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険しい山の頂上に、どんな難事件でも解決できる名探偵が住んでいるらしい。
いつものミリアならば、そんな眉唾物の噂は疑うところだったが、切羽詰まった状況は彼女の聡明な判断力を鈍らせていた。
荷物を大急ぎでまとめ、いつも影のように付き従う執事一人を連れると、家の者には告げずに大通りまで行き、手近に停まっていた馬車に飛び乗った。
天気はあいにくの雨で、車輪が水たまりに入るたびに、茶色いしぶきを巻き上げているのが見える。窓を叩く雨粒は大きく、バラバラと天井を叩く音は激しい。
ミリアは膝の上に広げた手紙にもう一度目を滑らせると、斜め前に座る男に声をかけた。
「山の中腹までは馬車で行って、そこからは歩きになるのよね」
「はい。ですが、山頂まで辿り着けるか否かは、魔女様の気分次第です」
わかっているというように小さく頷くと、ミリアは手紙の終わりの方に書かれた文面に指を這わせた。
『ただし、魔女ファリンに気に入られなければ、永遠に館にたどり着くことはできない』
そんな気まぐれな魔女の名探偵なんて、頼りになるのかしら?
普段のミリアならそう言っただろうが、様々な手を尽くしても解決できない難問を抱えた今、藁をもすがる思いだった。
急な坂を上っていた馬車が止まり、御者が扉を開ける。
「ここから先は馬車では無理ですね」
申し訳なさそうに頭を下げる男に、問題はないわと上品な笑顔を浮かべると、小さな金貨をそっと手渡した。
男が素直に受け取り、キラキラと輝く黄金に慌てて返そうとする。
「正規の料金を事前にいただいておりますし、チップにしてもこんなにたくさんはいただけませんよ!」
「大雨の中、こんな辺鄙な山の中腹まで届けてくれたのですから、ささやかなお礼です。馬車の泥を落として、美味しいものでも食べてください」
執事がそっと男の隣に立ち、何かを耳打ちする。男は驚いたように目を見開くと、金貨をギュっと握りしめて深く頭を下げた。
ミリアは柔らかく微笑み、まだ霧雨の降る鈍色の雲を見上げ、マントのフードをかぶった。このくらいの雨ならば、傘を差さずとも良いだろう。山頂までどれだけ歩くのかは分からないが、幾重にも重なる木々の間を、傘を持って歩くのは得策ではない。
ぬかるんだ地面に足を取られないように気を付けながら進む。葉っぱにたまった雫が水たまりに落ち、綺麗な水紋を描くのを見ていると、背後から馬車が走っていく音が聞こえてきた。
あの遠慮深い男は、ミリアたちの姿が見えなくなるまでその場から動かなかったのだろう。
「そういえば、あの人に何て言ったの?」
「たいしたことは言っておりません。ただ、見知った顔だったので、少し」
「少し?」
ミリアの猫のような金色の瞳が細められる。このお嬢様は、気になったことは最後まで知らないと気が済まないたちだった。こうなっては、曖昧な言葉ではぐらかしてもかえって逆効果になる。
「幼い娘さんが病気がちなのと、奥様が流行り病でふせっているようで、薬代にしたら良いと言葉添えしただけです」
「まあ! 奥様のご病気は大丈夫なの?」
「薬があれば回復すると思います。娘さんも、栄養のあるものを食べれば、頻繁に寝込むこともなくなるかと」
「そう。それなら良かったわ」
心の底から安堵しているような横顔に、執事がそっと目をそらした。
ミリアは貴族というには少々繊細に育ちすぎていた。彼女の両親も2人の兄も、心優しいミリアを溺愛していたが、時々危うさを感じるほど優しすぎることがあるのが玉に瑕だった。
