9.春風

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「で、こっちに戻ってきたの報告しようと思って……」 「え……早過ぎない?」 「ちょっと長めの帰省レベルだった」  照れながらそう言う立夏は、奈々がこれまでに見たことがないぐらいに幸せそうだった。  肌にも艶があって、瞳も輝いている。 「ちょっと甥と叔父ってことは置いておいて、わたしは立夏がああいうタイプと相性がよかったのがビックリだよ……」 「え?」 「だって開智ってほんとバカで単純で凶暴で、法律が機能してない世界の人間みたいなんだもん。わたし、同世代だったら絶対に接点持ってないと思う」  立夏は「確かに僕も友達にはなりたくないタイプかも」と笑った。  それから二人はしばらく開智の悪口を言っていたが、奈々はそんな開智の愚痴を語る立夏が幸せそうだったので、なんとも言えない、敢えて言葉に表すとするなら感慨深いような、そんな気持ちになった。 「前さ、立夏とバース性とかつがいの意味ってなんだろうって話をしてたことがあるじゃない?」 「うん」 「ちょっと腑に落ちたような……」 「え? 僕と……その、開智ので?」 「そう。なんかうまく言語化できないけど、統合していく過程の中で、今まで自らと統合することを避けてきたものの中ボスってかんじ」  奈々は眉間に皺を寄せ、唸った。 「チープな言葉になっちゃうけど、その〝運命のつがい〟みたいなものはさ」  立夏は「これで中ボス……? やだ……」と悲壮な表情を浮かべ呟いた。多分頭の中では開智の顔が思い浮かんでいるに違いない。 「こんなのが中ボスだったらラスボスは……」 「自分なんじゃないかな」  立夏は奈々の言葉に一瞬言葉を詰まらせ「確かにね……」とため息混じりに吐き出した。 「先はまだまだ長いんだろうな」 「大丈夫、わたしもだよ」  二人は目を合わせ、笑った。  帰り道、奈々は今夜立夏に予定がないことを知り「久しぶりだし、うちでご飯食べてく?」と聞いた。  立夏が反射的に目を輝かせたので、その一瞬はもう今晩うちに来るものだと思っていたが、立夏が宙に目をむけ何か考え事をし始めた。 「いや、いきなりだし……どうしよっかな……」  多分開智のことを考えているのだろう。以前までだったらこういう時は開智のことを無視して(というより避けるためにも)奈々の家でご飯を食べる選択をしていたと思うが、今は違うようだった。  うーん、としばらく唸った後、立夏は「いや、また今度お邪魔する」とひとり頷いていた。  なにやら自分の中で感覚的な納得解があったようだ。 「そっか、じゃあまた今度ね。連絡する」 「うん、じゃあまた」  奈々は立夏と別れ、一人帰路についた。  家に戻ると、玄関に男物の靴がいくつかあり、誰か昌也の友達が来てるのかなと階段をあがってダイニングへ入っていった。  ダイニングテーブルでは昌也が後輩数名を集めて愚痴を聞いていた。後輩たちの愚痴に「うん、うん」と頷く昌也は一見面倒見のいい先輩のようだが、その輝いた瞳で、単純に後輩のゴシップを楽しんでいるのだということがよくわかる。 「ただいま」  あ、お邪魔してまーす、と奈々に笑顔で挨拶をしてくる後輩たちの中に、武内の顔があって少し驚いた。  武内がうちに来るのは立夏とのあれこれがあった時以降初めてで、それまでも何度か昌也が萎びてしまった武内を家に呼び出そうとしていたが全て断られていたのだ。  久しぶりに見る武内はもうやつれた様子はなかったが、どこか哀愁を纏っており若干の深みが増していた。 「武内くん、久しぶりじゃん」  いまちょうど忙しい時期じゃなかったっけ、と聞くと、武内は頷いた。しかし今日はなんとなく来てしまったらしい。 「なんでなんですかねー……なんとなく、来たくなって」  武内は自分でも理由はよくわからないが、という顔をしていた。  奈々はそこで、今日立夏を家に誘おうとしていたことを思い出した。 「なんとなく……?」 「なんとなく。理由はなくて」  理由がない、と本人は言っているし自覚もないのだろうが、たぶん無意識のうちにオメガ——立夏の元へ足が向かったのだと感じた。立夏も当初は家に来そうな雰囲気だったことなども考えると、余計な判断を入れなければ、直感というものはここまで精密なのかとちょっと驚いたぐらいだった。 「えー……やっぱアルファってすご……」  いきなり自分のバース性の話題を出され、武内は不思議そうな顔をしていた。  奈々は満足げに何度か頷いた。立夏にとっての中ボスのひとりは開智であったが、同じように、武内にとってのそれが立夏であるような気もした。そこが統合されていくのが何百年後か何千年後か、はたまた何万年後になるのかはわからないが、この男はまた立夏の前に現れるのだろうと思った。 「百年とか短いスパンじゃなくて、もっと長い目で見てたらまたそのうち繋がると思うよ……」  小さく呟いたが、武内はその言葉で奈々が誰のことを言っているのかがわかり「何の慰めにもなってない」とちょっと不服そうに口を尖らせた。  奈々は「ごめんごめん」と笑って謝る。  そして雄臭いダイニングを後にしてひとり、思った。  自分も、この綿密なまでの織物の一部なのだと、深く思った。
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