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その元人魚との出会いは、魚屋だった。
店先に並んだカレイ、イカ、アジ…
ここのお店は安さと鮮度が魅力的だけど、
大人二人だけの新婚家庭には量が多い。
足を止めて、今晩のおかずを決めあぐねていると、
端に陳列してあるみずみずしい胡瓜の緑色が目を惹いた。
「あら、魚屋なのに、野菜も取り扱ってるの」
思わず手を伸ばし、値段を確認しようとしたら、店員にたしなめられた。
「勝手に手を触れられちゃ、困るよ、奥さん。それ、買取ね」
ちょっと腑に落ちないけど、仕方ない。
押しに弱い自分が恨めしい。
ところで、売っていたのは胡瓜だけではなく
なんと、その胡瓜の先には、裸の男性の肉体と頭も付いていた。
全体的に緑色の肌で、筋肉質な張りがある。
びっくりして店員に聞くと、これは人間形態に転換した元人魚らしい。
一応魚の仲間だというが、本当だろうか。
恐る恐る顔を近づけて匂いをかいでみたが、
魚のような生臭さはない。
代わりに、青い果実のような香りが鼻をくすぐった。
私と目が合うと、元人魚の腰についている胡瓜が元気に上下に揺れた。
なんて美形な胡瓜…いや、元人魚だろう。
高校の美術室に並んでいた彫刻のような…
触れることを禁じられたような美しさ。
財布を開けることに、もう躊躇はなかった。
手持ちのエコバックに入れて持ち帰るには、さすがに大きかったので、
半透明の袋をもらい、腰の胡瓜に巻き付けた。
まるでそこだけ、ぼやけたモザイクがかかったようだ。
元人魚は嫌がる様子もなく、私のあとをついてきた。
家に帰ると、私は早速「人魚 レシピ」をスマホで検索した。
新婚なので、まだまだ料理は勉強中だけど、
流石に人魚は見たことも食べたこともない。
しかし、このサイズを捌く?どうやって?
私の心の中の修羅場を全く気にすることなく、
元人魚は、興味深そうにペタペタと家の中を歩き回っている。
その時、玄関からカチャリと音がした。
「あ、まって」と止める言葉も聞かず、元人魚は音のなる方へ飛んで行った。
あっという間に、元人魚は旦那の上に馬乗りになって
腰についている緑の胡瓜をぶんぶんと振っていた。
私の時よりも、胡瓜が元気に揺れていて、ちょっと嫉妬してしまう。
もしかしたら…人魚って意外と人懐っこくて、可愛いかもしれない。
私は検索途中だった「人魚 レシピ」のページを、そっと閉じたのだった。
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