時に貴族は、平民から嫌われる。貧困に苦しむ民衆から税を取り立て、贅沢をして過ごしている社会の癌のように見られることがある。実際は、領地を安定させるために奔走しているのだが、優雅さと豪華さだけが目についてしまう。
いつか悪い人間に騙されるのではないか。そばで見ている執事は、いつも気が気ではなかった。
どれほど山を歩いたのだろう。代り映えのしない景色と滑る足元に四苦八苦しながら歩いていると突然、木々の合間から銀色の髪の美しい少年が姿を現した。
絵画から抜け出てきたかのように整った顔立ちの少年は、ミリアと執事を深紅の瞳で見ると、上品なしぐさで頭を下げた。
「初めまして、シェラハット伯爵のご令嬢ミリア様。そして、エリオ様。僕はアーサーと申します。魔女ファリンからお二人を屋敷に案内するようにと言い使ってまいりました」
鈴の音のような美しい声が、軽やかに響き渡る。霧雨がふっと止まり、鈍色の雲の合間から薄日が差してくる。
アーサーはどこからともなく真っ白なタオルを取り出すと、恭しく2人の前に差し出した。
「あいにくの天気の中をわざわざご足労いただきましたのに、お迎えが遅れてしまい申し訳ありません。ファリンの屋敷はすぐそこです」
「いいえ、押しかけたのはこちらの方ですから、迎えにまで来ていただいて、申し訳なく思います。本日はお力添えいただきたいことがありまして参りましたが、ファリン様がご多忙でないと良いのですけれども」
困ったように眉根を寄せながら首を傾げるミリアに、アーサーが目を丸く見開いたままキョトンと首を傾げる。双方とも、相手の様子に怪訝な顔をしながら瞬きをし、最初に我に返ったアーサーがぷっと噴き出す。
クスクスと抑えきれない様子で笑うアーサーに、ミリアが助けを求めてエリオを見上げるが、彼も何と言ったら良いのか分からない様子で渋い表情を浮かべるだけだった。
「いえ、失礼いたしました。本当にお噂通りのお嬢様なのですね。今まで何千人もの貴族様とお会いしてきましたが、これほどまでに貴族らしくないご令嬢は初めてです」
「あら、わたくし、何か失礼なことをしてしまったのかしら?」
「とんでもありません。これほどまでに貴族らしい振る舞いをするご令嬢には初めてお会いしました」
貴族らしくないと言ったり、貴族らしいと言ったり、いったいどっちなのだろうかと、ミリアは眉根を寄せた。
「ミリアお嬢様の前では、身分などただの肩書にすぎないのです」
「いや、肩書以下だろうな。でなきゃ、魔女の従者にこんな態度取らない」
低く小さな声だったが、2人の会話はミリアの耳にも届いていた。
アーサーの砕けた口調が心に引っかかったが、ミリアとエリオで話すときに態度が違う人がいるというのは珍しくはない。貴族に対しては下手に、執事に対しては高圧的になる輩もいる。
ただアーサーの場合は、貴族や執事と言った肩書ではなく、もっと違う理由で態度が違っているような気がした。
アーサーがミリアを見上げ、ふわりと蕩けるような優しい笑顔を浮かべると、恭しく右手を差し出した。ミリアは戸惑いながらも手を乗せると、思いのほか力強い力に戸惑いながらも、アーサーの導きのまま歩を進めて行った。
森を抜けた先、開けた場所にはポツンと大きな屋敷がミリアたちの到着を待っていた。レンガ造りの壁は見上げるほど巨大で、重厚な気の扉にはめ込まれたれた金色のノッカーが、客人を睨みつけている。
アーサーが躊躇うことなく木の扉を開けると、手入れされた赤い絨毯が奥へと伸びているのが見える。ふわりと香る甘い匂いは、バニラだろうか?
