第十話 混じり合う碧

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第十話 混じり合う碧

10.  ほどなく、ルームサービスがやってきて、ルカとジョージはふたりきりの食事を楽しんだ。ルカは久しぶりの「マナー講師無し」の夕食を存分に楽しんだし、ジョージはルカとの他愛のない雑談の時間が戻ってきたことに心ほころばせているようだった。 「ルカ。ソファに移動して、もう少し飲まないか」 「えぇ、もちろん」  リラックスしていてすっかり忘れそうになっていたが、今夜は楽しく食事をするだけで眠るには惜しい夜だ。ルカは、ジョージが話しやすいように努めるため、気を張り過ぎぬよう、と立ち上がった。 「ジョージさん、次は何を飲まれます? ワインはもう、あきましたね」 「ルカは、ウイスキーを飲んだことは?」 「バイト先で先輩に一口もらったことくらいしか……」 「そうか。よかったら、飲んでみるといい。苦手だったら、私が残りを引き受けよう」  備え付けられたミニバーカウンターの前でルカが、どのウイスキーの瓶を手に取るか――ルカに気の利いた酒の知識はまったく無い――迷っていると、ジョージが後ろから手をのばしてくる。 「せっかくだから、日本ブランドのウイスキーにしようか。ソファに座っておいで。私が用意しよう」 「あ……ありがとうございます」  ジョージは、酒が入っているからか、いつもより幾分機嫌がよさそうに見えた。ルカはジョージのプライベートの片鱗を味わっているような気分に高揚していた。 e2397f70-d909-417d-9a9a-d654f517c2d1 「丸氷とはいかなかったが。まずはロックでどうぞ」 「わ、いい香りですね」  ジョージはボトルをソファー前の小さな丸テーブルに置き、ルカに見せてくれた。 「これって、碧……?」 「そう。〝アオ〟というウイスキーだよ。人口減少にともなって多くの蒸留所が次々と歴史を閉じる中、数世紀にわたって伝統を守り続けているブレンデッドウイスキー」 「アオ……」 「そう――ルカの瞳のブルーにもぴったりだろう」  乾杯、とグラスを近付けながら、ジョージはルカの隣、人半分程離れて腰をおろした。ソファの背に片腕を回しくつろぐジョージの横顔を見ながら、ルカもグラスを傾ける。 「おいしい……」 「よかった」  喜色を浮かべるジョージの横顔を、背の高いシェードランプのアンティークな光が優しく包み込んでいる。くつろぐジョージはスーツのジャケットを脱ぎ、珍しくネクタイまで外している。ベストの下のホワイトシャツの襟元から、キラリとシルバーのネックレスが覗いた。  ルカは、ジョージの視線につられるように、ソファ前の夜景を大きく切り取っているガラス窓を向いた。  無数の夜光たち。この光の向こうに、多くの人間の人生がある。 (例えば……そう、オレみたいなガンマの人生も)  感傷が滲んだ瞬間を見ていたのだろう、ジョージはグラスを回してカランと氷を鳴らし、小さく話し始めた。 「今日はいい誕生日だった。こんなに穏やかな気持ちになったのは久しぶりだ。ありがとう」  唐突な謝辞が意外で、思わずルカはジョージを振り返った。 「ルカ。キミは何を訊きたい。それとも、私から話したほうが分かりやすいかな?」 「……ジョージさんの言葉で…………」  聴きたい、とルカが声を出す前に、ジョージが「そうだな」と頷く気配がした。 「こんな風に誰かに話をするのは得意じゃないんだが。私の……いや、俺の言葉で話すよ。ルカに聴いてもらいたい」  ルカと一瞬見つめ合って、ジョージはまた外の夜景に視線を移した。 「何から話そうか。そうだな。……俺に、姉がいたことは話したか?」 「いいえ、初耳です」 「姉のことを人に話すのは……何年ぶりだろうな。とにかく普段は忘れるようにしている。俺と姉さんは、アルファの父と、父の精子提供を受けて妊娠したガンマとの子だ。俺が産まれたちょうど40年前は、今ほどガンマ適応体が出現していなくてね。父は、世界中を飛び回る大会社の社長だったから、貴重なガンマ体が見つかるとすぐにどこからともなく連絡が入ったそうだ。跡継ぎが必要になると、ガンマ体との子作りに承諾して、姉さんと俺が産まれた」  二卵性だからそっくりとまではいかなかったが、とジョージは口角を上げた。 「じゃあ、お母さまのことは……」 「写真すら見たことはない。特に特区で保護されているガンマは情報規制されていたからだろうな。それを知っていたのに……思春期を迎えた姉さんは、初潮を迎えると自ら志願して特区に向かった」 「どうして……」  狼狽えるルカの声を聴き、ジョージは目を細めた。 「恐ろしかったんだ。自分が、受胎できるという事実が。