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伯母は海外からの留学生を相手に、下宿を営んでいる。
いつかその場所で過ごすと、倫子(みちこ)は幼い頃から心に決めていた。
だから、伯母の住む街にある大学の中から受験する学校を択んだ。
もっとも、伯母の住む街は学生の多い場所で大学も多く――大学が多いから学生が多いのか――、その街の大学へ進学することは倫子と同じ町に住む高校生にとって特別なことではなかった。
そして伯母の下宿に世話になることは、倫子がその希望を言及するまでもなく、両親にとっても自然なことだったのだろう。
ごく自然な流れのうちに、倫子は伯母の下宿人になった。
授業を終えた後、サークルに顔を出してさんざんにはしゃいだ。
夜ののみ会の誘いは、「下宿先に断りを入れてないから」という理由に託けて断り、家路に着いた。
伯母の家は、いわゆる洋館だ。
土足のまま絨毯の敷かれた上を歩いて、階段を上る。
ほとんどの下宿人は自分の部屋に入っているのか出払っているのか、人の気配はごく薄かった。
その中では、決して大声でもない話し声すら際立ってしまう。
電話をしているらしいことはわかっていたから、部屋に向かうのが、少し気に重かった。
二階の廊下の奥が倫子の部屋であり、公衆電話が置かれてあるのはそのドアのすぐ前なのだ。
階段を上りきると、何語だとも倫子には判別できない言語を、受話器に浴びせている彼の姿があった。
その向こうの窓の外に広がる、夕焼けの中でライトを灯し始める街は、まるで貝細工だ。
摩天楼が、いかにも脆そうな透明感でそびえている。
倫子の存在に気づいた彼が会釈をしながら、倫子のドアが開くのを妨げないほうへと身を寄せた。
別に急いでもいなかったけれど、ごめんね、という形に口を動かしながら部屋へ駆け込んだ。
倫子はごくふつうで、とんでもない真剣さで学生生活に向かっているわけではない。
髪の巻き具合や服の皺の寄り方を気にかける倫子は、とても勤勉な、彼ら下宿人たちの中において、異質だった。
ここに下宿している留学生たちのほとんどにとって日本が手段でしかないことくらい、ちゃんとわかっている。
彼らにとって日本は教育機関の在り処で、あるいは教育機関そのもので。
倫子にとってだって、学校が手段でしかない。
いま、通っている学校を出て、倫子は生きてゆくんだろう。
彼らは日本を出て、生きてゆくんだろう。
あたりまえだと思う。
あたりまえに違いないと思う。
倫子と彼らは、全然違う。
「彼ら」と倫子が一括りにするそれぞれだって、全然違っている。
お互いを理解することができるとも思わないし、理解しようなんてもう思ってもいない。
自分が信じるべき信じたいものを知っている人に、倫子のことを信じろなんてもちろん言えない。
でもお互いを許容できることを、もう知っている。
いつか、手を組むことがあるとしても、それは倫子たちが短いスパンで離れていくことと矛盾しない。
不信の相手のまま、不可解な相手のまま、純粋な心で触れ合うことができる。
とても自然な関係だと思う。
不信と不可解に怯えて自分をさらけ出せないなんて、愚かだ。
いくら自分を捌いて差し出したって越えることのできない壁なら、壊す必要なんてない。
切り離された空間で、それぞれの一点であればいい。
水平ですらない、心に決められた一点ずつから描き出される世界は間違いなくいびつだろう。
それでも倫子の理想と彼らそれぞれの理想が同時にひとつの世界の基点になりうるなら、たとえ孤独でもかなしくない。
(Inspired by いきものがかり「地球」)
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