2.帰国

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2.帰国

 眞井家(さないけ)と聞けば、ここら辺の住民は「あぁ」と意味ありげに頷く。そうして次に「あの御殿のようなおうち」と言い、噂話を始めるのがルーティンだった。 「室内プールに、中庭の池には錦鯉!」 「離れに茶室があるらしい」 「玄関には熊の毛皮があるって!」  ……本当は影で「キリトリ御殿」と陰口を叩いているのを、俺は知っている。超高利の貸付に、ヤクザ顔負けの取り立てで、豪邸を築き上げたからだ。  一昔前、法の整備がまだ充分じゃなかった時代、辣腕を振るった祖父の悪名は、町中を轟かせていた。  というか祖父は幼少期から問題児だったらしく、地元の年寄りはひそひそと昔話をする。学校には禄に行かず、子分のような取り巻きを従えて、目に余る不良行為の数々。16で子どもを作り――その時、生まれた長男が俺の父親。  貸金業を始めたのは、祖父の父――俺の曽祖父らしいけど、顔は覚えていない。なんでも商人として細々と商いをやっていたが、曾祖父の代で貸金業に鞍替え。2代目の祖父は、子どもができると、貸金業に本格的に乗り出したそうだ。  不良時代の子分を従え、苛烈な取り立てを行った。部下の中には半分ヤクザみたいな奴もいて、誰もが祖父を恐れていた。 「汐、お前……デカくなったなぁ」 「まぁね」  空港には、父親が車で迎えにきた。親といっても特に会話することもなく、キリトリ御殿に着くと、俺はさっさと自分の部屋に向かった。  父親は長男で、いずれこの家を継ぐからと同居しているが――俺は住みたくて、この屋敷にいるわけじゃない。この家の絶対は祖父で、目障りな叔父まで同居している。  仕方なく、俺は中学まで使っていた部屋を見渡した。  使用人に掃除させていたのか、埃一つない部屋。ここにあと何回、来るかな。  あるものが手に入れば、こんなかび臭い屋敷、どうなろうと知ったことじゃない。自分の部屋から持ち出す物は特になかった。思い入れも、懐かしむものもない。  持ち出すものは、もう決まっているから。  廊下に出ると、真っ先に祖父の部屋に向かう。今日は俺が久しぶりに帰国したと、使用人が表座敷に料理を運んでいるらしいが、面倒なだけだった。  歩くたびにぎしぎしと、音が出る廊下を進んでいく。  昔より音が出るのは、俺が成長したからか、それともこの建物が古くなっているのか。  壁にかけられた、絵画を見る。バブル期――祖父の粗暴なやり方が通用していた時代、借金のカタに取り上げたらしい絵。額縁を見ると、埃が溜っていた。  そういえば、使用人が少なくなった。  昔は廊下を歩いていたら、使用人の一人や二人、すれ違うことがあったのに。「汐様」「汐ぼっちゃん」と口々に挨拶されて……どうでもいいか。  時代に取り残されようとしている屋敷の主は、普段から居間にいる。この屋敷で2番目に広い部屋だ。  目的地を目指して、客間を通り過ぎようとしていた時だった。障子が音もなく開いた。 「……汐様?」 「冨浦(とみうら)か?」  廊下に出てきたのは、野暮ったいスーツ姿の冨浦と、着流し姿の祖父だった。 「なんだ……もう帰ってきてたのか」  さして興味もなさそうな祖父が、ちらりと一瞥する。俺は顎だけ動かして、会釈した。 「今、挨拶に行こうとしていた」 「ややっ、これはっ!これはっ!汐様、だいぶ成長なされてっ」 「久しいね、冨浦」  あたふたとした様子の男が、昔と変わらず、腰を180度曲げるようにお辞儀をした。  瞬間、たばこの匂いに混じって、鼻につく匂い。頭を上げた冨浦を全身に、目を走らせる。ジャケットの下、皺のできたシャツが、ベルトからはみ出していた。  奥歯が割れるぐらい、噛み締めた。 「いやはや、大層な美男子になられて……驚きました」 「冨浦は変わらず元気そうだな。いい事でもあったか」  冨浦(とみうら)伸雄(のぶお)。  祖父と昔ながらの仕事仲間。野暮ったいスーツに、薄くなっている後頭部は堅気の勤め人にしか見えないが、こいつは立派な詐欺師。  表向きは飲食のコンサルティング企業経営。実態は悪徳コンサルタント。 「ははぁ、分かりますかぁ、今日はね、活力になるものを頂きまして、ははっ、さきほどね」  冨浦は意味ありげに、腰辺りのベルトを引っ張る。