「ファリン、ミリア様をお連れしましたよ」
アーサーが良く通る声で呼びかけると、2階からなにかが倒れるような大きな音がした。ドアを乱暴に開ける音が続き、ドタドタと慌てたように階段を下りてくる足音が続く。
音の出所に視線を向けていると、燃えるような赤い髪をした15歳くらいの美少女が弾丸のように姿を現した。
「待ってたわ! あなたがミリアちゃんね!?」
「あっ……はい、わたくしがミリア・シェラハットです。……あなたが、ファリン様ですか?」
「そうよ! えぇっと、ミリアちゃんは初めましてよね?」
ミリアちゃんはという限定の言葉が胸に引っかかるが、招かれるままに2階に上がり、重厚なソファーが置かれている部屋に足を踏み入れた。ここがこの屋敷の応接室なのだろうか? 壁には淡いグリーンで描かれた柔らかいタッチの森の絵がかけられており、なんとなく心が落ち着く。
アーサーが芳醇な香りの紅茶をいれている間、ミリアはふわふわとした座り心地のソファーに腰を下ろすと、持ってきた小さな箱をファリンに見せ、静かに話し出した。
「わたくしにはどうやら婚約者がいたようなのですが、なぜかその記憶がないのです。事故にあったわけでも、病気なわけでもありません。……記憶が失われる理由が、わたくしには思いつかないのです」
「指輪を見ても良いの?」
ベルベットの布が貼られた指輪ケースを指先でいじっていたファリンが、上目遣いにミリアを見上げる。
ミリアが頷いたのを確認してから、ファリンがそっとケースを開く。中に鎮座していた、輝く透明な石がついた指輪をつまみ上げ、内側に刻印されていた文字を指先で撫でる。
「E・Sよりって刻まれてるね。つまり、Eから始まる名前でSの苗字を持つ誰かってことだけど……ミリアちゃん、候補は絞れない?」
「もちろん、わたくし自身でも何名かこの方では? と思われるかたをリストアップしております」
ミリアの視線を受け、エリオが胸元から薄い紙を取り出すとファリンの前に置いた。アーサーが紅茶を入れ終え、それぞれの前にバラの花が描かれた華奢なティーカップを置く。
「エヴァン・スカーレット、エイドリル・フォン・サイゼンベルク、エリアス・セルテンマイヤー、エスカー・セラウファレス……」
ざっと30名ほど書かれた名前を読み上げ、ファリンはふっと息を吐いた。どれもこれも、聞いたことのある名家の令息ばかりだった。
「お父様やメイドの意見を総合して考えると、この中の誰かとわたくしは恋に落ち、婚約をしたと思うのですが……」
なぜかその人の記憶だけがぽっかり失われているのだと、ミリアは悔しそうに呟いた。
ファリンがティーカップを手に取り、まだ熱い紅茶を一口すする。鼻に突き抜ける甘い香りに目を閉じ、深呼吸をすると紫色の大きな瞳をミリアに向けた。
「ミリアちゃんは、誰が婚約者だと思っているの? この中から、何人かピックアップしてみてくれる?」
「そうですね……。父はセルテンマイヤー伯爵と懇意にしておりますので、親同士がわたくしたちを許嫁として認め、エリアス様と婚約したというのはあり得ると思います。サイゼンベルク卿とは母が懇意にさせていただいていますし、スカーレット家とは幼いころより交流がありますし、エヴァン様は素敵な方ですので、わたくしが父に無理を言って婚約したとも考えられます」
他の人についても淀みなく伝えられる情報に、ファリンが相槌を打つ。
一通り聞き終わると、ファリンは少々ぬるくなった紅茶を一口飲んだ。細い指先が、言及されなかった名前の上をなぞる。インクで書かれた文字が宙に浮き、ふっと吹きかけられた息に霧散する。
「残りは17人。結構多いけれど、実際にこの中でミリアちゃんが会ったことのある人は何人?」
「10名ほどですね」
すらすらと言われる名前を記憶し、残念ながら声がかからなかった名前を先ほどと同じように消していく。
「そのうち、特別な思い出がある人は? 社交界であったとか、食事会で顔を合わせたか以外でね」
「そうですね……」
ミリアが考え込むように目を伏せ、ゆっくりと3名の名前を上げる。そのほかの7名の名前が空中に消え、残った3つの名前だけがファリンの胸の前に浮かび上がる。
