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「正樹さん」
心細い。寒さが服の奥まで入り込んできて、耐えられずに私は彼の名前を呼ぶ。
「正樹さん! どこなの? ねえ、独りにしないで」
背後で足音がした。
「正樹さん? 正樹さんなの?」
助けを求めて振り返ると、そこにいたのは、母だった。何か、恐ろしいものを見るような目で、懐中電灯を手にして立っていた。冬物のコートを着ている。光の中に、吐く息が白く浮かんで消えた。
「お母さん? ねえ、大変なの。正樹さんの家がどこにもないのよ!」
混乱しながらそう問いかけると、母ははらはらと涙を流した。
「ねえ、どうしたの? お母さん。正樹さんに、何かがあったの?」
「違うのよ」母は涙をぬぐう。「違う。違うの」
涙を見て、私は正体のわからない罪悪感を感じる。何か、母を傷つけるようなことをしてしまったのかもしれない。落ち着くのを待って、私は母に問いかける。
「ねえ、お母さん。違うって、何が違うの? 教えてよ」
「違うのよ。私は、あなたのお母さんじゃないの。お母さんは、あなた。私はあなたの娘の、蛍子よ」
私は目の前の女性の顔をまじまじと見て、それが母ではないことを悟った。
――そして、母にそっくりの顔立ちに育った、自分の娘のことを思い出す。
「ケイコ……蛍子! そうだわ、蛍子ね? ごめんなさい。全然わからなかったわ」
「ねぇ、寒いでしょ。病院に戻りましょうよ。職員さんから、お母さんがいないって電話を受けて、探しに来たの。きっとここにいるだろうって思ってたわ」
「ねえ、蛍子。正樹さんは、正樹さんはどうしたのかしら?」
「お父さんは、もうここには住んでいないのよ。きっとまた会えるから、今日はもう帰りましょう」
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