第九話 向き合うための覚悟

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第九話 向き合うための覚悟

9. 381eb07e-e72b-4f77-9e5a-22d00fd7fc75  衝撃的な過去をエマに聞かされてから2カ月ほどが経ったが、ルカはすっかりジョージとの距離を測りかねていた。  ジョージは相変わらず、週の半分以上共に朝食を摂ってくれているが、ルカのことを気遣い触れられる距離には絶対に近付いてこなかった。ルカは毎日その姿を見ながら、エマが願う『ジョージを救う人物』のあり方について考えていた。 (ジョージさんを救う……? こんな惨めなガンマのオレが、どうやって救えるっていうんだ) 「ルカさま! おはようございます、いいお天気ですね!」  天窓から朝の気持ち良い日差しが差し込む廊下を考え事をしながら歩いていると、エマと4人の使用人たちと出くわした。ルカと同じく、朝食が準備されている食堂に向かっているところだろうか。 「みんな! おはよう、セバスチャンも。あれ、大荷物だね、手伝おうか?」  使用人たちは各々、大量のプレゼントボックスを詰んだワゴンをおしていたり、天板に乗り切らないビッグサイズの箱を両手で抱えたりしていた。 「ルカさまに手伝っていただくなんて、そんな!」 「でも、重たそうだよ。ほら、その大きいのなんて、女性が持つには大変でしょう、一つ貰うね」 「すみません、ルカさま。いつもお気遣い、ありがとうございます!」 「いいんだ。オレにできることなら手伝うよ」  ルカは、両腕で抱えると顔が隠れそうになるほどの大きさのプレゼントを受け取りほほ笑んだ。  ルカは、こんなスタッフとの何気ない日常が好きだった。エマに、皆の出自を聴いたからかもしれない。それぞれ胸の内に抱える何かを抑え込みながらも楽しく笑顔で働く彼らを、ルカは心から尊敬していたし、身寄りのないルカにとって、疑似的でも家族のように過ごせることが嬉しかった。 「それにしても凄いプレゼントの数だね。クリスマスには一カ月も早いし、スタッフの誰かがお誕生日とか?」 「え……ルカさま、ご存知ないんですか?」 「知らないな、そういえば、みんなの誕生日」 「そうではなくて! 今日が何の日か……まだ、聞いてないんですか?」 「まだ……?」  ルカは首を傾げた。何か大切なスケジュールだっただろうか。それなら、それこそセバスチャンからとっくに知らせてもらっているはずだが。  ルカが立ち止まった拍子に、プレゼントについていたカードが廊下に敷かれた絨毯にふわりと落ちていった。それを拾おうとすると、『お誕生日おめでとうございます。日々の支援のおかげで高校に入学できました、本当にありがとうございます。いつかお会いできたら嬉しいです』というメッセージが目に入った。 「これって……」 「私だよ」  ふいに後ろから声がかかり、ルカは驚きのあまり肩を震わせた。ルカはまだ、いきなりジョージの声が聞こえること自体に慣れなかった。 「……ジョージさん。おはようございます」 「おはよう、ルカ」 「ジョージさま。まだ、ルカさまにお話になっていらっしゃらなかったのですか」  挨拶をするジョージとルカを見ながら、セバスチャンが、呆れたような色の混じる溜息をついた。 「あぁ、言う必要がないと思っていたからな。私だよ、ルカ」 「ジョージさん、さっきから何が『私』なんですか?」 「誰の誕生日かと訊いていただろ。私だよ。私の誕生日なんだ」  朝食後のデザートのリンゴパイを食べながら、ルカはジョージの顔を見上げる。ジョージの傍には、ワゴンが3つ並べられ、所狭しとプレゼントやカードが積まれている。 (ジョージさん、11月生まれだったんだ。言っておいてくれればよかったのに。とっさにオメデトウゴザイマスとは言ったけど、誕生日の話それだけって……さすがにまずいよな)  ジョージは、何やら手元の書類を見ながら難しい顔で紅茶を啜っている。ルカは、テーブルの向こう側にいるジョージに届くよう声を張り上げた。 「あ、あの! ジョージさん」 「ん? ルカ、なんだい?」  ジョージは視線を上げてルカと目を合わせてくれる。最近のジョージはこのように優しい表情を崩さない。それでもやはりルカは、いつかのジョージの仕打ちを思い出しそうで目が合うと緊張してしまう。 「あの……さっきの、誕生日のお話なんですが」 「あぁ。言っていなくてすまない。ルカは5月だったよな。ルカのときは盛大に祝おう。後継者としてのお披露目パーティにしてもいいな」 「あ、ありがとうございます……じゃなくて、あの、ジョージさん、お誕生日は何か特別なことはしないんですか?」 「あぁ。例年一日仕事をしているな。会社にはパーティを開くよう言われていてね、うるさいから、数年に一度はやってはいるが」  今年は仕事三昧だ、とジョージはニコリと笑いながら、ティーカップをソーサ―に置いた。 「オレも……何かお祝いを」 「いいんだ、気にしないでくれ」 「でも!」  ルカがなおも食い下がろうとすると、ジョージは困ったように肩をすくめて、それなら、と言った。 「それなら?」 「うん。ルカの今日一日の時間をくれないか」  ――何を、させられるのだろうか?  一瞬、ルカの表情が曇ったのを、ジョージは見逃さなかった。 「ルカ。