第八話 エマの告白

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第八話 エマの告白

8. f98a4f7d-b47d-4154-8cee-1b5f11b4eaa8 「ルカさま?! こんな場所にいらして、どうなさったんですか?!」  自ら氷水をかぶり文字通り場を凍り付かせてから一夜明けた。  ルカは夕食後、三時間ほど復習勉強をしたところでどうにも集中ができなくなり、屋敷の中でも一番大きなセントラル厨房まで足を運んでいた。 「エマ! まだいたんだ。ごめんね、こんな時間に」 「いいえ、それはいいのですが……お夜食など必要でしたら、ご連絡ひとつでお部屋までお持ちしましたのに……」 「ううん、いいんだ。少し、誰かと話がしたくて」  ルカは、キッチンの作業台の前にある丸椅子をひき、エマに座るようにうながした。 「もちろん、私でよければ……」 「うん。エマ、悪いね」  珈琲をいれるためルカがエマに道具と豆の置き場をきくと、エマは立ち上がり「そんなことは私がやりますから!」と焦って声を上げた。が、ルカは、自分でいれるのだと譲らなかった。そこでエマは何かを悟ったのか、それ以上ルカがやることに口出ししようとはしなかった。 「エマ、座って。少し話をしよう」  ルカは、結局エマに全て出してもらった道具を作業台に並べた。まずは焙煎済の豆を、手動のミルでひきはじめた。電動のものもあるようだったが、今はゆっくりと時間をかけたい意図もあり、カルチャー史で習った要領でミルの取っ手を回し、ガリガリと豆をひきはじめた。  使用人である自分だけが座る状態にエマは落ち着かない様子だ。ルカはそんなエマを気遣い、努めて優しい声をかけた。 「普段からみんな、こんな時間まで残って仕事をするの?」 「い、いいえ、そんなことは。私がとろいだけで、とっくにもう皆自室に戻って自由に過ごしているはずの時間で……」 「そうなんだ。あんまりかたくならないでね、オレからしたら、ちょっと勉強に集中できなくて、誰か……そう、誰かと話したかっただけなんだ。でも、エマがいてくれてよかった。オレからしたら、スタッフのみんなのなかで一番話しやすいから」 「そんな……身に余る光栄です」  会釈をするエマを見て、ルカはふふっと笑みをこぼした。 「エマは優しいね。オレみたいな……生物として中途半端な男――いや、もう男でもないのか、とにかく、そんな”生き物”にそんな風に接してくれて。いつもありがとう」  カリカリと豆が砕ける音だけが広々とした厨房内に響く。エマは、何を言って良いのか戸惑っているようだったが、メイド制服エプロンの裾をギュッと握り、何かを決心したように発言した。 「……ルカさまがもし生物として中途半端だとしたら、私も、きっと同じ……いいえ、もっと生き物として最低かもしれません」 「どういう意味?」 「私が、妊娠できない女だから、です」  エマの発言に驚き、手を止め顔を上げる。 「エマ……? それって……」 「ルカさま、私は、三年程前、ルカさまと同じように旦那さまに買い取られてここに来ました」  意外な告白に、ルカは息を飲んだ。エマは瞳に涙を溜め、必死に何かに耐えているようだった。 「今や私たち女性という性別は、妊娠出産ができる、できないということに大きく人生を左右されます。人類が七十億人もいた百年以上前は、女性の不妊率は世界でも十パーセント弱だったそうです。それが、今は妊娠率が逆転して久しいことは、お勉強なさっているルカさまはもう、ご存知でしょう」 「……妊娠出産できる女性が、一桁パーセント代だってことは、うん」  エマは、あまり見つめられると話しづらそうだった。ルカはその空気を察し、お湯を沸かす作業にとりかかりながらエマの話に耳を傾けることにする。 「ごく普通の一般家庭に産まれましたが、女性が産まれたことで、両親は周囲からチヤホヤされて過ごしました。もし受胎可能な女性体であれば、世界政府から莫大な支援金を貰えますから。私も甘やかされて育って。でも、思春期前に初潮が来なかったために受けた遺伝子検査で、受胎できない身体だとわかったんです。途端に両親は荒れ、そんなお荷物はいらないと」 「……お荷物?」 「はい。お前にかける金はないと。