8.選択

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 しばらくして開智たちの待つ和室に立夏が戻ってきた。  恭子はひとりになりたいということだった。  しかし聡明は恭子の様子を見に行った。戻ってきた立夏の表情を見た時、もしかすると恭子も自分と同じような考えになったのかもしれないと思ったのだ。  聡明が部屋に行くと、恭子はソファに寝転がりボーッとしていた。  激しさはない。  穏やかそうだったが、何かを考えているようだった。  聡明はあの二人のことを考え込んでいるのだろうと思い、声を掛けた。 「僕は、あの二人のつがいは剥がさずに長い目で様子を見た方がいいと思うんだ。月日が経てば僕たちの考えも、だんだん変わっていくかもしれないし」  恭子は宙を見たまま、ゆっくり頷いた。  しかしまだ何か考えているようで、それは聡明が想定していたものとはどうやら別のものらしい。  一体恭子が立夏と何を喋ったのか分からなかったが、その安心とも、放下とも呼べそうな恭子の様子は、少し不思議だった。 「どうしたの、恭ちゃん」  思わず尋ねると、恭子は目を瞑って深い、長いため息をついた。  そしてしばしの沈黙の後、口を開く。 「わたしね……自分でも気づいてなかったんだけど、立夏の後ろにとんでもないものを後生大事に隠し続けてたの……」  聡明は目を閉じた恭子を眺めながら、頷いた。 「知ってたよ」  恭子は目を開いた。  横目で聡明を見る。  数秒、二人の目が合った。 「もうあの木製バット、いらなくなったね」  聡明が言うと、恭子は小さく頷き「そうね」と呟いた。 *  とりあえず、つがい剥がしの話はなくなった。  聡明はそう立夏と開智に告げ、二人の顔を眺めた。 「たぶん母さんにはもうちょっと二人のことを受け入れられるようになるまで時間がいると思う。まあ、でもあれだ。この前みたいに無理やり引き離すようなことはもうしないさ」  開智はそこでようやく安心したのか、大きなため息をついてその場にしゃがみ込んだ。  立夏はそんな開智を見たあと、聡明に目線を戻す。 「僕たちはこれからも一緒にいてもいいってこと……?」  聡明は頷いた。 「僕もね、恭ちゃんと初めて会った時に絶対にこの人しかいないって思って周りの言うことを聞かなかったし、結果的にやっぱりあの時の自分は間違ってなかったと今でも思ってるんだ」  そう言いながら開智を見る。 「開智も僕に似て鼻がきくから、もしかすると二人はそうなのかもしれないね」  聡明は立夏に目を移し、言った。 「僕たちはとりあえず、二人を静かに見守ってると思ってくれればいい。そのうち何かあったら、またその時は家族で考えればいいさ」  立夏は口元を手で抑え、何度も頷いた。少し目が潤み、視線を下に向ける。  そしてその目線の先に、聡明があの〝開智を殴り殺す用のバット〟を持っていることに気が付いて、震えながら無言でそれを指さした。  聡明もそれに気付いて「ああ、これ?」とバットを持ち上げる。 「もういらないから、これから焼却炉で焼く予定だよ」 *  開智と立夏が帰って行った後、聡明と凪は二人で焼却炉の中で燃えていくバットを眺めていた。 「火って見つめてると楽しい……」 「そういう時はあんまり見ちゃダメだよ」 「なんで?」 「もっていかれちゃうからかなあ」  凪はしばらく考えた後、なるほど確かに……とひとり呟いた。  そしてそうは言いながらも、やっぱり楽しいので足元の小枝をポイポイ投げ込んではまた火を眺めていた。 「わたしさ、あの二人の関係をやっぱキモいって思っちゃう」  聡明は凪を見て、自分もまだちょっと複雑だ、と言う。  凪は、やっぱキモいってなるよね! と笑った。  そしてまた小枝を投げ込み、火を見つめる。 「でもほんとはさ、そういうのって実際は関係ないんだよね。自分に嘘をついて周りに合わせた結果、自分自身をペチャンコにしちゃうのって、本当の意味で凄く不健康で、不健全。だからやっぱりわたしはなんだかんだ、自分の心に嘘をついたりしなかった二人のことを応援してんだ」  時々、こういうことを言う凪のことを聡明は信頼していた。  昔聡明がこっそり「お母さんはよく酢料理を作るけど、実は苦手」と話したことがあるのも、凪だけだ。  凪は取り繕わない本心での話し相手に向いている。 「応援……そうだな、応援。うん。お父さんも応援してるかな」  聡明はそう言いながら、火が大きくなってきた焼却炉の扉を閉めた。  黒い煙は上へ上へと昇っていき、やがて透明と混ざっていくのだった。  それから恭子は数日間ぼんやりしていたが、徐々に「もう孫や立夏の子どもの顔が見れないなんてっ」と文句を言い始めて、聡明はやっと元の恭子に戻ったと胸をなでおろす。  凪が「わたしのこと忘れてない?」と言うと、恭子は「誰が川で行水するような娘を貰ってくれるっていうのよ」とシクシク泣いていた。  宇留田家に日常が戻ってきた。 *  立夏は開智と東京に戻った。  空港からの帰り道、タクシーの中でようやく安心したのか開智は立夏の手を握ったまま、肩に頭を預けて寝息を立てはじめた。  立夏は開智の髪の毛を触り、自分も目を瞑った。 * 「これはちょっと幸せすぎるな……」  開智は学校から家に帰って来るなり、立夏の姿を見てそう呟いた。  家に帰るといつも立夏がいて、どこかにいなくなったりも、他の場所に行ったりもせずにそこに毎日いてくれることが信じられなかった。 「夢じゃねえよな」  そう言いながら、真剣な顔をして両手でペタペタと立夏の顔面を触る。パソコンをいじっていた立夏は「前が見えない」と手を退けようとしていた。  構わず開智はペタペタ触り続ける。 「すげえな、夢じゃないんだよなー……」  そう言いながら後ろから立夏を抱きしめた。  暖かい体温が重なり立夏の香りが変化する。首筋の匂いを嗅ぎながら、ふと以前自分が噛んだ跡を見たくなり髪の毛を掻き分けた。  通常のアルファによる噛み跡とは比べ物にならないくらいに痛々しいその傷跡は、首の白さのせいでグロテスクさが際立っていた。  開智はその傷をしばらく眺め、舐めた。「ヒッ」と身をすくめ怯えた表情で振り返る立夏の反応を久しぶりに見たと思った。 「もう噛まねえよ」  そう言いながら立夏の下顎に手をかけ、首を後ろにのけ反らせる。  喉元を軽く噛むと、更に立夏は怯えた。 「噛んでる……っ」 「死ぬほどには噛まねえって」  そう笑ってまた開智は立夏の喉を甘噛みした。  怯える立夏は可愛かった。
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