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<Yさんが入室しました>  思った通り、Nはそこにいた。  私はキーボードをたどたどしく叩く。  Y-まだ起きてたの、もう三時だよ  N-あ、ホントだ。気がつかなかったよ。  チャットルームが流行ったのはもう何年も前だと思う。今はスマホが主流でみんなそっちでソーシャルなネットワークを築いている。私はそんなみんなについていけなかった。でも、きっと誰かとは繋がっていたかったのだろうと思う。もう廃れて利用者もいない、もしかしたら管理者もいないような、チャットルームを見つけてこっそり呟いてみた。  -誰かいますか。私はここにいます。って。  そんな私をみつけたのが”N”だった。  Y-他の人とも話してる?  N-いや、一人だよ。どうしたの?久しぶりだね。  Y-別になんでもないんだけどさ  N-寂しくなったか。  Y-まあそんなとこかな  N-最近、体の調子はどう?少しは慣れた?  Y-あんまりよくないよ、悪くなってる気がする  N-こんな時間にここに来ちゃうしね。悪くなってる気がするって事は確実に悪くなってるよ。  Nはけして適当な励ましを言わなかった。私にはそれが心地よかった。会ったことも名前も性別すら知らないのに、Nには何でも話せるような気がする。Nの一人称は“僕”だけど、そんな事はここでは何の意味も持たない。  Y-タイプングの方はだいぶ上達したでしょ  N-そうだね、だいぶ速くなってきた。でもタイプミスしてるよ。タイプング。  Y-あ、ほんとだ、まだ薬指がうまく動いてくれないんだよね  現代のSNSとチャットは似て非なるものだった。匿名性を重視した時代のチャット空間には、文字とそれを生む心しかいない。  お互いに、相手の姿、表情、声、性別、年齢、肩書き、全てが分からない。この状況が作り出す、本心とも偽りともつかない自分と相手、そして会話。ここに来ると感じるのは、私は常に“自分”という皮を纏って生きているということ。そしてその“自分”は、多くの場合で足枷にしかなっていない、ということだ。  N-病院には行ってないみたいだね。  Y-うん。まだ医療が私の病気を発見していないんだもの、行っても無意味だよ  Nが少し黙った。何か考えているのか、それとも背中でも掻いているのだろうか。Nは文字だけの世界で“間”を絶妙に使う、沈黙も立派な会話の手段だと再認識する。  それだけじゃない、Nのタイピングの速さは驚異的だ。PCと脳がつながっているんじゃないかと思う時がある。まるで会って会話をしているかのように自然で、不思議と表情や声色みたいなものが伝わるのだ。Nは「君の想像力が豊か過ぎるのさ」と言うけど、私はロマンチストとは程遠い。  N-もう、治らないかもね。  Nが沈黙を破る。  Y-かもしれないね、だからってこれとうまく付き合って行こうとも今は思えないな  私の病気には名前がない。診断を受ければ精神疾患とか不眠症とか名前をつけてもらえるだろうけど、そんな病気じゃない。もっと厄介な病魔が私の体に巣食っている、それだけは分かる。強いて言うなら「病名がない病気に罹っている」という不安が原因であり症状であり、病名だ。    その病気のせいで私は人を信用できなくなった。それからもう一年以上経つ。その間、全くと言っていいほど人と会話をしていない。現代社会は便利だ、言葉を発しなくても生きていけるのだから。
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