結婚シミュレーター

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結婚シミュレーター 私はしがない会社員。年齢は今年で32になる。 顔は良くも悪くもないし、背だって高くも低くもない。 いたって平均的、平々凡々な男である。 それでも、3年ほど付き合っている彼女がおり、直接言われたことはないが、なんとなく結婚に対するプレッシャーを感じるようになってきた。 しかし、私はそんな優秀でもないし、勤めている会社も小さい。 安月給で、昇進できるような未来もいまいち見通しがきかない。 一応、彼女を幸せにする自信は多少あるのだが、確信がなかった。 けれど、いつまでもぐだぐだと交際を続けていても、彼女に対しての誠意がない。結婚するにせよしないにせよ、そろそろ結論を出す時期に来ていた。 「ここか……」 私は意を決して自動ドアをくぐり抜け、一人の女性が座っている受付へと歩みを進めた。 「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件で?」 「10時から予約している者です」 「はい、承っております。二回の処置室205へお進みください」 私は言われたとおり、階段を上って処置室へと向かう。 結婚への踏ん切りが付かない私は、あるものに頼ることにした。 最近は科学技術が発達し、未来予測の分野が著しく成長している。 そこで、様々な未来を予測するサービスを提供する事業者が現れてきた。 その中で非常に需要があるとされているのが、結婚シミュレーターだ。 結婚に迷った者が、実際に結婚生活を営むシミュレーションを疑似体験し、今後の進路を決める参考にするというのがサービス内容だ。 正直言って、うさんくさい代物である。 だが、これがシミュレーターだとバカにはならず、かなりリアルに二人の行く末を予測してくれるらしい。もちろん、細かな生活まではわからないが、その後の人生における大きなイベント事をいくつかハイライトで取り上げて見せてくれると、パンフレットには記載されていた。 処置室に入ると、そこには白衣を着た一人の男が待っていた。 医師と言うよりは技師なのだろう。 部屋の大半を選挙している大きな卵形のポッドは、観音開きになっており、その中にはコックピットのように椅子が設置されている。 それらの機器をテキパキといじりながら、こちらに声をかけてきた。 「よくいらっしゃいました。本日は、弊社の結婚シミュレートサービスをご利用頂き、ありがとうございます。まずは、こちらの契約書をご覧ください」 技師からタブレットを渡される。電子書類になっている契約書には、様々な事柄が並んでいる。まあこの辺は既に心を決めているので、気にはしない。事前に必要と提示されたデータを三日かけて入力してある。今更後に引く気はない。早速署名をしようと指を準備する。 すると、技師がタブレットに触れてくる。私は顔を上げ、技師の方を見た。 「このサービスはあくまでもシミュレーションですが、お客様の性格、過去、趣味趣向、さらにはこれまでのあらゆる事象のビッグデータを活用して未来を予測します。お客様の入力データに間違いがなければ、これから起こるであろう限りなく近い未来をトレースいたします。それゆえ、これを見たらある意味では人生が変わってしまいます。ご自分の未来の行く末がわかってしまうわけですからね。言うなれば、人生のネタバレが起きるわけです。それをご了承の上で、本当に当サービスをご利用なさいますか?」 そう言われ、私はごくりとつばを飲む。 確かに、自分の未来が希望の光の下に輝くばかりではない。 人生のエンディングが、バッドエンドとなる事だって大いにありうる。 自身が不幸になることがわかっていて、生きていくことが出来るだろうか。 技師の言葉で、そんな恐怖が不意に沸き起こる。 しかし、それ以上に自身の進むべき道を見極めたかった。 ある意味で、恐怖よりも好奇心が勝ったというわけだ。 「ええ、大丈夫です。お願いします」 私の力強い返答に、技師が頷いた。 私は契約書にサインをすると、技師にそれを渡す。技師は私をポッドの中の椅子に座らせた。さらには、仰々しいゴーグルを被せてくる。ゴーグルは形がそうなだけで、内側がディスプレイになっていた。 また、ヘッドホンも一体化している。 もっとも、今は電源が入っていないようで、私の視界は真っ暗闇に閉ざされた。 技師が作業をしている音だけが、部屋へと響き渡る。 