そんなに不安そうな顔をしないでくれ。一度私の仕事を見て貰おうと思っただけだ。今日から明日まではとりあえず、私の仕事先についてきてくれればいい。合間に私が直接仕事を教えよう。セバスチャン、ジェットの手配を」 「はい、旦那さま」 「それから……」  ジョージは立ち上がり、セバスチャンに何やらいくつか依頼をしている。専門用語は聞き取りづらく、ジョージが何を指示しているのか、全ては理解できなかった。  準備されたプライベートジェットは高性能で、東京から今日の目的地である香港まで4時間もかからないそうだ。  ルカは、ジェット機に乗るのが初めてだった。どうしても恐ろしく、乗る前、何度かパイロットに仕組みを質問しに行った。パイロットは丁寧に安全装置の話をしながらルカを安心させようと努力してくれたし、合間に挟んでくれた豆知識によれば、人類が今の倍以上の人数がいた頃には、プラス2時間ほどかかっていたそうだ。凄い進歩だと感心し、ルカは搭乗を決めた。  飛行中は、パイロットの愛機自慢を聴いたり、ジョージから仕事の流れを叩き込まれ、怖がる暇もなくあっという間に時間が過ぎていった。  香港の最高級ホテルの最上階を贅沢に使ったスイートルームにチェックインすると、すぐさま取引相手が部屋を訪れた。英語で名刺交換をしてから、打ち合わせが終わるまでジョージの傍で待機した。やはり専門用語が多くて半分くらいしか分からなかったが、しかしジョージ邸に引き取られた当初と比べると、勉強の成果は多少なりとも出ているようで、ルカは安心していた。  何人か仕事相手を交替すると、スイートルームの大きく切り取られたガラス窓から見える景色が、すっかり夜景に変わっていた。 (人口が多かった頃は、もっと夜景が綺麗だったのかな?)  ガンマが生まれる前の人類の歴史に想いを馳せながら、ルカはぼんやりと外を眺めていた。 「ルカ。最初から飛ばしすぎたか? 随分疲れただろう」 「いいえ。普段の勉強に比べればそんな。色々教えてもらって、ありがとうございます」 「そうか。それはよかった」  こちらこそ直接仕事をみて貰えてよかったよ、とジョージはほほ笑んだ。 「今日はこれで終わりだ、おつかれさま。私は明日の朝イチにもう一件仕事を片付ける予定なんだが。ルカはどうする? ここはベッドルームもいくつかあるが……同じフロアにいるのが不安だったら、私は下に部屋をとる」 「いいえ……大丈夫です」  ルカが、この部屋に泊まりますと意思表示をすると、ジョージはあからさまに安堵しているようだった。 (あんな風に二度と触らないと言った誓いを守ってるジョージさんからしたら、同じ部屋に泊まるかどうか訊くのは、緊張する提案だったのかな……) 「ルカ、悪いな、私がいると緊張するだろうが。体調が悪くなったらすぐに医師を呼ぶから教えてくれ」 「いえ、そんな。体調も、今のところ大丈夫です」 「必要なものがあれば、何でも言ってくれ。できるものなら準備しよう」 「そんなに気を遣っていただかなくても。それに、今日はジョージさんの誕生日ですから」 「ルカと一緒にいられるだけで、十分な誕生日プレゼントだよ。それに、キミは大切な家族だ。気ぐらい遣わせてくれ」  ――家族。  ジョージはそんな風にルカのことを想ってくれているのか。 (エマが言っていたみたいに、いい人で、優しい人なんだと思うけど……実際プライベートはどんな人なんだろう。そういえばオレ、あんまりジョージさんのこと知らないな。そうか。ドライブのときに少し話したっきりだ。あんなことになってしまったし、ゆっくり話してないんだな)  知りたい、もっと。  雇い主であり、自身の身体の中にいるアルファ型寄生虫の宿主でもある、男。彼をもっと知らなければならない。 (エマ……オレ、誰かを救えるような人間じゃないけど) 「あの、ジョージさん……そしたら、実は、お願いがあります」 (オレができることから、やっていくよ、エマ) 「なんだい。私にできることであれば、何でも遠慮なく言ってくれ」  真摯な姿勢に勇気を得る。 「ジョージさんのことをもう少し知りたいんです。お話をしてくれませんか」 「話?」 「そうです。エマに言われたんです。ジョージさんは、優しい人だって。今も、身寄りのないオレを家族だと気遣ってくれたでしょう。でも、オレはジョージさんについての情報を……ジョージさんの考えていることや気持ちや、過去を、意図的に知ろうとしてこなかった。正直悩んでるんです。これから、一緒に過ごす時間も増えます。もっと、ジョージさん自身のお話を聴かせてもらえませんか」 「そうか。エマと話を……」 「はい」  自身の革靴のつま先を見ていたジョージが、覚悟したように顔を上げた。おもむろに立ち上がると、ジョージは部屋備え付けのワインセラーからワインを取り出し、グラスに注いだ。 「そうだな、ルカ。私の話を……聴いてくれるか。少し、いや、かなり重い話もあるが」  ルカはワイングラスを受け取りながら「はい」と応えた。 「聴きたいです。ジョージさんの話」 「……ありがとう、ルカ。話そう」  ルカは促されるまま、乾杯のためにグラスを傾けた。照明に照らされたジョージのグラスで、赤い液体がテラテラと鈍く黒光りしていた。 続
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