選ばれたい

1/1
8人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
「やっぱりさ、人生、一回は選ばれたいよね。」 どきりとした。まさか、彼女の口からこんな言葉が出てくるとは。 「でも、こればっかりは一人で何とかできるものじゃないし。好みもあるしね。」 はぁ、とため息を吐く姿が、いつもより色っぽく見える。まぁ、彼女はいつも魅力的ではあるのだけれど。 「わかった。」 俺はゴクリと唾を飲んだ。そして、ソファに座った状態でタブレット端末を操作する彼女の前に跪き、そっと右手を差し出した。 「俺と、結婚して欲しい。」 「......え。」 暫くぼんやりと俺を見てから、彼女は意味がわからないというように首を傾げた。 やはり、こんな即興の出来合いのものでは駄目か。だけど、気持ちだけは本物なのだ。 「ごめんな。ずっと考えてはいたんだけど、タイミングを逃してて。今日プロポーズって思ってたわけでもないから、指輪も」 「いやいや、そうじゃなくて。」 タブレット端末から手を離していた彼女は、少し慌てたように顔の前で左手を振っている。顔は笑っているが、少し困っているようにも見えた。 「ありがとう。だけど、私達そういうのじゃないよね。付き合ってもないし。」 「え」 「え」 場の空気が凍った。彼女と俺は、ただ、お互いを目に映しているだけだった。彼女の瞳が、不思議そうに揺れる。俺の瞳もおそらく、同じような色を宿しているはずだ。 「俺達、兄妹でもないのに同じ家に住んでる。同棲だよな?」 「同居じゃないの?」 「...身体の関係もガッツリあるよな。」 「恋人じゃなくてもそれぐらいあるでしょ。一緒に住んでるんだから。」 「......俺、君のこと好きだって、何回も言ってるよな。君だって。」 「うん。貴方のことは大好き。だから、一緒に住んでるし、喜んで抱かれてるんだよ。」 「...そういうの、付き合ってるっていうんだよ。」 驚いた。お互いに好意を持っていて、一緒に住んでいて、身体の関係もある。にも関わらず、彼女の中で俺は『恋人』という立ち位置ではなかったらしい。 「そうなの?でも、付き合ってって言われてないし、私も言ってないよ。」 「......そうなのか?」 「うん。」 確かにそうかもしれない。彼女とは出会ってから、わりとすぐに意気投合した。一緒に居ると心地が良く、気付いたら一緒に住んでいて、こういう関係になっていた。言葉では、伝えていなかったかもしれない。 「...いや、それでもこれは付き合ってるだろ。どう考えても。」 「そうなんだ。申し訳ないけど、言ってくれないとわからないよ。」 彼女は、少し困ったような顔で笑いながら、俺のことを見ている。 「だって、君は好きな相手としか一緒に住まないし、身体も許さないだろう。」 「うん。だけど、好きなのと、付き合ってるのとは、一緒じゃないよね。私は貴方が好きだから一緒に住むことにしたし、身体の関係も持った。だけど、別に付き合わなくても、『恋人』じゃなくても良いんだ。側にいられれば、それで良いからね。形には拘らないよ。」 彼女には、確かにこういうところがあった。望みが叶うのなら、他のことには拘らない。だからこそ、俺はちゃんと伝えるべきだったのだ。 「ごめんな。ちゃんと言っとくべきだった。」 「こちらこそ。でも嬉しい。私、貴方の『恋人』だったんだね。」 彼女はそう言ってにこにこしている。心底嬉しそうで、俺も嬉しくなる。 だけど、少し疑問は残る。 「だったら、さっきの『選ばれたい』ってのは何だ?結婚したいってことじゃなかったのか?」 「結婚?」 「あぁ。『一人じゃどうにもできない』とか『好みがある』とか。てっきり、遠回しにプロポーズして欲しいとねだってきているのかと。」 とはいえ、違和感は抱いていた。彼女らしくなかった。彼女は本当に望むのなら、こういう回りくどいことはせず、自分から動く。『結婚して』と自分から俺に言ってくれる方が自然だった。 「あぁ。あれは漫画だよ。」 「漫画?」 「そう。ほら、新人賞の。」 彼女が見せてきたタブレット端末の画面には、とある漫画雑誌の新人賞募集の広告が映っていた。 「やっぱり、こういうの、一回は選ばれてみたいなぁって。だけど、選ぶのは不特定多数の審査員達だし、好みもあるから、難しいなぁって。」 脱力した。 確かに、彼女は漫画を描くのを趣味にしていた。だけど、あくまで趣味で、選ばれたいと思う程とは、思っていなかった。 「何だよ。だったらもっとちゃんとしたところでプロポーズ」 「いいよ、結婚しよう。」 不意に、唇を奪われた。目の前の彼女は、嬉しそうに微笑んでいた。 「大好きな人に選ばれたって、公的に認められるのは、とっても嬉しいよ。」 彼女はそう言って、一際嬉しそうに笑った。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!