よく見ると、スラックスのチャックが半分、開いていた。 「やっぱり男はこれがなくちゃねぇ」  今、こいつを殺せたらどんなにいいかな。 「へぇ、いつまでもお――」  お盛んで、と言いたくなるのを堪えて「元気だね」と言う。  にやにやと薄気味悪い笑みを浮かべた冨浦が「何をおっしゃいます!汐様は今年大学生でしょう、若さには勝てませんよぉ」とペコペコ頭を下げた。  こいつの会社は飲食店プロデュースなどをウェブサイトで謳っているが、半分詐欺みたいなものだった。定期的に起きる飲食店ブームに乗っかろうとする脱サラを狙うのが、富浦の手口。客も見込めないような、二束三文の土地を紹介し、コンサル料として、退職金を持ったサラリーマンから、小金を搾り取る。  飲食店ブームなんては、もって5年。売れない土地を押しつけ、金を搾り取ったら、後は店が潰れようが、知ったことじゃない。冨浦の甘言に釣られて、人生を狂わされた人間は大勢いる。 「いやぁ、上等な酒をね、ご相伴頂き……」  冨浦はしょぼくれた身なりとは裏腹に、薄っすらと笑みを浮かべていた。こいつの金を持ってなさそうな、ぼんやりとした身なりは相手を信用させるため。  それに気が付いたのは、割と早い段階から。しょっちゅう屋敷を訪れていた冨浦は、祖父とビジネスの話をしながら、「上等な酒」で盛り上がっていた。  おじさんは、こいつにはめられた。  もっと言うと、祖父に頼まれた冨浦が、おじさんを嵌めた。 「それじゃ、わたくしはこれで……あ、お見送りは結構ですので」  何度も後ろを振り向きながら、冨浦が出ていった。 「ああ……元気でな」  次、こいつと会うのは何年後になるかな。できたらムショにぶち込んで、そこで余生を過ごしてくれたら良いんだが。  祖父と2人きりになると「挨拶なんぞいらん」と横を通り過ぎるので「話がある」と引き留めた。 「なんだ……あっちの入学は9月だろう。それまで日本にいるのか」 「いや?すぐ戻る予定」  これからは国際化だと、祖父の一言で俺の高校は海外になった。アメリカの高校で3年間を過ごし、進路はシンガポールの大学に決まった。  昔はおじさんと引き離すためだと、祖父へ殺意が沸いたが、今は感謝している。留学のおかげで、早めに目的が果たせそうだからだ。 「話がある。そこでいいから」  客間を顎で指すと、祖父はくるりと向きを変える。祖父の後を付いて行くように、部屋に入ると、見覚えのある着物の裾が見えた。 「……うしお……?」  乱れた着物が、畳に広がっていた。転がされるように、畳に横たわったその人と、目が合う。 「おじさん」  帯が緩んで、胸元がはだけている。力尽きたように生白い肌を露出させて、横になっていた。 「も、申し訳ありま、せんっ……すぐに、出て行きますっ、ので」  おじさんが上体を起こすと、真っ白い胸元が見えた。男に荒らされた後が付いていて――笑いながら、ベルトを外す冨浦の姿を想像して、頭に血が上る。  同時に、幼い頃の記憶まで逆流したように溢れてきた。 『ご相伴させて頂いても?』  いつか離れで見た冨浦は、祖父にぺこぺこ頭を下げていた。タバコをふかした祖父の横には、裸にされたおじさんが、横たわっていた。 『なんだお前、そっちの趣味は無いんじゃないのか』 『いやぁ、あんまり良さそうなもんで……味見を、ぜひ味見を』  冨浦は勃起した下半身をおじさんに擦り付けていた。あの時も、おじさんは最初、冨浦が連れてきた若い男達に輪姦(まわ)されて、横たわっていた。  閉じられなくなった股を拡げて、息も絶え絶えになったおじさん。いたぶるように、冨浦がのしかかっていたのを、俺は取り付けられた連子窓の隙間から、見ていることしかできなかった。 「あ……」  おじさんは俺を見ると、ぎゅっと苦しそうに唇を噛んでいた。股までめくれ上がった着物を整えるように、手を動かす。  数年ぶりに会うおじさんから、目が離せなくなっていた。冨浦に好き勝手されたのか、髪が乱れて、頬に張り付いている。  胸元から汗と精液の匂いが漂ってくるようで、俺は唾を飲み込んだ。  体が硬直したように、動かなくなる。今、不用意に動くと、そのままおじさんに飛び掛かってしまいそうで、拳を作って耐えていた。  冨浦に暴かれた脚はのっぺりとして白く、足袋が片方、脱げていた。 