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4:不思議な子供
突如、見知らぬ子供に魔法使い認定された七幸は、戸惑いのあまり言葉を失った。
十中八九、目の前にいる子が声をかけたのは自分だ。
見た感じでは、四歳か五歳くらい。幼稚園に通っている頃の男の子。
だけど七幸には、こんな特徴的な子供の知り合いなんていない。一度話したら、百パーセント忘れない容姿の子を前に、頭の中にたくさんの疑問が飛び交う。
(ええっと……魔法使いって、私のこと?)
脳内に浮かんだ疑問の中で、一番割合が大きいものについて考える。
すると男の子は、いつの間にかベンチに座る七幸の目の前へ移動して、キラキラと輝いた瞳で彼女を見上げてきた。
「お姉さん、今言ったよね? お空飛ぶって!」
コテンと首を傾げた子供は、無邪気にもう一度七幸へ声をかけた。
(そ、そうじゃない……っ!)
小さな口から紡がれた言葉に、思わず両肩がビクつく。
七幸の言う“空を飛ぶ”と、男の子が望んでいる“空を飛ぶ”には、天と地ほど差がある。
だけどこの子は、きっとそれをわかっていないのだ。
「ええっと、ね……」
期待を込めた眼差しを、一向に他へ向ける気配のない子供を前に、七幸の戸惑いはどんどん増していく。
幼い彼を傷つけずに誤魔化す方法を、彼女は必死に考えた。
「僕も、お空飛びたいなぁ」
そんな時、これまた無邪気な声が聞こえてくる。
考え込むあまり俯いていた顔を上げれば、男の子はその場でピョンピョンと飛び跳ね、自分なりの飛行訓練をしている真っ最中だった。
なんとも子供らしい行動が微笑ましくて、ついつい七幸の口元が緩む。
目を細めて訓練を見守っていれば、ジャンプを止めた男の子がおもむろに七幸の手をキュっと握りしめた。
「ねぇねぇ、お空飛ぶとこ見せて!」
「……ごめんね。それは出来ないの」
小さな手で、乾燥した手の甲を握られ、七幸はゆるゆると首を横に振った。
そのまま「えー、どうして?」と不満げな彼の瞳を見つめ、今自分に出来る精一杯の嘘を吐く。
「お姉さんがお空を飛ぶことは秘密なの。誰にも見られちゃいけないって、お師匠様と約束してるから……ごめんね?」
まるでそれが事実であるかのように、決して男の子の心が傷つかないように。
七幸は、自分の手に触れる小さな両手をそっと握り直した。
努めて優しい声を出し、ゆっくりと架空の師匠と交わした約束を言い聞かせる。
すると男の子は、最初こそ不満げに口を尖らせたものの「約束なら……仕方ないか」と、渋々ながら納得してくれる。
「お姉さんがお空を飛ぶこと、他の子には秘密、ね?」
「うん!」
シーっと人差し指を立てた手を口元へ持っていき、内緒と言えば、男の子は大きく頷いてくれる。
言動すべてに癒される、まさに癒しの塊のような子供を前にした七幸は、小さく息を吐く。
出逢ったばかりの不思議な男の子。彼と話をしていると、さっきまでどこか淀んでいた気持ちが少しばかり楽になっていくのが分かった。
もっとお話がしたいと言う男の子を、七幸はそっと抱き上げてベンチに座らせた。
その後は、お互いに自己紹介をして、しばらく取り留めもない話を続ける。
男の子の名前は空祈というらしい。
お母さんの居場所を尋ねれば、一人で来たと彼は答えた。
詳しく話を聞くと、家はこの公園の近所らしく、よく遊びに来るのだとか。
空祈はお喋りが大好きな様で、次から次へ話題は尽きない。
七幸は、一生懸命話す彼の言葉に耳を傾け、一つ一つに相槌を打ちながらつかの間の穏やかな時間を心から楽しんだ。
二人が話し込んでからおよそ三十分。
これ以上空祈を引き留めると、彼の母親が心配するかもと思った七幸は、小さな手をとり、彼を自宅まで送っていくことにした。
手を繋いで歩く間も、空祈のお喋りは止まず、笑顔で話す彼につられ、七幸の顔にも終始笑みがこぼれる。
「ここだよ!」
そう言って空祈が立ち止まったのは、公園から五分程歩いたところにある一軒家の前だ。
玄関に表札は無く、周囲に立ち並ぶ家よりほんの少し古めかしい雰囲気の外観を背に、空祈は自慢げな顔をする。
「なゆき、今度は一緒に遊ぼうね!」
「…………」
無事空祈を家まで送り届ければ、そこで七幸の役目は終わりだ。
別れ際、両手をブンブン振りながら「またね」と繰り返す彼の言葉に何も返さず、七幸は小さく手を振り去っていく。
可愛らしく不思議な雰囲気を醸し出す彼との時間を、いつの間にか楽しんでいる自分がいた。
そして、可能ならまた彼と会って話したいと思ってしまう。
仕事を失った今、七幸には空祈と遊ぶ時間はたくさんある。
だけど、気軽に約束をしていいのかわからなかった彼女は、曖昧な笑みを浮かべたまま半ば逃げるようにその場を立ち去った。
歩くたび、どんどん小さくなっていく「またねーっ!」の声を聞きながら。
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