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私はもうすぐ死ぬ。
体に不調を感じ、病院で診察を受けた時にはすでに手遅れだった。
病はまるで乾いたスポンジが水を吸い取るかのように、私の体の隅々まであっという間に広がってしまった。
医者から告知を受けたときには、とっさに何かの間違いではという考えが浮かんだ。その後、現実を受け入れざるを得ない段階になると、なぜ自分が、という考えが頭を駆け巡った。
しかし病状が悪化するにつれ、嫌でも理解せざるを得なかった。どうやら私は本当に死ぬらしい。
前に読んだ本に書いてあったことを思い出した。人間は死を宣告され、それを受け入れるまでに5つの段階があるそうだ。
第一に否認。自分が死ぬことを否定する。
第二に怒り。よりによってなぜ自分が死ななければならないのかといった理不尽さに対する怒り。
第三は取引。自分の死を何とか回避できないかと、様々な治療や、医者と相談したり、神頼みをしたりする。
第四は抑うつ。この段階になると死が避けられないと理解し、落ち込んだり、絶望したりする。
第五は受容。死ぬことを受け入れ、心が平静を取り戻す。
私はどうやらもうすでに第五段階まできているようだ。
最近は一日のほとんどをベッドで寝ている。時間ができると自分の人生を思い返すことが増えた。
私の人生は「良い人生だった」などとはとても言えないほど後悔の多い人生だった。
病気になるまでは私は実に傲慢で他人に対する思いやりなど皆無だった。
当然周囲の人は離れていったが、気にもしなかった。
仕事では絵に描いたようなワンマンで自分以外の人を思いやったりしたことなど無かった。
そしてそれは私生活でも同様だった。
かつて私も結婚していた。しかし、妻との結婚生活は長続きしなかった。
私は妻に傲慢で自分勝手な振る舞いをしているという自覚すらなかった。
妻が私に愛想をつかし、出ていったのは当然だ。
本当に最低の夫、最低の人間だった。
「あんたのような最低の人なんて、せいぜい一人で寂しく死ねばいい!」
結婚生活最後の日、離婚届けにサインをして、妻が家を出ていくときに最後に言ったことが今では身に染みて分かる。
こうして不治の病に罹り、死を待つ身になると、考えさせられることばかりだった。
私は死ぬ。それは構わない。自分なりにもう覚悟はしたつもりだ。身辺整理をし、入院も治療もやめた。延命処置ではなく、自宅で一人最後を迎えることを選んだ。
見舞いに来るものもいない。これまで私のしてきたことを考えれば当然だろう。
数日に一度、訪問看護が来るのみで来客は皆無だった。
死が近くなり、ずっと一人でいるといろいろな考えが頭に浮かぶ。そうした妄想をして時間をつぶすのが最近の私の日課だ。
今日は、もし世界中にいる人間が死に絶え、自分一人残ったら、なんてことを空想してみる。
ある日を境に世界中の人が次々に死んでいく。何がきっかけは分からない。原因も分からない。
ただ死んでいく。決して止められない。
病気、ウイルス、生物兵器、いくつの可能性が考えられたがどれも違ったようだ。
神からの天罰を主張する者もいれば、宇宙人が侵略のために強力な紫外線のようなものを降り注いでいるなんて説もあった。
しかし、どれもただの推測でしかない、皆ただ混乱しているだけだ。
謎の大量死が止められないと分かると、各地で混乱が広がり、暴動や自暴自棄になった人が多く出た。しかしそれも長続きしなかった。
人類同士が滅ぼし合うより前に謎の死は速やかに、平等に世界中に広がっていった。
死のみが唯一の平等である、と誰かが言っていた。
なるほど、そうなのかもしれない。
このような具合に、自分がもしそんな状況におかれたら、なんてことを空想しているのだ。
人がどんどん死んでいくということは各インフラも止まり、テレビやラジオ、ネットも止まる。
情報を得る機会が失われる。家族や友人も次々と死ぬことになるだろう。
そんな状況の中でもし、残っているのは自分だけだとしたらどのような実感なのだろうか。もう世界中で自分しか生き残っていなかったら、どんな気持ちになるのだろうか。
信じられないことが起こっているが、自分一人しかいないのだから、はっきりと自覚はできるはずだ。ならばなぜ、まだ自分は残されているのか。
考えても分からない。理屈では説明できないことが起きてるのだから。
一人でできることなど、たかが知れている。大抵の人は何の特徴もない平凡な人間だ。ごく普通の家庭で育ち、友人を持ち、恋人を持ち、家族を持つ。
しかしもう一人もいない。誰も残っていない。
私だけが残された。なぜなのか。
そんなことを妄想してみるのだ。自分でも馬鹿げていると分かっている。しかし死にかけているとはいえ、一人で過ごすと案外時間を持て余すものだ。
しかし今回の空想は、あながち的外れではないかもしれない。
世界中の人が死に絶え、自分が生き残っている。今の私の状況はまるでその逆だ。
私はもうすぐ死ぬが世界はそんなこと無かったかのように順調に明日も機能し続けていく。
虚しく感じるかもしれないが、人の一生とはそういうものなのかもしれない。
そこまで考えて死の間際にいるというのに、出ていった妻への謝罪の気持ちや、破綻した結婚生活への後悔ではなく、こんな馬鹿げた空想ばかりしている自分に苦笑してしまった。
やはり自分はどうしようもない人間のようだ。
それにしても今日は訪問看護が来る日だが、いつも来る時間より、だいぶ遅れているな。
何かあったのだろうか。
ちょうど地球と月の中間の位置にいる宇宙船の中、二つの生物が会話をしている。
「地球に撒いたウイルスの調子はどうだ?」
「はい問題なく、全て順調です。この星の支配種である人間という生物はあと一人を除き、ここ数日で全て死に絶えました」
「その残った一人というのはどんな奴だ?」
「どうやら我々のウイルスに対しては奇跡的に抗体を持っていたようですが、本人はそのことに気付いていません。それどころか、自分以外の人間が死に絶えたことにすら気付いていないようです」
「なんて間抜けな奴だ。それでそいつはどうする?」
「別の病気に罹っており、直に死ぬでしょう。これで地球は我々のものです」
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