このわずかな間が、私に妙な緊張感をもたらせる。 映画の場合は、別の映画の予告などが立て続けに流れるものだが、ここでは没入感を意識しているのか、沈黙を保ったままである。 数分経った後、技師から肩をポンポンと叩かれた。 私は、一瞬ビクッと体をゆらしたが、始まりの合図だと理解し、小さく頷いた。 『シミュレーション開始』 ゴーグルを付けた私の耳に、淡々とした機会音声が流れる。 すると、私の目の前に映像が広がる。視覚は、見慣れたいつものものだった。つまり、私の視点と変わりはない。しかし、特に私は動いていないが、視覚映像の方はどんどん動いていく。 私は仕事を終えた様子で、夜道を歩いていた。見たことのない小さなアパートに向かい、鞄から鍵を出して部屋の中へと入っていった。 「ただいま」 「おかえりなさい」 奥から、パタパタとスリッパの音を立ててやってきたのは、彼女だった。 エプロン姿で片手にはお玉を持っている。 玄関先まで私を迎えに来て、頬に口づけしてくれる。 「お仕事お疲れ様。もうすぐ夕飯できるよ」 「お腹ぺこぺこだよ。今日の献立は?」 「あなたの好きな唐揚げよ」 どうやら、私たちは結婚したらしい。新婚まもなくといった所だろう。 付き合っている時にも、もちろん手料理を振る舞ってくれることは多々あったが、なんとも違った雰囲気だ。 むずがゆいというか、少し照れくさいというか、心がほんわかと温かくなるような気持ちになる。 そこから場面がものすごいハイスピードで進んでいく。 何気ない日常というのは見ていても仕方がない。 数年後。子供が生まれた。可愛らしい娘だ。 私は妻の出産に立ち会った。 「ほら、あなた抱っこしてあげて」 産婦人科のベッドで横になっている妻に促され、保育器に入った赤ん坊を私は恐る恐る抱き上げた。子育て講習などを受けていたが、実際に我が子を抱き上げるとなるとかなり緊張する。 小さな命は、私の腕の中でわずかに動いていた。 今にも壊れてしまいそうな儚さと同時に、これからなんだって出来るというそこはかとない生命力を感じる。 私は、自然と涙を流していた。それを見て、妻が苦笑する。 この出来事によって、私の心の中がまるでスイッチでも入れたかのように切り替わった。今まで、出来ないと思っていたこと、面倒だと思っていたこと、嫌だと思っていたこと、その全てが、家族のために乗り越えられる強さが宿ったような気がした。 私はそれから必死に働いた。 献身的な妻のため、愛くるしい娘のため。 するとどうだろう、私の仕事はどんどんいい方向へと向かっていった。 私の担当していた業務が拡大し、その主任として任命されると、 どんどん事業が広がっていく。それとともに、会社の業績もよくなっていき、私の担当事業が利益に大きく貢献していった。 その功績を買われ、私は部長まで昇進した。その頃には、マイホームを購入し、娘は小学生になり、白い大きな犬も家族に加わっていた。 しかし、専務への昇進が決まった頃だった。 私は体に違和感を感じ、職場でばったりと倒れてしまった。 医者からは過労が原因とも言われた。確かに、家族のためとはいえ、働き過ぎたかもしれない。給料は数倍になったものの、その分責任や稼働時間が増えていき、知らず知らずのうちにストレスが溜まっていたのだろうか。 いずれにせよ、私は大病を患ってしまい、働くことが出来なくなってしまった。 蓄えはそれなりにあったものの、私が働けなくなって家計には大打撃だ。収入が得られないことはもちろんだが、一軒家のローンもまだまだ残っている。 私自身、保険などには無頓着で、リスクヘッジを怠ったことがまだ痛かった。 妻はそれまで専業主婦だったが、パートに出るようになった。 娘の行事に関しては、小学校低学年まではほとんど参加していたが、高学年になってからは何もしてあげることが出来なくなっていた。 私は数年にわたって手術を行い、病気自体は癒えたものの、 長期間のリハビリをこなさなければ日常生活も営めないほどの重症であった。家族への申し訳なさもあって、必死にメニューをこなしていたのだが、なかなか症状は好転せず、苦しい日々が続いた。 妻や娘も、最初のうちは定期的に見舞いに来てくれたものだが、次第に数週間に一度、数ヶ月に一度という具合に頻度が下がっていった。 そうこうしていく内に、数年が経過する。 私はまだリハビリ生活をしており、ついには家のローンが払えなくなっていた。家は売却し、妻と娘は小さなアパートへと引っ越した。