「パンプキン」

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「パンプキン」

 1945年8月9日に長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」の「模擬原爆」を「パンプキン」という。黄色い塗装のためにそう呼ばれたそうだ。それにしてもこういうネーミングには胸が悪くなるを通り越し、何度聞いても憤りがこみあげてくる。「リトルボーイ」(8月6日広島に投下された原子爆弾)もそうだ。  「模擬原爆」とは原爆投下の練習・訓練のためのもの。核ではなく通常の爆薬が積まれていた。  原爆投下予定地を避け(なぜなら原爆の効果を確認するために予定地への空襲は禁止されていたから)、その周辺都市に7月20日10発投下されたのに始まり、8月14日まで(つまり2都市への原爆投下の後まで!)49発が全国各地に投下された。本当は50発の予定だったが、1発は任務放棄し海上投棄した。全体で死者400名・負傷者1200名を超す被害が出たとの記録がある。  その中の一つが、私の住む西東京市の現・西武柳沢駅の近くにある。今はマンションと小さな公園になっているが、当時ジャガイモ畑で作業をしていた女性3人が死亡、11人が重軽傷を負った。  武蔵野市の軍需工場・中島飛行機武蔵製作所を狙ったが、逸れて柳沢に落ちたという。  そもそも中島飛行機の関係で、周辺一帯(現・武蔵野市、三鷹市、西東京市)はかなり激しい空襲を受けている。  三鷹に住んでいた太宰治もこれらの空襲のため、疎開を決意した。
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