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 N-実は僕も病気というかハンディを持っているんだ。  Y-え  N-僕は生まれつき音が聞こえないんだ。  私は狼狽えた。チャットでそれが分かるはずもない。  N-Yには僕の声が聞こえていたみたいだね。  確かに聞こえていた。文字を読む時、私は頭の中で音声化している。だから私にはNの声がちゃんと聞こえる。 幼稚園で平仮名を教わった時も、当然のように「あいうえお」と声に出して、音と一緒に覚えた。 それしか文字を覚える方法はないと思い込んでいた。「あ」は声に出した時に「あ」であるから「あ」なのだ。しかしNは違った、Nだけじゃない、もし音が聞こえなかったらどうやって文字を覚えよう。  そんな疑問と、なんて言ったらいいか分からない混乱に手間取っていると、Nは雰囲気を察してか、特に変わりもなく平然と続けた。  N-文字に音があるなんて、僕には想像も出来ないよ、まるで五次元の世界だ。  N-だから形で覚えてたよ。「あ」は「あ」という形だから「あ」なのさ。みんなもそうやってるのかは知らないけどね。  Nの頭の中で、私の声はしていないのだろう、私という“形”がフワフワと踊っているのだ。  N-だから僕には形や色のあるもの全てが言葉と同じなんだ、景色や、風が頬を撫ぜる時も、彼らの言葉が見える。  素敵だ。不謹慎にもそう思ってしまった。Nは形ある全てのものと話が出来る、文字と同じように色や形からも“声”を聞くことが出来るんだ。  N-彼らは嘘をつかない、嘘をつくのはいつでも僕ら人間のほうだ。彼らの言葉はいつもシンプルで綺麗だよ、例えそれが悪口でもね。  そういうとNは笑った。いや、「あはは」とタイピングした。  人はいつもゴチャゴチャと言葉を混ぜる、繕う、嘘をつく。弱さをごまかして相手より優位に立とうとする。私がこの病気に罹ったのもそのせいだ。だから私は一切、人と話すことをやめてしまったんだ。Nはそのことを知っている。  N-でもね  Nがまた沈黙をうまく使う。  N-人が言葉や文字を覚えたのは、嘘をつくためだけじゃないと思うんだ。  Y-じゃあなんのため?  N-相手の気持ちを知るためさ。  Y-きっと人は、相手の気持ちを知った上で嘘をつくのよ  N-もしそうだったとしても、人が人である証明は、相手の気持ちになって考えられる事じゃないかな、たとえ理解し合えないことに気がついてしまっても、人は支えあっている。その現実を見つめることは無駄ではないはずだよ。  Y-Nがそう思いたいだけよ、そんなのは綺麗事よ、人なんてこれっぽっちも信じられない  そう書いて私はハッとした。嘘をついている自分に気が付いたからだ。  N-少しは病気がよくなってきたみたいだね。  ギクリとした。きっとこれはNなりの治療なんだ。  Nには誰の声も聞こえない。だけどちゃんと聞こうとしている。私は誰の声も聞こうとしない、聞こえるのに閉ざしてしまったんだ。  私の“形”がグニャリと変わるイメージがした。  Y-そんなことないゆ  N-またタイピングミスしてるよ。  Y-細かいな、それくらい見逃してよ  Nの嫌味な声がはっきりと聞こえた。  私はイメージの中でNの肩を小突いて、声を出して笑っていた。  Y-でも、ちょっとスッキリしたかも  N-それはよかったね。僕はそろそろ眠るよ。Yも眠れそうかな。  Y-うん  N-よし、じゃあ、おやすみ。  Y-うん、おやすみ  その役割がなくなってしまってから、使うこともなくなっていた言葉。久しぶりに書いた「おやすみ」は声には出さなかったけど、私の中でまるで抱き枕みたいに柔らかくて頼もしい形で浮かんでいた。
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