「内橋……」  すっと次の間につながっている襖が開いた。入ってきたのは、絞ったタオルを手に持った内橋だった。数年前はまだ上を向かないと、目線が合わなかった。  今は俺の方が少し大きい。それだけで勝ったと――気が強くなった。 「おい、犬。連れて行け」  祖父が命令すると、内橋は首を振る。返事をしないのは、しゃべって良いと、祖父が許可していないからだ。  内橋はしゃがむと、そっとおじさんの脚に触れた。タオルで拭おうとする無骨な手が、おじさんの内腿に食い込んで――怒鳴りつけてしまいそうになるのを堪える。  暴れるな。  ここで暴れたら、計画が台無しになる。 「いいよ、おじさん、ここにいて。話があるから……内橋、お前は出て行け」  重たい瞼が蠢いて、目が合う。下から睨み付けられているようで、気分が悪くなった。 「おい、聞こえなかったのか?お前は出て行け」 「う、うしおっ、どうしたの――」 「おじさんは黙って。そこに座って」  疲れたように、おじさんが帯を締めている間、内橋はノロノロと客間を出て行った。  襖を閉めて、部屋を見回す。檜のローテーブルが少しずれていた。元の位置に戻そうと、テーブルの下を見ると、白い足袋が落ちていた。 「おじさん」 「ぁ……ご、ごめんね」  顔を青くしたおじさんが、足袋をひったくるように受け取る。正座をしようと足を整える拍子に、また無防備な足が見えて、心拍数が上がった。 「で、話は?なんだ。さっきもいったが、大学なら心配しなくても――」 「違う。大学じゃない……俺、童貞なんだよね」  腕を組んで、瞼を閉じていた祖父が、ちらっと目を開く。くだらない、と言いたげな視線だった。 「だから?」 「これから大学生活送る上で、慣れときたいんだ。だから適当な穴で捨てたいからさ――おじさんでやらせてよ」  おじさんの肩がびくりと揺れる。胸元を握りしめたその人は、今にも泣きそうな顔をしていた。 「この人、便所だからいいだろ……やらさせてよ」 「まっ、ま、って……う、うしぉ」  縋り付くような目で見られて、心臓がどうにかなりそうだった。本当は客間に入った瞬間、飛び付きたかった。  でもがっついたら、祖父に勘付かれる。なんでもない調子で「適当に捨てたい」と繰り返した。  祖父は息を吐きながら「そうだな」と頷いた。 「女の前で恰好が付かないとなぁ」 「ぉおねがいしますっ! 勘弁してくださいっ、許してください!」  おじさんが畳に額を擦り付けるようにしていた。悲痛な声で「お願いします」と祖父の慈悲に縋り付く姿に、腹の底から何かがせりあがっていく。  冨浦にやられても、俺とは死んでもやりたくないらしい。 「おい、史郎」 「ぉ、おねがいしますぅ、うしおとは、うしおとはそんなっ、息子みたいな」 「俺はあんたの息子じゃないよ」  土下座していたおじさんの体は揺れる。怯えるように頭を上げたおじさんの目には、涙が溜っていた。  俺はもう、考えるより先に、体が動いていた。手を伸ばすと、おじさんが嫌がるように身を捩るから、その場で押し倒していた。 「まぁ、こいつは捨てるには丁度いいぞ――ほら、汐の筆おろし、してやれ」 「う、うしおっ、お願い、考え直してくれっ」  押し倒すと、おじさんの目から溢れた涙が流れ落ちていく。よく見ると、白髪も増えて、目尻には皺ができている。  俺が成長するたびに、おじさんは老けていく。さっきまで男に犯されていたせいか、力も弱い。暴れる両腕を畳に押さえつけると、ささやかな抵抗するように首を振った。 「こいつで済ませた若いのは、大勢いるぞ」 「……そう」  知ってる。祖父はおじさんが男達に犯されているのを見るのが好きだった。その癖、何かが許せないのか、犯された後のおじさんを折檻するのもお決まりだった。 「終わったら、座敷に行くから」 「ああ」  便所と言ったおかげか、祖父は興味を無くしたように立ち上がった。この人にだけは、知られてはいけない。  まだ、俺には力が無いから。 「おじさん」 「ぃやっ、いや、うしおぉ」  号泣してぐしゃぐしゃになった顔を掴んだ。俺の下でもがくおじさんの体温を感じて――下半身に熱が集まっていた。
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