毎年世界政府から大金が振り込まれ、父からも父の会社からも特別扱いを受けていた。彼女はそのことで友人を失い、失意の中自ら特区に……保護を求めたはずが、当時は今よりもっと女性やガンマ体の扱いが厳しかったようでね。俺の姉は、誰とも分からぬアルファ男の精子を取り込み毎年受胎し出産していた。産んだ子を抱かせても貰えない年もあったと聴いている」 「そんな……そんなことって」 「だんだん精神を病み、3年ともたず、18で自ら命を絶ったそうだ」  研究材料にされたとかで死に目にも会えなかったがな、とジョージは目を瞑り酒を煽った。手前にミニテーブルを引き寄せ、碧のボトルを傾け琥珀色の液を注ぎ、指で氷に馴染ませる。人差し指についた酒を舐めとる仕草が物悲しい。 「そういえば、エマからどんな話を聞いたんだったか?」 「いえ、実は何も。ジョージさんの身に何が起きたのか、自分からは言えないと」 「そうか」  何を考えているのか。ジョージの色の無い表情は、電源の入っていない液晶パネルを想起させた。 「エマを闇市で買い取ったときに彼女が相当荒んでいたから、彼女には俺のかつての恋人――婚約者の話を聴かせたんだ。信頼してほしかったからな」  ジョージはそう言い終わると、シルバーのネックレスを外し、丁寧にテーブルの上に置いた。よく見るとネックレスの先には、ドッグタグと指輪がついているようだ。  ドッグタグにジョージが優しく触れると、ふわりと3D映像が立ち上がった。  ふたりいるうちの一人はジョージだ。20歳ほど若いだろうか、学生のようにも見える。少し映像がブレたあとジョージが映像からフレームアウトし、もう一人、ジョージと同じ歳の頃の美青年がこちらを向いた。  日本人らしいジョージと違い、美青年のほうは美しいブロンドヘアだから、きっとハーフなのだろう。  ルカは、その美青年と目が合ったように錯覚し、背に汗を滲ませた。嫌な予感がした。 (嫌だ……この映像を見たくない)  目と耳をふさぎたくなる気持ちを抑え、ルカはテーブル上の空中に浮かぶ、鮮やかな3D映像を見つめた。 『XX年XX月XX日。立ち合い人、鷹司譲治』 『ジョージ。ボクが先? これって一体、何を言えばいいんだい?』 『何でもいいさ。互いに受け取るんだし、キミが俺に残したいことを』 『それは分かっているけど……』  困ったように笑う美青年の瞳が、自分の瞳とよく似たブルーであることにルカは気付いていた。 『死んだ後のボクからジョージへ、か。そうだな。まずは……出逢ってくれたことに最大の感謝を。ボクが死んだら、この遺言と共に遺産をジョージに相続してください。共に歩いてくれている彼の、会社の運営資金にしてほしい』 (遺言……自分は家族から貰ったことが無いから知らなかったけど、こんなことができるんだ) 『それから、ボクの家族へ。あんなに反対していたのに、最後はジョージと一緒になることを許してくれてありがとう。愛してる……ダメだ、ジョージ、これ、恥ずかしいよ』 『俺だって交替するんだ。同じようなもんさ、気にせずどうぞ?』 『もう……そうだな、あとは何だろう。そうだ、サプライズにしようと思っていたんだけど、記念にここに残そうかな!!』 『サプライズ?』 『そう。この前の検査結果が届いたんだ。ジョージ! ボク、アルファ型寄生虫適応者だったんだよ!! ベータとしての遺伝子が優秀だったって!!』 『なんだって!? ジーザス!!!』  ふたりが抱きついた衝撃で、大きな音を立てて映像が終了した。映像の端に、満面の笑みでジョージを見上げる恋人の姿が映っていた。  横を見ると、ジョージがその影を愛おしげに見つめていた。 (ジョージさんの恋人、適正ベータだったんだ) 「彼は俺の良きビジネスパートナーであり家族だった。彼は当然受胎と出産を希望し俺たちの子を宿した。盛大に結婚式も執り行う予定だった。……その一週間前だった」  その先を言われずとも、この映像がジョージの手元に渡っている時点で結末はわかっていた。 「当時会社は世界をまたにかける商社として飛ぶ鳥を落とす勢いだった。俺たちはもっと慎重になるべきだったんだ。だが、俺も彼も初めての恋や初めての受胎に浮かれきっていて、どこに行っても自慢話ばかりしていた。幸せな便りはすぐに業界全体に広まり、結果的に貴重なガンマ体を欲しがる犯罪者連中によって………………すまない」  ジョージは、あいた右手で目元を覆い、ソファの上でうずくまった。手元からグラスが滑り落ち、ペルシャ絨毯を濡らしたが、そんなことはどうでもよかった。 「ジョージさん、つらいならもう……」 「いや、ダメだ。ルカ、キミがその身体になったのは、俺の所為なんだ」 「え……?」  それってどういう、と声をかけるとジョージはひとつ深呼吸をし、もう一度話し始めた。  ジョージの声は、わずかに震えていた。 