犯人の贅沢ポタージュ

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やかんが笛を吹くのとほとんど時を同じくして、電話が鳴った。 よく乾いたマグカップにインスタントのスープの粉をあけ、煮え立つ湯を注いでスプーンでかき回す。 十秒。 スプーンにこびりつく粉はなく、角張りのないかたちのカップの隅に溶け残る粉もないだろう。 あと一分以上経過するのを待てば、とろりとしたポタージュスープが仕上がる。 ちょっと高めのスープの素は、パッケージに従順に作る限り、とても旨い。 カップを座卓へと運び、ソファの上で着信音を響かせ続ける電話を手に取る。 母親からの着信を受けながらソファに身を預けた。 「もしもし?」 地元で民生児童委員を務めている母親が、興奮冷めやらぬようすで言うことには。 実家の近所で、いわゆる「貴金属の押し買い」があったそうだ。 母親の口に上った、被害者である独居老人の家は、おれも子供の頃に何度か訪ねたことがある。 だいたいは「近所の一人暮らしのお年寄りを学校行事に招待しよう」という取り組みのもと、学校で手作りした招待状を届けるために。 一度だけ家のなかまで入ったのは、近所に住んでいた同級生の女の子――田舎で、同じ集落に暮らす歳の近い子はその子だけだったから、小学生の頃、他の友達と約束を取りつけられない時はいつもその子と遊んでいた――が、その家のおばあさんに造花の作り方を教わりにゆくというのについていった時。 空でも飛べそうな絨毯や大金持ちの墓標みたいな衝立だとかで目まぐるしい、派手な室内だったと記憶している。 帰りに女の子は指輪をもらっていて、砂場に埋めて宝探しだなんだと遊んだけれど、いまの知識に照合すればたぶんあれは本物の翡翠だっただろう。 一人暮らしのおばあさんだったから、地元の名士という立ち位置ではなく、しかし分限者と呼ばれる家だったのは間違いない。 貴金属の買い取りにやってきた業者に、おばあさんは断りを言ったそうだ。逆上した業者は玄関のサッシのガラスを叩き割って逃亡したのだが、おばあさんの家のそばに見慣れない車があるというタレコミを受けて出かけていた母親――田舎の民生児童委員とは往々にしてそういう役回りなのだ――が、その業者の人間と鉢合わせたのだと言う。 その場からは車は走り去ったものの母親が目撃者として警察に協力したことで、犯人(押し買いに関しては未遂だが、器物破損は既遂である)はその日のうちに逮捕された。 「へえ。すごいじゃん」 「それでね、いまは犯人の、あれ、ポタージュをね。作らないんだって」 「ポタージュ?」 いままさにとろりと完成したカップのなかみをスプーンで掬っては垂らしながら聞き返す。 「最初に来てくれた警察屋さんがねえ、似顔絵を描いてくれて、まあ下手くそなんだけど、でもそっくりなのよね。ほら、昔ハワイで似顔絵描いてもらったじゃない。あれをうんと野暮ったくした感じ」 中学一年の夏休みの家族旅行の話だ。家族と海外に出かけたのは後にも先にもその一度だけ。 スケッチブックを破って筒状に巻いて渡されたそれは、帰宅した時には既に折れてよれてくたびれていたけれど、丁寧に伸ばされて、不釣り合いに立派な額に入れられた。いまも実家の応接室の欄間の上に飾られているはずだ。曾祖父の戦捷記章の證と弟の英検五級を満点合格した時の賞状との間に並んで、両親とおれと弟の、四人分。 描かれた当時は似てないと思ったが、グローバルな基準ではおれの外見の個性ってこんな感じなんだな、と腑に落ちている。小中の頃は濃いまつげとつんとした鼻すじが際立っているかのように言われたものだけれど、日本の田舎町で特別に見えるレベルの鼻やまつげなんか、ハワイの似顔絵描きの目にはてんで問題にならなかったようで、やたら唇だけをぷるぷると巨大に描かれた。 なるほど、警察に似顔絵にされる時はきっとおれはまたあんなくちびるおばけに描かれるのか。 「モンタージュのこと?」 「ああ、そうとも言うの」 「そうとしか言わないと思うけど」 犯人のポタージュ、という母親の言葉を反芻しながら、インスタントのスープをすする。 せっかくのちょっと高いインスタントスープを味わうにはあまりに趣味の悪い状況に、思わず笑いがこぼれた。
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