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会話
3度ほど麻坊豆腐を食べた、あの日から2日経過した。この日数が経過するまで僕は何度も寝た上で確信した。
寝る度に、僕は「眠る時間分」、時間を遡っているのだ。8時間寝れば、入眠時刻から8時間遡るといった具合にだ。
「眠る時間分」と分かったのは、授業中に眠気が襲い、うたた寝をしてしまった時だ。例の夢を見た後、目を開くと、遡った時間は短く、同じ授業の開始前だった。元々、遡る時間がバラバラだったことは気にかかっていた。麻坊豆腐を食べるところに遡った時も寝られたのは深夜の2時くらいだったので、大体の睡眠時間分を差し引くと、夕食の時間帯になるのだ。
幸い、睡眠を取った分だけの体力は回復しているようで、遡った後は言ってしまえばエネルギーに溢れてる状態だ。なので、遡ってもそこから大体16時間くらいは元気でいられた。毎回、同じ時間帯に眠くなってしまったら、無限に抜け出せない可能性があったかもしれない。
僕は、こんなことになるきっかけになるような何か特殊なことはあっただろうかと考えた末に、例の動物園の女性の顔を思い浮かべた。あの日は、少し気になっていた彼女に声をかけられた日だった。
この2日間、日課であった動物園に行く余裕も無かったが、この遡ってしまう体験以降、初めて動物園に行き、彼女に会おうと決めた。
次の日の朝、動物園のキリンのいるエリアに向かった。いつもよりも早い時間帯にも関わらず日差しは強い中、それでも彼女はそこにいた。
「おはよう。また、お話に付き合ってくれるの?」
今日も日傘を差している彼女は嬉しそうに声をかけてくれた。僕は頷いた。
「あの……僕に何か変なことしましたか?」
僕は敢えて自分の身に何が起きたかを訊くようなことはしなかった。彼女はきょとんとしている。
「変なこと?そうねぇ……」
右手を頬に持っていって考える素振りを見せる色白の彼女は、絵になるなと思った。
「あえて言えば私は動物園に一人でいる男子高校生の君に積極的に声をかけるという点では変わり者かもしれないねぇ。」
彼女はからかうように言った。口調と見た目が実にアンバランスだ。僕のこの不思議な遡りについて、彼女は特に関与していなそうだった。
「少し座って話さない?飲み物買ってからね。」
近くの自動販売機コーナーで彼女がコーラとコーヒーを買い、僕にコーラを手渡し、彼女の片手には缶コーヒーが残る。朝からコーラとは、なんともジャンキーだなと思いはするものの、声には出さなかった。
通路を挟んで柵と向かい合うベンチに並んで座ると、違う角度から改めて見るキリンの大きさに少し感動する。
「でっかいなー。」
「でしょ。キリンの首が長いのにも諸説様々あるんだよね。」
彼女は動物や大学生活のことを面白おかしく話してくれた。大学で生物学を専攻しているとのことだ。僕は前回会った時と同様に、彼女の聞き役に徹することになった。彼女から僕に対して何か話すように急かすようなことはなく、またクラスメートたちのような掛け合いを必要とするコミュニケーションを強要しないことに心地良さを覚えた。
「なんか、眠そうだねぇ。ちょっと退屈しちゃったかな?」
「いえ、その。ちょっと夜ふかしして……」
僕の欠伸を見たのだろう。朝に起きたり夜に起きたりすることにより、生活リズムが崩れ、眠くなるタイミングが今の時間に重なってしまったのだった。
僕は眠気を誤魔化すために、手に持っていたコーラをぐいっと飲んだ。しかし、勢いよく傾けたがために、盛大に吹き出してしまった。
「あらら、そんなに慌てて飲んで。まだまだ子どもだねー。」
彼女に言われてムッとしたが、年下には変わりなく、僕は彼女から差し出されたティッシュを素直に受け取り口を拭った。
「知ってる?キリンってあまり寝ないんだよ。君、実は正体は……」
彼女が横から僕の顔を覗き込む。鮮やかな花柄のワンピースの隙間から胸元が少し見えてしまい、思わず無言で顔を背けてしまう。
腕時計をチラッと見た彼女はそれ以上茶化すことなく、
「じゃあ、また、会おうね。毎朝待ってるよ。」
と、ニカッと笑って誘ってくれた。後ろに見える朝日がいつもより眩しいような気がした。
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