蜜月の影踏み

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 この夏の迎え火の日から、かれは影法師と恋をしているそうだ。  家の前の小川に渡された、敷き鉄板の上で。ちょうど太陽は南中を迎えた頃で。赤茶けた熱い鉄板に落ちる自分自身のごく短い影法師と、かれは恋人同士になったという。以来、濃く淡く長く短く姿を変える影法師と、かれは片時も離れることなく蜜月をすごしてきたのだ、と。  かれが、ぬぼうっと、うすらぼんやり背の高い、秋の影法師のことなんて歯牙にもかけないできていたことを、私は知っている。それで問題などなかったのだ。確かに、少なくとも、去年までのかれには。  一年前の夏休み明けからつき合っていた相手と別れた理由を訊いた時にかれは「日焼けがとれたらなんかちがった」と答えた。かれが恋人に「好みの見た目」を強く求めることを私は知っている。  姿を変える恋人をいつだっていとおしみながら、真夏の高い日差しのなかにある影法師こそもっともうつくしいと、かれは確信している。ぎゅっと背が低くって真っ暗がりの影法師を、かれは格別に愛している。  日差しが秋めくにつれて影法師の背が日一日と伸びる。淡らいでゆくコントラスト。影法師は少しずつ、かれの愛する姿を失ってゆく。  平気なのか、と、私は訊ねたかった。  影法師だって恋をする。それは当たり前のことだ。人が影法師に、影法師が人に、恋をすることはめちゃくちゃにめずらしいってわけではない。昔からちょくちょくあること。だけど、実ってしまった人と影法師の恋は、しばしば悲劇に通ずるのだ。私はかれらのほかにはまだ目の当たりにしたことはないけれど、ドラマやマンガによくある、ロマンスの王道。  平気なのか。影法師の姿はすべてが仮初めのもの。かれの好みから、容易く大きく逸脱する時も、きっとある。かれの思いが冷めたって、影法師はかれから去ることなどできない。  蜜月をすごす恋人たちの不確かな悲劇に思いを馳せる。これは私の勝手なおせっかいなのか。
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