エヴァン・スカーレット、エイドリル・フォン・サイゼンベルク、エリアス・セルテンマイヤー。
「エヴァン様は、社交界でも名の知れた方です。見目麗しく聡明で、幼いころから知っておりますが、とても紳士的な方で、わたくしの初恋の殿方でした。エイドリル様は母のお気に入りで、何度かお食事に行ったことがあります。とても穏やかな方で、一緒にいて心が落ち着く方でしたわ。エリアス様は騎士様ということもあって、凛々しくて頼もしい殿方です。父に連れられて、騎士様の訓練を見に行ったこともありますわ」
どの人とも婚約していてもおかしくない。ミリアは眉根を寄せると、首を振った。このうちの誰かなのだとは思うが、この人だという確証は持てない。
「つまりは、家柄はシェラハット家に引けをとらない殿方ばかりということだね。人柄も並みの人よりも素晴らしいと」
娘を溺愛するシェラハット伯爵が、嫁に出しても良いと思えるほどの人選だということなのだろう。
ファリンは悪戯っぽい笑みを口元に浮かべると、宙に浮かばせていた名前をメモ帳に戻した。
「ところでミリアちゃんは、どんな人がタイプなの?」
「そうですね……。どちらかと言えば、真面目な方が好きですね。わたくしが少々抜けておりますので、しっかりした殿方だと安心できます。あとは、穏やかな性格で、わたくしの話を聞いてくださる方だと嬉しいですね」
恥ずかしそうに頬を染めながら、ポツポツと好みを呟いていく。カップにそそがれた紅茶が無くなったころに話が途切れ、気を利かせたアーサーが新しい紅茶をいれに行く。
「確かに、そんな人がいたら理想だね。……ところでミリアちゃん、あなたは身分とか気にするほう?」
「気にしないと言ったら嘘になりますけれど、あまり気にはならないかもしれません」
貴族としては間違っているのかもしれませんがと、小さく付け加える。
アーサーが運んできた新しいティーカップには、なみなみと琥珀色の液体がいれられていた。先ほどとは甘いかおりを胸いっぱいに吸い込み、ファリンは静かに話し始めた。
「少し、昔話をしようかな。そうね……私が魔女と呼ばれるようになったきっかけの話なんだけれどね……」
昔々、王都から遠く離れた小さな町に、ファリンと言う名の小さな娘がいた。
夕焼け色の髪に、夕暮れ色の瞳をした少女は町一番の美少女で、薬草の知識が豊富だった。誰かの子供が熱を出したと言われれば解熱剤を作り、どこかのお年寄りが足を捻ったと言えば、湿布薬を作った。彼女の作る薬はよくきいたため、その名は王都にまで響いた。
ちょうどそのころ王都では、第三王子が不治の病にかかっていた。治療法はなく、刻々と弱っていく王子の姿に、王様はファリンのもとへ従者を使わせた。もしも王子を治す薬を作れたならば、そなたを王子の妻として迎え入れると。
第三王子は見目麗しく、聡明で心優しい少年だと噂されるほどの人物だった。まさか、ただの町娘がそんな素晴らしい人と結婚できるとは。ファリンは素直に信じ、自身の持つすべての力で薬を作り上げた。
渾身の力で作った薬はファリンの中でも最高傑作の出来で、薬は第三王子の病を癒し、すっきり消し去ってしまった。
回復したと風の噂で聞いたとき、ファリンの胸は高鳴った。以前のように元気になった第三王子が、白馬に乗ってファリンを迎えに来てくれる時を夢に見た。そうして春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冷たい冬の訪れを感じる頃に、王都からもたらされたのは第三王子の婚約の知らせだった。
第三王子は幼い時から心を寄せた姫がいて、病が回復したのを機に思いを告げたらしい。姫ももとから王子に心を奪われており、喜んで求婚を受け入れたとのことだった。
王は最初から、ファリンを第三王子の妻にする気などなかったのだ。
ファリンはただ、甘い餌をぶらさげて、薬を作らされただけだった。
カッと頭に血が上り、目の前が真っ赤に染まる。羞恥、絶望、悲しみ、怒り。様々な感情が混ざり合い、制御できない衝動のまま作った薬は、どす黒い血の色をしていた。
「勿忘草の薬。私は、出来上がった薬をそう命名したわ」