「彼が死んですぐ、俺はガンマ研究所支援を開始した。一番力を入れたのは、抑制剤の開発だ。アルファは、初潮を迎えたガンマのフェロモンに耐えられない。だからガンマ関連犯罪のリーダーは、アルファ率が高いんだ。誓って言うが、キミに出逢ってから抑制剤の服用を欠かしたことはないし、酷いことをしたあの日も、抑制剤を飲んでいた。ただ、どうしてもまだ研究段階の薬剤だから、効果が安定していないんだ。……本当にすまない」 「……そうだったんですか」  ルカは目を合わせ謝ってくるジョージを見ていられず、グラスをちびりと舐めた。 「抑制剤の研究に力を入れている製薬会社に多額の支援を始め、闇市や人身売買オークションで買った人間を雇うことに決めた。同時に、貧困層の恵まれないベータ男体たちへ学費支援もスタートした。スラムの人間は第二性(バース)知識が乏しく、ベータ男体は、金に困ればガンマ体になって大金を入手して楽に暮らせるという噂まであった。実際はルカが知っている通り、ガンマの人生は簡単にはいかないんだが……。だから、第二性(バース)教育にも尽力した。そんな中、毎年誕生日プレゼントを送ってくれる子もいるが、誰ひとり会ったことはない。父親のように慕っていると手紙をくれる子もいるが、それを見る度に――犯した過ちの罪滅ぼしで支援している自分が、あんな純粋な子たちを愛する資格なんか無いと思い知る」  ジョージが泣かず懸命にルカへと話をしているから、ルカはつられて涙を堪えていた。鼻の奥が痛みと熱をもったが、ジョージの胸の痛みに比べれば大したことはなかった。 「ジョージさん。それとオレが何の関係が……?」  勇気をふり絞り口を挟むと、顔を上げルカを見たジョージの瞳が、わずかに揺れていた。 「俺が支援している研究所のライバル社が、俺の検査結果と遺伝子を盗み、アルファ型寄生虫を合成した可能性が高いと、調査会社から報告を受けた」  ルカが氷水を被ったあの日、怒鳴っていた原因はこれなのだと、申し訳なさそうにジョージは頭を下げた。 「……あとは、想像通りだ。調査報告書を見るかどうかは、キミに任せるよ」  ジョージが左腕にしている腕時計の盤面をなぞると、ホログラムディスプレイが立ち上がり、データをルカのPCに送信してくれたことが分かった。 「俺を嫌ってくれ、ルカ。復讐すべき相手は目の前にいる。酔っている俺を殺すのも容易いだろう」 「そんな、殺すだなんて。それに――ジョージさんのせいじゃない、ジョージさんは悪くないじゃないですか」 「……ルカ、キミは本当に優しすぎる」 「そんなことないです。オレにこうやってちゃんと向き合ってくれた。謝ってくれたし、つらい話もしてくれた。ジョージさんは優しいです」  必死に言葉を繕うルカに、ジョージは、「俺はキミが思うほどまともな人間じゃない」と呟き大きく息を吐いた。 「……ルカは、俺に服を脱げと命令されたら断れないだろう」 「それは……奴隷症ですから、もちろんそうですけど」 「それがどれだけ恐ろしいことか……俺なら耐えられない。殺したい程憎いだろう。それなのにキミは、俺をなんとか理解しようとしてくれている。……敵わないよ」  再度、ルカは優しすぎる、とジョージは繰り返した。頭を抱えソファーに深く沈むジョージに、ルカは思わず手を伸ばした。肩をさすろうとすると、途端にジョージが大声をあげた。 「やめてくれ、ルカ! ……触らないでくれ、頼む」 「ジョージさん……」  怒鳴ったあと深呼吸をして、ジョージは絞り出すように囁いた。 「おかしくなりそうなんだ。20年間、彼のことをひと時も忘れたことはなかったのに、ルカ、キミは俺に優しい笑顔を向けてくれた。許容量を越えてもなお素直に従い勉学に励むキミに惹かれていった。それなのに、俺はキミのフェロモンに耐えることすらできず、裏切るようなことを……あれから毎日、死にたいほど後悔しているというのに、キミを抱く夢ばかり見るんだ。……もう、これ以上キミを傷つけたくないのに」  最低だろう、と自嘲気味に呟き、ジョージはソファから立ち上がった。 「話は終わりだ。今夜は眠ろう、ルカ」  ジョージはそう言うと、3部屋あるベッドルームのうちの一つのカードキーを、ルカに見えるようテーブルの上に置いた。 「必ず鍵をかけてくれ。……俺はこれ以上、惨めな男になりたくない」  おやすみルカ、と言い捨てジョージはソファを後にした。一番近いベッドルームで眠るのだろう、扉の中に消えていった。  取り残されたルカがテーブルの上を見ると、『ブレンデッドウイスキー 碧』という美しい青のラベルが貼られたボトルと、薄っぺらなカードキーが一枚置かれていた。 続
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