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13:万事屋・多々良
ジュースを飲んだからと、空祈を公園内のトイレへ連れて行き、他に誰も居なかったのでトイレの前で待ったりせず、二人で女子トイレに入った。
二人でスッキリした後、先に手を洗った七幸が小さい空祈を抱きかかえ、手を洗わせればもう完璧だ。
「それじゃあ、シオンさんのところに、連れてってくれますか?」
「うんっ!」
もう一度、彼と瞳を合わせるために正面へ向き合いしゃがみ込む。コテンと七幸が小首を傾げれば、視線の先に、太陽のような可愛らしい笑顔が広がった。
「えっと……ここ?」
「うんっ、ここ!」
公園を出ておよそ三十分。空祈はとある建物の前で立ち止まった。
足元にいる存在へ向けていた視線を俯いた顔ごと動かし、七幸ははるか上を見上げる。
二人の目の前に鎮座しているのは、人がひっきりなしに行きかう通りに面したビルだ。
ここまで、小さい体躯の空祈に合わせ、えっちらおっちら歩いていたからか、予想以上に時間がかかってしまった。
前に教えてもらったお爺ちゃんの家は、十分とかからず着けたのに、今日はその三倍。
数分ごとに「少し休もうか?」「ジュース飲もっか?」と、七幸は空祈に声をかけて、ここへ来るまでに数回道端で休憩を挟んだ。
公園で話をしたにも関わらず、空祈はまだ話し足りなかったのか、移動中や休憩中も二人でたくさん話をした。
基本は一生懸命話す幼い声に頷くばかりだったものの、休憩中にたった一度だけ七幸から質問を投げかけた時がある。
「公園やお爺ちゃんのお家まで、結構遠いよね。お家の近くに公園とか……遊ぶところはある?」
いつも空祈が、どこからあの公園に来ているのか。
何度も会って、遊んでいるにも関わらず、七幸はまだそれを知らなかった。
公園を出発して、一緒に歩いても時間がかかるんだ。空祈が一人で歩いたら、三十分以上かかってしまうだろう。
そんな遠い遊び場に、彼が毎回来る理由が不思議でならなかった。
すると小さな友達は、一瞬キョトンとした表情を浮かべ、数回パチクリと瞬きをした後、にんまりと笑みを浮かべて七幸を見上げる。
「だって、じーちゃんの家、行きたかったからっ! それに、なゆきと友達になれた」
なんて、ただでさえ上がっている口角をグッと押し上げて笑いながら「僕、すごいでしょ!」と、この子はどこか自慢げだ。
あまりにも可愛らしい反応に、半分衝動でついつい白銀のさらさらな髪に手が伸びてしまう。
勢いまかせにわしゃわしゃと撫でまわせば「きゃーっ」とはしゃぐ声まで聞こえる。
そのはしゃぎっぷりに、七幸の気分も上がった。
(あんまり撫でるのも悪いかな……男の子だし)
けれど、構い過ぎるのもマズいかと、頃合いを見て小さな頭頂部から手をスッと引いていく。
すると何を思ったか、空祈の方から突進する勢いで、その場にしゃがむ七幸に抱きついてきた。
「こ、空祈、くん?」
「なゆきー、もっとナデナデしてー」
グリグリ、グリグリと、腰のあたりに抱き着いたかと思えば、彼は小さな額を押し付けてくる。
その姿は、言葉では上手く言い表せない程に愛くるしかった。
それからしばらく、七幸は、拒否されなかったことを良しとし数分間空祈の頭を撫でまわした。
「空祈くん、シオンさんがいる場所、何階かわかる?」
「えっとねー……三階だよ」
外観を見た限り、誰かが住んでいるというより、仕事場の雰囲気が漂っていて、まさにオフィス街にあるビルに見えた。
ほんの少し前まで、自分も毎日職場に行っていたなと、若干のなつかしさを感じながら、七幸は空祈の手を引き、一階の正面入り口の自動ドアを潜る。
(えっと、三階……三階……ん?)
そのまま入って、キョロキョロと辺りを見回せばすぐのエントランスの壁に掲げられたテナント名の一覧を発見出来た。
空祈の手を放し、「ちょっと待っててね」と言い聞かせ、七幸はテナント名が書かれた壁際へ向かう。
その中から、三階に入っているテナントを探せば、とある文字が目に付いた。
――万事屋・多々良。
(まん、じ、や……たた、ら?)
見慣れない言葉の羅列に、思わず七幸は首を傾げてしまう。
文字の雰囲気から推測するに、自分が以前勤めていたような会社とは違う仕事場なのかもしれない。
他のフロアに入居しているテナント名も一通り見てみれた、明らかに会社名だったり、お店っぽい名前があったりと、誰も入居していないフロアがあったり、多種多様だ。
ここはいわゆる雑居ビルなんて呼ばれる場所か、なんて一人で納得してしまう。
その時、少し離れた所から「あー……」と何かを残念がる幼い声が聞こえた。
声につられて振り向けば、今七幸が居る方向とは正反対の壁際に空祈がたたずんでいる。
上を見上げる彼の後ろ姿と一緒に、複数の郵便受けも目に飛び込んできた。
一つ一つが、テナントごとに分かれているんだなと考えながら近づいて、空祈の横に立った七幸は、膝に手を突いて少し前かがみになった。
「空祈くん、何かあった?」
「なゆき、ごめん……」
「……?」
横から顔を覗き込むように様子をうかがえば、明らかにしょんぼりとした様子の友達が、こちらに向かってペコリと頭を下げてくる。
「しおん……お出かけしてる」
そう言って彼が指差したのは、“万事屋・多々良”のプレートがはめ込まれた郵便受け。
投函口にも、中身を取り出すためにつけられた扉も特に変わった所はない。
「しおんが居る時は、手紙とか上に持ってきてって青い紙が貼ってるの」
でも今は何もないから出掛けてる。
なんて、事情を説明してくれた空祈は、ムスッと頬を膨らませ「なゆきと話出来ないじゃん」と不満げにぼやいていた。
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