独り占めしたいくらい可愛かった。  そうして、あれよあれよという間に時が過ぎていく。  企画を貰った日から、一年が過ぎようとしていて。  その間、私の傍らから奏の姿が消えたことは無かった。 「お前、こんなに多忙であれの準備はできてんのかよ」  ツアー初日の前日。夜間の移動でバンドメンバー達が居眠りする車の中で、ハンドルを握る夏虎Pがなかなか寝付けない私にそんなことを聞く。私は口角を無理やり上げて、 「もちろん。私は今若者に人気を誇るガールズバンドのボーカルだぞ?」 「マリッジブルーになってたくせに?」 「なっ、奏から聞きやがったな!?」 「バカお前殴るんじゃねえ事故る事故る!」  車体が安定した後にありがと、と呟くと、鼻をすする音が車内に小さく響いた。  ライブ会場のキャパは二千人。中高生のファンが多いのでちょっと浅い時間に開演する屋外ステージは夕焼け色に染まっていた。すでにアリーナに集まった観客の興奮の熱を示すかのようなオレンジに、舞台裏で待つ私の心臓が鼓動を加速させる。  行こう、とギターが先陣を切った。ドラムが意気揚々とステージに上がっていく。膨れ上がる歓声を聞き届けてからキーボードが続き、奏もステージで待つベースの元へと歩んでいく。私もステージの中央、マイクスタンドとギターの待つセンターへ向かった。  二千人のファンの中にはうちわで『結婚おめでとう』と掲げてくれる子もいて、奏と顔を見合わせて笑う。  私はギターを肩から下げ、マイクに手を添えた。 「みんな、今日は来てくれてありがとー! ツアー初日ってことで盛り上げていきたいんだけど、その前に少しだけいいかな!」  スピーカーを通じて響いた問いかけに、いいよー! と返事が波のように返ってくる。 「みんな知ってるかもしれないけど、私こと日向詩音は、ベースの奏と結婚することに決めました! 詳しくは特番が放送されるからそれ見てね!」  今度は笑い声とおめでとうの嵐。ファンの暖かさが嬉しい。 「それでとんでもないことを告白するんですが――実は今日の今日まで、私は奏にきちんとプロポーズをしていません! なのでライブで私的なことしてゴメンって感じなんだけど、今、ここで! 奏にプロポーズしてもいいですか!?」  奏が目を丸くするのが横目に見えて。  会場中の割れんばかりの拍手と、頑張れー! という応援に背中を押されて。  私は奏以外の三人のバンドメンバーに視線を送り、ピックを天へと掲げた。  奏に内緒にして準備してたんだ。 「聴いてください、初お披露目の新曲!」  この曲名をつけることを許してくれたメンバーと夏虎Pに感謝をこめて。  私の涙を拭ってくれた奏に、一生分の愛をこめて。  私たちは『Teardrop』。  辛く苦しんで流した涙を越えて―― 「――〝また明日、二人で笑えますように〟!!」
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