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本気で悩む少年に、彼は心からの微笑みを浮かべた。
彼は、いままで眠れない夜を過ごす子供と何人も出会ってきた。
どの子も、怖い夢を見なくて済むと言ったら、自分から夢を食べてほしいと言ってきた。
彼との束の間の出会いを忘れて、幸せそうに眠る子供たちの寝顔を見て、彼はいつも泣きたくなった。
夢は、その子だけのもの。たしかにそれはそうだ。
だが、本当はそれだけではない。
彼は先程、嘘をついた。そこに自分の気持ちはないのだと嘘をついた。
"怖い夢"の中に渦巻くのは、その子が抱える不安定な恐怖心や悲しみ、苦しみ。
それらを、彼は夢を食べることで、肩代わりしていた。
夢しか食べることができない自分ができることといえば、それくらいしかないと彼は思っていた。
子供たちが安心して眠れるように。おやすみの時間が怖くないように。明日から笑ってくれる子供たちがいるのなら……。
そんな思いで、自分の中に蓄積していく、恐怖や悲しみをなんとか抑え込んでいた。
負の塊が腹の中に溜まっていく感覚が、時折人間の姿を保つことができないほど、彼を蝕み続けていた。
それでも怖い夢を食べ続けるのは、その中に存在する恐怖が、子供たちにとってどれだけ大きく心を脅かすのかを、感情が凝縮された夢そのものを食べる彼が、誰よりも知っているからだった。
おいしくもないものをおいしいと自分に思いこませて、いつしか理由もなく笑うのが癖になっていた。
笑っていれば耐えることができると本能が告げるまま、ボロボロの精神でも彼はいつも微笑みを浮かべていた。
そんな中、今夜出会った少年から言われた言葉に、彼は、蓄積しすぎてこれ以上は入る余地がなく、噴きだしそうになっていた恐怖心が和らぐのを感じた。
じんわりと心が満たされていくのを感じた。
怖い夢を食べることでは決して得ることのできない、生まれて初めての、満足感だった。
彼は慈しむように少年の頭を撫でた。そうすると、「お兄さん、やっと笑った」と少年は悩み顔から、嬉しそうな笑顔に変わった。
その笑顔を見たとき、彼は自分の気持ちを強く感じた。
眠って、そうして目が覚めたとき、少年は自分のことを忘れているだろう。
それでも、この少年には笑っていてもらいたい。明日も、明後日も、その先も。
彼は心から、そう思ったのだ。
「君には笑顔が似合うよ。だから安心して、ゆっくりおやすみ」
彼の手が、静かな光を放ちはじめる。すると、触れていた少年の頭から、闇夜のように真っ黒な靄が立ち上ってきた。
靄はしだいに形を形成し、やがてひとつの塊になった。
少年の恐怖心が目一杯つめこまれた夢は、動物のように頬まで裂けた彼の大きな口の中におさまるや否や、ごくりと音を立てて呑みこまれた。
怖い夢を食べたとき、彼はいつも泣きたくなる。だが今夜の彼は、実に晴れ晴れとした顔をしていた。
意識を失った少年を布団に寝かせると、そこには、幸せそうに寝息を立てはじめる、あどけない子供の姿があった。
「不安で眠れない夜は、いつでも駆けつけるよ。
僕は獏。怖い夢を見る子供たちの味方だ」
いつしか雲に閉ざされた、月明りの消えたベランダから舞い上がった彼の姿は、人知れず、静かに闇夜に溶けた。
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