ペット不可の物件だったので、飼い犬は友人に譲った。それには娘が大反対したそうだが、今の生活は犬を飼う余裕もなく、泣く泣く離ればなれになった。 その頃、娘は中学生になっていた。 妻は忙しいパートの合間を見て見舞いに来てくれるが、娘はほとんど会いに来てくれることはなかった。 忙しい妻と長期入院の私のため、全くといっていいほど面倒を見られなかった娘は、あまり良くない交友関係を広げていき、徐々に学校に行くことが少なくなっていき、高校を中退してしまった。 私はリハビリがうまくいかないストレスも相まって、久々に会いに来てくれた娘をきつく叱ってしまった。娘はそれを機に家を飛び出し、ほとんど帰らなくなってしまった。 私がリハビリを終え、ようやく働けるようになった頃には、もう五十代にさしかかっていた。しばらく無職だった高齢の男を採用してくれるような職はなかなかなく、アルバイトで食いつないだ。 長期のリハビリで、労働の勘をを完全に失っていた私は、若者の先輩アルバイターに叱られ、下に見られながらも働くしかなかった。 長い間妻に支えられていた分、返さないと行けないという思いが私を突き動かした。 ある日、娘が久々に我が家へと帰ってきた。 小さな子供を抱えていた。父親は誰ともわからないらしい。 シングルマザーとして頑張っているという事を報告に来たのだ。 私は、あの日に娘に当たってしまったことを謝った。 すると娘も、私に謝ってきた。 独り身で子供を育てている過酷な状況が、娘を立派な大人の女性に成長させていたのだ。私のやるべきだった事だ。 嬉しいような情けないような感情が私の胸に満ちる。自然と涙が流れていた。 娘が独り立ちし、小さな我が家には私と妻が慎ましく暮らすだけになった。 その頃、妻の様子がどうにもおかしくなる。 最初は仕事場からの苦情だった。パートに出ていたスーパーから、毎日毎日何度もミスをしてしまうということで、クビになってしまった。 理由は明白だった。妻は認知症を煩っていたのだ。 日に日に、何気なく出来ていた当たり前のことがうまく出来なくなっていく。そして、私のことも忘れていった。 私はアルバイトの傍らで、妻を介護するようになった。 ずっと私のために働いてくれた妻のためだ。それに対する嫌な気持ちは全くなかった。しかし、妻はたまにしか私のことを認識してくれない。 大半の時間は、私を介護士か何かだと思っている。 それが寂しかった。 やがて、妻は病気がちになっていった。 生きがいというものをなくしてしまうと、人はどんどん老化していく。 妻は私より三歳年下なのだが、今では私より十歳以上年上に感じてしまう。 ある日、私が妻の体を拭いていると、静かな口調で話しかけられた。 「あなた、ごめんなさいね」 「……何を言ってる。君にどれだけ支えてもらったと思ってるんだ。  夫婦は支え合うものだろう。君のお世話ができて、私は嬉しいよ」 「そう……。楽しいことばかりじゃなかったわね……。  でも、辛いことばかりでもなかった。貴方と一緒の時を過ごせて、  わたしは幸せでした……」 「礼を言うのは私の方だ。  本当は、君をもっと幸せに出来るはずだったのに……。  それだけが、心残りだ……」 妻は、それきり大人しく黙って私のなすがままになった。久しぶりに出来た、夫婦の会話だった。 その晩、妻は眠るように息を引き取った。 私は妻の葬式をつつがなく終えた。 娘は母の亡骸を前に静かに泣いていた。 孫も小学生になっていて、子供ながらに祖母が死んでしまったことを理解しているのか、それとも母の悲しみに同調しているのか、 静かな面持ちで妻の入った棺をじっと眺めていた。 私はまた独り身になった。 年齢も六十を過ぎ、アルバイトも厳しくなっていた。 しかし、働かずに生きていけるほどの蓄えはない。 私は今日も、コンビニバイトを終えて、家へ帰り、仏壇の前で妻に日課となっていた日常の報告をする。 そして、風呂に入ろうと立ち上がったときに、胸の鼓動があり得ない程に高まっていくのを感じた。 まずいと思ったのもつかの間で、体がまるでいうことをきかず、私は手で庇うことも出来ずに畳の上に倒れ込んだ。信じられないほどの静寂に包まれる。 そうして、私は死んだ。心臓麻痺だった。苦しむこともなく、私の人生はあっけなく終わった。この後、娘や孫が私の亡骸を発見してどんな状況なったかはもう映像にはなっていなかった。 目の前が真っ暗のまま、しばらくの時間が経過する。 