入院生活

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入院生活

 母は頑として首を縦に振ってはくれなかった。 「駄目よ。絶対に駄目。外は危ないの。ここから出ては駄目」  最近、母はめっきり老け込んだように思う。前は、こんなに頭が固くもなかったし、私の言い分もちゃんと聞いてくれた。でも今は、口を開いたと思ったら私のやろうとすることを否定してばかり。 「お母さん。でも、正樹さんがきっと私を待っているのよ。夜の河川敷で、一緒に蛍を見ようって誘ってくれたのよ。あの人は、私の旦那様になる人なのだから、愛想を尽かされたくはないの」 「その心配はいらないわ。大丈夫。大丈夫だから」  そういう母は、まるで私を小さな子供と思っているようだ。駄々をこねる子供に道理を聞かせるような口調で、私を丸め込もうとする。  この態度が、ますます気に入らない。  だいたい、なぜ私はずっとこんな病院に入れられているのだ。入院している人たちは誰もかれも老人ばかりで、看護婦たちもみな疲れた顔をしている。こんな陰気な場所で、なぜ私は寝起きしなければいけないのか。私の身体はどこも悪くない。健康そのものだ。  母の言葉は続く。 「正樹さんはね、あなたのことを、ちゃんとわかってくれているから。夜の外出なんて、やっちゃダメよ。どうしても、というのなら、ここの職員さんから許可をいただいて、私が一緒に行くから」  正気なのか?  自分の婚約者に会いに行くのに、母親を同伴させたい娘なんているだろうか。私は辛辣な言葉を返そうとして、寸でのところで我慢した。  ここで怒ってはいけない。 「わかったわよ、お母さん。じゃあ、明日の夜でいいから、外に出られない?」  私が聞くと、母は気が進まない様子で、こう答えた。 「夜は厳しいかもしれないけど……職員さんと相談してみるわ。でも、明日は…早すぎるから、もうちょっと先の話ね」  一言一言、言葉を選ぶような間が空いている。こういうのを、腫れ物に触るような態度というのだろう。何を怖がっているのやら。  もちろん私は、母の言いつけを守るつもりなどなかった。
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