すぐに追い出されました」  お湯が沸くまでの間、ルカはエマの前の丸椅子に座って待つことにする。受胎と出産にまつわるエマの話は、ルカにとって他人事には思えなかったからだ。 「現代の世界に、受胎できない女性の居場所はありません。さらには……ルカさまにこんな風に言うのは失礼かもしれませんが」 「ううん、いいんだ。話してほしい、エマのことを知りたい」 「……ガンマ両性具有体の研究も進み、ますます息苦しくなっています。ベータ男体で産まれ、さらにガンマ適応体に選ばれたらよかったのに、と何度も何度も自分を責めていました」  うつむいていたエマと、ルカの目が一瞬交差する。エマは少しだけ息を大きく吸い込み、つづけた。 「受胎できない女性が、多くの人間の嗜好品としてよく売れることは、知識として知っていました」  その言葉をきいて、ルカはごくりとつばを飲み込む。 「売春に、もちろん人身売買……いつも受胎できない女性は犯罪の中央にいる、と。でも、私は家を追われ、路頭に迷っていたときに自ら売春宿に……バカですよね、世界中が求めていない自分を、あの場所だけは求めてくれている気がして」  ケトルがシュンシュンと湯気を上げているが、ふたりともそれに構う余裕はなかった。 「自分で言うのもなんですが、私はよく売れました。ですが、仕事を取りすぎてボロ雑巾のようになり、最後は宿から人身売買の市場に売りに出され……そこで……」 「……ジョージさんと出会った?」 「はい」  そうだったんだ、とルカは自分が出せる限りの優しい感情をのせて相槌を打った。エマはその相槌に感謝の意を込め、ふわっと笑う。ルカにはそれが、エマ自身をあざ笑っているかのように見えた。 「旦那さまは、世界の人口が半分近く失われた中で多くの使用人を雇えることは自分のステータス誇示につながるとおっしゃっていました。その言葉だけなら酷い人間にきこえるでしょうが、私には、そうは思えません。旦那さまは、私も含め同じような境遇の人間を性別問わず手厚く保護し教育しています。そうは見えないでしょうが、執事長のセバスチャンさま以外の多くの人間が、スラムや売春宿、闇市の出身です」 「そんな……全然知らなかった」 「ええ、知らせないようにしているのです。旦那さまがなぜそんなことをつづけているのか……その想いや、ご自分の身に何が起きたのか、ほとんど話さずに過ごしていますから」 「ジョージさんの身に起きたこと?」  ルカが動揺するのと同時に、ガス台方面からガタンと大きな音がし、ふたりは振り返る。見ると、珈琲用のケトルの蓋が台の上でコロコロと揺れていた。どうやら、蒸気で蓋が外れてしまったようだ。  ルカはガス台のコンロの火を止める。二十年の人生の中でIHなどの電気を使用した調理器具にしか触れたことはなかったが、地球史の勉強のおかげでガスの操作に戸惑うことはなかった。 「ジョージさんに何が……?」 「ルカさま。恐れながら……私から、これ以上お話するのは」  すみません、と椅子に座ったままエマは深々とお辞儀をした。あまりに深く身体を折るので、ルカは慌ててエマの肩を押し顔を上げさせた。今日一番近くでエマの瞳をとらえると、水滴が落ち床を濡らした。 「旦那さまは、ルカさまに酷いことをしたとおっしゃっていました……なのに、こんなことをルカさまに申し上げるべきでないのでしょう、それでも旦那さまは……ジョージさまは本来お優しいかたです。どうか、どうか……」 「……うん」 「どうか、ジョージさまを……」  エマはそこまで言うと、もうそれ以上言葉を声に乗せることができなくなっていた。だが、ルカにはわかる。エマの言いたかった言葉のつづきが。 「うん、エマ……うん……つらいことを思い出させちゃってごめんね。話してくれてありがとう、エマ」  きっとエマは、ルカがジョージを救う唯一の人物であることを祈っている。その願いを叶えてやりたいと思う一方、複雑な想いとの折り合いのつけ方をどうしたらよいのか、一段とわからなくなっていく。 「ありがとう、エマ……ありがとう」  苦しそうにすすり泣くエマの背中をさすりながら、ルカも目頭を熱くしていた。  ルカの思考は、光の届かぬ深海に沈むように、ゆっくりと暗闇におりていった。 続
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