私は死んだのだが、まだこの場所にいる。不思議な感じだ。 未来を走馬灯のように一気に経験した後に、それをまだ経験していない今の私に戻るという行為には、思ったよりも時間がかかった。 まるで衝撃的な映画の余韻のように、私の人生の名残を引きずっていた。 うまくいかないのが人生だ。思った通りの人生ではなかったが、最後は満足のいく結果ではあった。 「いかがでしたか?」 ゴーグルを外した技師が、こちらに感想を聞いてくる。 私は大衆映画を観るよりも遙かに疲弊していた。 「これは、あくまでシミュレーションなんですよね?」 「ええ、そうです。  ただ、弊社の製品であるの未来予測君Zは、  細かな部分には差異が出ますが、大きな流れはほぼ的中します。  内容は、個人情報に触れるので私も知らされていませんが……」 「なるほど。  ちなみに、結婚しなかった場合のシミュレーションもできますか?」 「ええ、オプションでやってます。利用されますか?」 「ついでなので、お願いします」 私は、結婚しなかった場合のシミュレートも確認した。 独り身の際は特に仕事に対するモチベーションも、未来に対する期待もなかったので小さな会社のまま平社員で終わる。 平々凡々と過ごしていたために、大病を患うことはなかったが、家族を得ることはかなわず、最後は老人ホームで寂しく余生を過ごしていた。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 私は店を出て、空を見上げる。 そして、隣にあったアクセサリーの専門店に駆け込んだ。 私の心は決まった。 壮絶な人生ではあったが、その代わりに家族という至福を得ることが出来る。それに、未来が見えたならそれに対する対策も考えられる。 未来をより良い方向に出来るはずだ。 私はそれを確信し、彼女との結婚を決意した。 まずやるべき事はプロポーズだ。 私は、店員と綿密に相談し、半年分の給料をつぎ込んで指輪を買った。 そして、週末に彼女と一緒に思い出のレストランで食事をした後、 近所にある小高い山へとドライブに誘った。 山の頂上付近には、下にある町の夜景を見下ろせる駐車スペースがあり、 知る人ぞ知るロマンティックなデートスポットとして使われていた。 「綺麗ね……」 そういう彼女の横顔が、私にとっては夜景よりも美しく見えた。 不思議なものだ。 昨日までは彼女のことをこんな風には見えなかった。 私は彼女に見とれている中でやるべき事を思い出し、一気に緊張感が高まる。懐に入れていた小箱を取り出し、彼女の前に跪く。 「結婚してください……!」 シンプルだが、力強く言えた。 立っていたら足が震えて無様だったろうが、今は立て膝を付いている。 典型的なプロポーズのスタイルだが、そういった事をごまかすための、男達の歴史的な知恵なのかもしれない。 彼女は予想をしていなかったのか、一瞬驚いたような表情になる。 そして、指輪を見て彼女もシンプルに返答した。 「ごめんなさい……」 「えっ!?」 まさかの返答に、私は思わず動きを止める。 断られるなんてことは、微塵も考えていなかった。 「な、なんで……」 「結婚シミュレーターって知ってる?  あなたと結婚していいか私も迷ってたので、それに申し込んでみたの。  結婚生活は壮絶で、とてもじゃないけど、私には耐えられそうになかった。  だから、ごめんなさい!」   彼女はそう言い残し、気まずそうに手を振りながら、 図るようにやってきた最終バスに乗って去って行った。 私は一人、駐車スペースに取り残された。 しばらくの間呆然としていたが、彼女が消え去ってから、 手すりの方へと歩み寄っていく。 綺麗なはずの夜景は、私の心になにも訴えかけてくることはなかった。 私は、開いたままの箱から指輪だけを取り出し、 その夜景のふもとに向かって放り投げる。 もちろん、そこまで到達するわけはなく、 一瞬だけ月明かりに煌めいて、途中の山肌の中に消えていった。 どうやら私は、シミュレーションする方向性が間違っていたらしい。 結婚ではなく、プロポーズのシミュレートをするべきだった……。 結婚のやっかいな点は、独りでは出来ないという所じゃないだろうか。 オプションサービスを使って何気なく見たもう一つの未来。 私は残る人生の長さを考えながら、独り恐怖にうち震えるしかなかった。
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