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脱走
その日の晩は、大人しく用意された夕食を食べて、早めに寝た。
その夕食だって味付けが薄く、柔らかすぎる病院食だ。うんざりさせられる。文句を言って献立が変わるなら、いくらでも文句を言うのだけれど。
消灯の時間になって、職員たちの半分が帰宅した頃合いを見計らって、私はこっそりとベッドを抜け出した。
服を着替えている時間はない。今は夏だし、上着などもいらないだろう。
手早く、靴を履いて、病室のドアをスライドさせた。常夜灯に照らされた廊下に足を踏み入れる。
数時間おきに宿直の看護婦が見回りに来るのはわかっている。次の見回りが来るまでに、戻ってきて、何食わぬ顔で寝たふりをしていれば誤魔化せる。
窓の外に見える地形から、この病院が街の中心近くにあることはわかっている。ここから川へ向かい、河川敷を少し川下に向かって歩いていけば、正樹さんの家のすぐそばだ。夏の夜の彼は、河原に出て涼んでいるだろう。もしも河原に姿が見えなかったら、家の門を叩いてみよう。
正樹さんにはしたない女と思われたくはないけど。
もう随分、あの人に会っていない気がする。結婚を約束した日のことは昨日のことのように覚えているけれど。
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