綺麗な水色の花をつける勿忘草とは似ても似つかない色。でも、真実の愛があればたとえ相手への恋心を忘れてしまったとしても、きっと思い出せるはず。
ファリンは第三王子の婚約者に近づき、飲んでいた紅茶に薬を混ぜた。薬はファリンの作った通りの効果を発揮し、婚約者は第三王子への想いを忘れてしまった。
「婚約者は結局、他国の第二王子と婚約したわ。第三王子への想いを、思い出すことができなかった。……私は、当然の報いだと思ったわ」
ファリンをだました報い。せっかく病を治してやったのに、恩をあだで返した報い。
復讐を果たして高らかに笑う彼女に王家からもたらされたのは、第三王子の自死の知らせだった。
王はファリンを憎み、恨み、他国から高名な魔女を呼び寄せると、彼女に永遠の命を与えた。誰からも愛されず、誰も愛せぬまま永遠を生きなくてはならない、それは呪いだった。
「別に私は、永久に一人で生きるのも悪くないと思っていたの。本当よ。でも、いつしか私の名前は世に知れ渡るようになったの。……恋人の想いを消す呪いを刻むことができる、魔女ファリンとして」
魔女の夕暮れ色の瞳を、令嬢の黄金の瞳がとらえる。聡明な光を帯びた金色の瞳が、キュッと細められる。
「想いを消す呪い……それが、わたくしにかけられている、そういうことですのね」
「さあ、それはどうかしら。私は、呪いだなんて思っていないもの。勿忘草の薬は、真実の愛を見つけるためのもの。本当に相手を愛しているならば、忘れてしまったとしても想いは心に残り続け、些細なきっかけで薬の力を打ち破るはず」
ミリアの脳裏に、おぼろげな光景が浮かび上がる。
レースのカーテンが敷かれた薄暗い室内で、琥珀色の液体を見つめながら、ミリアが思いつめたように目の前の誰かに話しかける場面だった。
『勿忘草の呪いを乗り越えられたなら、それだけ強い覚悟があるとお父様に示せたならば、きっと許してもらえるはずですわ』
記憶の中のミリアは、そういうと紅茶を一気に飲み干した。
「私は勿忘草の薬を渡すときに、3つの約束をしてもらっているの。1つ、相手にヒントとなるものを渡すこと。2つ、この場所のヒントとなるものを告げること。3つ、もし相手がここに来たいと言った時に連れてくること」
3本天井に向いていたファリンの細い指が、カウントダウンを告げるかのようにゆっくりと折りたたまれていく。
最後に残った人差し指が折りたたまれたとき、ミリアの脳内で様々な情報が駆け巡った。
勿忘草の薬、お父様の許し、想いを消す呪い、アーサーの態度、御者の家族の話。そして、指輪に刻印されているイニシャル。
霞がかったようにぼやけていた記憶が、クリアになっていく。
ミリアは指輪を取ると、左手の薬指にはめた。天井の照明の光を受けて、七色にキラキラと輝く透明な石に口元を緩めると、ミリアは隣に座る執事を見上げた。
「私はもう覚悟はできましたわ。……あなたはどうかしら? シェラハットの名前を名乗る覚悟はできているかしら? エリオ」
泣き笑いのような顔で、エリオが眉根を寄せる。
「私はこのまま忘れてしまって、身分のあう方と一緒になってくださればと……」
「そうね、だからあなたは勿忘草の薬をわたくしに飲ませた。でもわたくしは、薬を飲んでもあなたを思い出せると確信していた。……約束したわよね、エリオ。もしもわたくしが薬の呪いに打ち勝つことが出来たら……」
エリオが立ち上がり、ミリアの前に跪く。深く頭を下げたのち、決心したような表情で顔を上げると、ミリアの輝く瞳を真っすぐに見上げた。
「護衛を命じられた時からずっと、ミリア様をお慕いしておりました。……私と、結婚してくださいますか?」
その言葉を、ずっと待っていた。ミリアは小さく呟くと、エリオの首に細い腕を回した。
それから数か月後、ファリンとアーサーのもとに、真っ白な封筒が届いた。
シェラハットの家紋が押された封筒には結婚式の日取りが金色の文字で書かれており、下の方にはミリアとエリオの名前が仲良く並んでいた。
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