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佇まいに反して、癖のある話し方をする子だなと思っていた。しかしどうも様子が変だった。
「君はー?」
視線は向けないまま、答えを促すように言葉を投げかけてみた。
「庶務の梶原です」
「こんな時間に休憩なの?」
「売る以外、全部仕事なので」
話しかけてきておきながら、自分を怖がっているのではないかと思ったのだが、打って変わって切り込むような答えが返ってきた。売る事だけが仕事の営業と、雑務が多いOLの評価格差を愚痴る人も少なくない。松田は気まずさを感じて、そのまま場を去ろうとした。
「ほらね」
明るい声に自然と顔を向けた。梶原は本を閉じて松田を見上げていた。眼鏡には真っ白な空が写り込んでいて、その奥の瞳は見ることができなかった。その代わりに白いレンズに一粒の雫が乗っかっていた。
雨だ。と思いながら、そのまま目が離せなかった。梶原はゆっくりと立ち上がり、傍らからビニール傘を取り出した。
屋上の奥に居た人達が、声を上げて走り始めた。我に返った松田の横を、ビニール傘をさした梶原が通り抜けた。
「濡れちゃいますよ。松田さん」
ビニール傘に当たり始めた雨の音と一緒に、梶原の声が耳に入った。と同時に雨の匂いに混じって鼻をくすぐる香りがした。
毎朝電車で嗅ぐ香りだった。松田が好きなグレープフルーツ系の香り。いつも主を探すのだが、改札付近で見失っていた香り。
「梶原さん!」
振り向いた時には、社内へ駈け込む人の波に浮いたビニール傘は、何処にもなかった。
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