虹の向こう側

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② 「お前、なんということをしでかしたんや!」 「俺がなんぞしようと勝手や」 「なに抜かす!ええか、こんなことが京都の叔父貴に知れたらワシらなんか蟻みたいに踏み潰されてまうんぞ」 「あんた古いわ」 「親に向かってあんたとはなんやあんたとは!」 「俺のほんまの親やない。あんたとはただの赤の他人や」 「おま、お前にワシがなんぼ金をかけて世話してやったのが解らんか!ほんまの子供みたいに手間かけて、ようしてやったのに」 「くれるというからもらったんだけや。なにが悪い」 「靖男!」 「ええか、おっさん。時代は大阪の野田の時代や。京都の爺は終りぞ。古い勢力に最後まで忠義尽くして落ちぶれるんは俺は御免や。そやから俺は野田につく」 「…ワシは最後まで叔父貴の味方じゃ。それが極道の筋や」 「なにが筋や!白虎隊みたいなこと、すな!」 「盃交わした男を裏切る位なら、腹切った方がましやと靖男、それ位お前にも教えた筈やぞ」 「なんや、なんや」 なんなんや。靖男は腹立たしげに親指の爪を齧った。 平成も20年近く過ぎている。 それなのにこいつはまだ江戸時代の侠客のつもりか。 ちらりと窓を見やれば、憎々しい位の晴天。締め切った窓に、青白い自分の顔が映りこんだ。 そして後ろには時代遅れのアイロンパーマをかけたしょぼくれた50過ぎの爺がいる。 安っぽい白いシャツ、型遅れのスラックスに金のネックレス、紫色した色眼鏡。どこからどう見ても、時代に乗り遅れた哀愁が染み付いている。それに比べて自分はまだ若い。この世界で35と言えば脂の乗った頃合だ。 (ああ憎々しい。折角泥舟に乗ったあんたを助けてやろうとおもたのに) 対峙しているのは、親と子ではなかったが、それに近しい、それよりも近しい関係の者達だった。 靖男は頬を歪めてしばらく和夫を睨んでいたが、何を思ったか齧っていた親指を口から離して、唾液のついた手をハンカチを取り出し、拭った。 「…なあ、おっさん」 「オヤジといえ」 「ええやろ、二人きりの時位。おっさんと呼べ、そう自分で言うたやないか」 「お前が餓鬼の時の話や」 「俺はあんたから盃ももろてへん。どうしてオヤジと言わな、ならん」 「お前はカタギになるべきや、いや、やった。キミちゃんからの預かり物を、どうしてやくざにできるんや」 「自分かてやくざやんか」 「好きでやくざしとる奴なんか一人もおらんわ!勝手に人刺して、勝手に織田のごんたくれから盃もろて、勝手にやくざになりよって…!」 「あんたがくれへんたから」 「靖男!」 「あんたは俺が欲しいもんはなんでもくれたが、2つだけくれへんたもんがある。一つはあんたの盃や。そして後もう一つ」 「それはなんや」 「言うたらくれるか」 「…なんや、言うてみい」 「くれると言ったら教えたる」 「言わんかったら頷けるかい」 二人は無言で睨みあった。 靖男の目に暗い澱みが蠢いているのを和夫は感じ取り、ひとりでに喉が鳴る。 こういう男は、敵に回してはいけないと、本能で感じ取っていた。 「おっさん」 靖男が歩く。ゆっくりと踏みしめるように床を歩く。和夫はその分後退した。下がって、下がって、ついに壁に肩があたるまで、後退した。 「おっさん」 靖男は呟く。唇がわなないた。真剣な顔をしている。最近は会話も少なくなったが、昔はまるで本当の親子のように親しかった。 なんでこないなことになったんや。 和夫は随分前から言いたかった事を、口に出そうとした。
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