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1-2
妙子は考え事をするときの癖で、唇に手をあてた。
「妙子?」
「そうだね。じゃあまず、お父さんがどうしてその人と再婚したいと思ったか、教えて」
「ん、うん」
この辺りはシミュレーションしていたのだろう。茂は座り直し、言葉を思い出すようにして話してくれた。
「一番の理由は、るいを忘れなくていい、と言ってくれたことだ」
妙子は持っていたスプーンを思わず止めた。
「・・・それは、すごいね」
「うん。すごいよね。彼女、るいの話をする俺も好きなんだって。いや、るいの話をするから好きなんだったかな」
首をひねる茂を、妙子は呆れて見ていたが、ふっと頬を緩めた。
「奇特な人だということは分かった」
笑みを浮かべた妙子に、茂は照れたようにほほ笑み返した。
「うん、本当に。不思議な人だよ。そして、とても明るい」
「へえ」
「元気があってね、押しも強いんだけど、引き際も心得ているというか。ほらお父さん、時々ぐるぐるしちゃうだろう。研究に煮詰まったり、お前とのことで悩んだり」
「悩むの?」
「悩んでるよ」
「へえ」
妙子はちょっといたずらっぽく笑った。茂がコホンと咳払いした。
「とにかくだ、なんかそういう時に、ぽんっと明るい光を差し込んでくれるんだ。何気ない一言でね。そういうのが何度もある」
「そうなんだ」
「俺は、そういう人に弱いらしい。るいも、そんなところがあった。でも誤解しないでくれ。彼女をるいの代わりにしようなんて思ってないし、考えてもいない。るいはるい、彼女は彼女だ」
茂が少し目を伏せた。
「彼女といると、俺は、少し、楽しい」
「・・・」
妙子は茂の様子をじっと伺った。亡き妻るいに対して、後ろめたさがあるのかもしれない。
茂には幾度となく見合い話があった。親切ごかした紹介もあった。幼い娘を抱えて大変だろう、と言われると、茂としては断りにくく、押し切られてデートした相手もいる。けれど、誰一人続かなかった。茂に再婚する気がなかったのもあるが、茂がるいを未だに愛しているのだから、どうしようもない。振られちゃったよ、と言って茂が申し訳なさそうに浮かべる笑みを、妙子は痛ましいと思っていた。
妙子はコーヒーゼリーを口に放り込んだ。
「いいと思うよ。お父さんが楽しいの、お母さんも嬉しいと思う」
茂はるいを思い出しているのだろう。自信なさそうにつぶやいた。
「そう、かな」
「うん。逆にね、お母さんは、お父さんが幸せでいてくれないと怒ると思うよ」
茂が目を細めた。
「お前、るいみたいなこと言うんだな」
「血のせいかな」
「そうだな、どんどん似てきた」
茂が手を伸ばし、妙子の頭に手を乗せた。妙子はその手の重みが心地よかった。
「ありがとう。再婚を考えてはいたけど、迷っている部分も正直あった。あとは、お前が彼女に会ってから決めようと思う」
「私、責任重大?」
「いいや。決めるのは俺だ。お父さんは、お前の嘘なんてすぐ見破れるからな」
「どうかな」
妙子は笑った。茂も笑った。
二人は仲良くコーヒーゼリーを食べ終えると、流しに片づけた。
「あ、お父さん。そういえば彼女さんは、名前なんていうの?」
「ん?楓さんだ」
「苗字は?」
「苗字は・・・あれ、何だったかな、漢字三文字だったと思うけど、あれ、思い出せない」
「お父さん、そんなんで大丈夫?楓さんに失礼じゃない?」
「いや、ど忘れしただけで、いつもは覚えてる、と思う。いや、最近苗字で呼ばないから・・・」
ボソボソと言い訳する茂に、妙子は呆れたように肩をすくめた。
「いいよ、会った時に聞くから」
「ほんと、ここまで出かかってるんだよ」
「はいはい、おやすみなさい」
「あ、ああ、お休み、妙子」
申し訳なさそうに頭をかく茂を置いて、妙子は2階の自室に戻った。
机の、鍵付きの引き出しを開ける。水色の表紙の日記帳のような本があった。妙子はその表紙に軽く触れた。
「お父さん、私たちの隠し事、気づいてないでしょう?」
妙子はそっと首を振ると、引き出しを閉めた。
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