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最終話 悪ノ召使
アレンは王宮の最上階に入ると、クローゼットからマリアンヌのドレスを出した。
元々背格好が似ていたため、マリアンヌのドレスはすぐに体に馴染んでくれた。
「マリアンヌの匂いだ」
花の香りがするドレスに身を包み装飾品を身に纏うと、しばらく瞑っていた瞳をゆっくりと開き窓の外を眺める。
どうやら、緑の国から国軍が到着したらしい。
数え切れないほどの松明が闇夜に揺れている。
それはまるで飛び散る鮮血のようであった。
その紅き松明はみるみる城下に迫っている。
頭の中で大きな鐘を打ちつけているのかと思うほど、脳が、視界が、全てが揺れている。
破裂する寸前の拍動は更に勢いを増し全身を駆け巡る。
呼吸をしすぎたのか、思考がボヤけてきたことを自覚したアレンは、見事に彫刻の施された椅子に腰掛けた。
部屋の外で複数の足音が聞こえる。
アレンは涙で濡れた瞳を拭うと、ゆっくりと深呼吸した。
そして、扉が開く。
「誰?」
アレンは振り向いた。
「王女マリアンヌ。チェックメイトよ」
赤い髪の女がそこにいた。
以前、何処かで見たことがある女だと気づくも、思い返す間も無くアレンは捕らえられた。
「この無礼者!」
アレンは叫んだ。
アレンは抵抗の素振りを見せるも、すぐに拘束されてしまった。
赤い髪の女に連れられ、アレンは王宮の外に連れ出される。
「あ、あの時の……」
赤い髪の女を思い出した。
以前、セバスチャンが斬りつけた男にすがって泣いていた女だ。
これも因果応報なのか。
ふと、冷静になる。
王宮の外では、松明のあかりの中土煙が巻い血の匂いが漂っていた。
「悪の娘が出てきたぞ!」
民兵の一人が叫んだ。
それを聞いた黄色の国の民兵が次々と集まり、アレンを取り囲む。
みな一様に顔を強ばらせて思い付く限りの罵声を浴びせ石を投げつける。
投げつけられた石がこめかみに当たったが、アレンは怯むことはなかった。
外に出る途中、マリアンヌの姿がなかったことにアレンは安堵していたのだ。
「悪の王女は落ちた! 双方、矛を収めて! これ以上の戦いは無意味よ!」
赤い髪の女がそう叫ぶと、歓声とともに戦いは終わった。
アレンはそのまま踵を返し今出てきたばかりの王宮内へと連れて行かれた。
目的の場所は見当がついている。
牢獄だ。
地下へと続く階段を降り、錆びた音を響かせた鉄の扉が開かれる。
「ほらよ」
そう言って民兵に渡されたのは、汚い布切れだった。
ドレスとして纏っていた権威すら奪われたのだ。
窓もなく鉄の扉で締め切られた完全な暗闇の中、手探りで部屋の壁を探す。
ただ均等に石が積み上げられただけの石壁。
アレンは部屋の隅まで這っていくと、蹲るように膝を抱えて座った。
闇の中、マリアンヌとの日々を思い返した。
幼い頃に東の塔でマリアンヌと出会い、そしてともに過ごした。
あの頃は幸せだった。
一日が過ぎるのがこんなにも早いのだと、幼いながらに驚いたものだ。
クローバー畑で編んだ草冠。
マリアンヌも上手に作れるようになった。
ふと、マリアンヌの笑顔が頭を過る。
アレンの瞳からは、涙が止めどなく溢れた。
マリアンヌを守るために覚悟したはずだった。
しかし、頬を伝う涙はそれを否定する。
未練を消そうとするが、次々にマリアンヌの笑顔が浮かんだ。
「マリアンヌ……マリアンヌ」
冷たい牢獄にアレンの嗚咽が響く。
アレンは、一晩中泣き通した。
楽しかった思い出が次々と蘇る。
そして、結局一睡もできぬまま朝を迎えた。
歓喜に沸く民衆の声が、牢獄まで響いてくる。
しばらくそうして涙を流していると、二人の兵士が牢獄の扉を開けた。
アレンは言われるまま手を後ろに回すと、紐で手首を縛られる。
アレンは兵士に連れられ、外に出た。
押し寄せる民衆は、路地にまで溢れていた。
そして、嫌でも目に飛び込んでくる断頭台。
それはかつて何百人もの罪人を処刑した物だ。
刃に付く錆の隙間から、チラチラと陽の光が鈍く反射する。
アレンは歓声を上げる民衆を横目に断頭台を登った。
ふと見下ろすと、断頭台の下にはカロイトの姿があった。
カロイトは一晩でやつれ切ったアレンを見上げ、小さく微笑んでいる。
アレンは兵士に言われると、断頭台へと首を置いた。
民衆の中にマリアンヌがいるかと思ったが、あえて探すことはせず、真っ直ぐに前だけを見つめる。
「マリアンヌ……もし生まれ変わったら、その時はまた一緒に遊んでね」
誰にも聞こえることのない小さな声で、そう呟く。
そして、王宮の鐘が鳴った。
アレンは微笑むと、マリアンヌの口癖を呟いた。
「あら、オヤツの時間だわ」
その瞬間、冷たいものが首筋に当たり、アレンの意識はそこで途切れた。
歓喜に沸く民衆。
カロイトは断頭台の下に落ちたアレンの首を掴むと、それを高く掲げた。
「民衆よ! これが悪の結末だ!」
カロイトがそう叫んだ瞬間、民衆の中から一人の老兵が飛び出した。
それは一瞬だった。
飛び出した老兵がカロイトの胸に短刀を突き立てたのだ。
それは、昔、黄色の国の国王アザールの命を奪った短刀。
カロイトは突然の事に目を見開き、そして血を吐いた。
「き、貴様……マリ……アンヌの……」
そこまで言うと、あっけなくカロイトは死んだ。
そして老兵は崩れ落ちるカロイトからアレンの首を奪い取ると、大事に抱えるようにしてその場に蹲る。
それは命懸けで我が子を守る親の姿に酷似していた。
「……アレン様」
騒然となる広場。
突然のことに一歩出遅れた兵士は、涙を流し蹲る老兵に無情に剣を振り下ろした。
いくつもの剣が大きな背中を穿く。
そして間も無く、その老兵も絶命した。
どこかで、アレンと老兵の名を叫ぶ女の声が響いたが、それは民衆の声に掻き消されてしまった。
そして、黄色の国は終わりを告げる。
黄色の国の王女は、悪ノ娘として歴史に名を残し、その傍らにいた悪ノ召使いは誰にも知られることなく歴史の中に消えてゆく。
完
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