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9:イエスでもノーでもない答え
生まれて初めて、自分と同じ“視える”人に出会えた。
自分を背負って歩く男性との出会いは、七幸が思う何倍、いや何十倍もの感動と興奮を彼女へ与えてくれた。
「私は、多分生まれた時から、見えていたんだと思います――」
すぐそばに居る同士の存在に気付けば、これまで誰にも言えなかった自分の想いを、ぽつりぽつりとこぼしてしまう。
突然もたらされた衝撃は、これまで必要最低限の会話しかしなかった七幸をほんの少しお喋りにしてしまったらしい。
彼女の独り言に、男性は特別何か言葉を返したりしなかった。
相づちすらしてこない。だけど、自分の過去について語る言葉を止めたり、嫌がる素振りは一切見せず、移動の間、七幸が一方的にお喋りをする時間が続く。
(この人は……私と、同じ……)
自分を背負う男性へ芽生えた仲間意識。それは、話せば話すほど、七幸の心に、深く根を下ろし、しっかりと根付いていった。
「本当に、ありがとうございました」
途中で何度も「もう平気だから」と主張したものの、結局自宅アパートの前まで送られてしまった。
アパートの敷地脇の道端に下ろしてもらうと、七幸はしっかり自分の足でアスファルトを踏みしめ、力の入り具合を確認する。
ちゃんと自分の足で立てていることにホッとしながら、改めて名前すら知らない男性へ向き直り、深々と頭を下げた。
「気にするな……どうせ、仕事終わりだ」
すると、しばらくぶりの低音が頭の上から聞こえ、ノロノロと下げたばかりの顔を上げる。
相変わらず、サングラスのせいで彼の目元が見えずらい。そのせいで、表情から読み取れる感情の判断基準を消されてしまう。
出会ったばかりの彼が、何を思い、何を考えているのか。それを理解するには、彼の言葉と口元の微妙な変化を読み取るしかない。
それなのに、淡々と返事をする声同様、彼の口角は、上りも下がりもせず、七幸はなんと言葉を続けて良いか迷ってしまう。
(お礼はきちんと言ったし……ここで別れても大丈夫、かな? もっとしっかりお礼をするために、家に上がってお茶でも飲んでもらう?)
もう少しお礼の気持ちを行動に移した方がいいのだろうか。
でも、初対面の男性を家へ招くのは少しマズいかもしれない。
なんてことを思い始めた時。
「……お前は」
移動中、ずっと静かだった男性が、しばらくぶりに自分から口を開き、七幸へ話しかけてきた。
「お前は……妖怪が嫌いか?」
「よう、かい?」
「先程のようなモノたちのことだ。お前が、散々話していたじゃないか」
耳慣れない“ヨウカイ”という単語が理解出来ず、思わず首を傾げる。
すると男性は、ついさっき二人の前にあらわれたモノや、七幸が道すがら話した思い出話に出てくるバケモノたちが、妖怪と呼ばれる存在ということを彼は教えてくれた。
人間ではないモノの認識はしていた。だけど、それらが何と呼ばれているかなんて考えたこともない。
初めての知識を一つ吸収出来たことに、七幸は小さな感動を覚える。
そして、改めて自分へ投げかけられた問いかけに向き合い、気づいてしまった。
「…………」
イエスとノー。二分の一でしかない答えを、すぐに返せない自分に。
小さいころから、何度も怖い思いをしてきた。だけど同時に、七幸の中にある想いも過る。
そんな時――。
「プ、プププッ」
「……へっ?」
人間のものとは到底思えない、なんとも可愛らしい声が足元から聞こえてきた。
突然のことに驚いた七幸が慌てて下を向けば、自分の足元をクルクルと走り回る小さな物体を見つける。
一体何だろうと気になって、おもむろにその場にしゃがみ込むと、小さなそれは彼女の目の前で走るのを止め体勢を変える。
やわらかく黄みがかった薄い緑――浅緑色のふさふさした体毛を風になびかせる。動物のように四足歩行などしない、つぶらな漆黒の瞳が可愛らしい毛玉がそこに居た。
一瞬、記憶の中にあるどの動物とも合致しない存在に驚いたものの、七幸はすぐ目の前にいる毛玉を男性の言う“妖怪”だと認識した。
「どうしたの? どこか、行きたい場所があるの?」
「ププー?」
あまりの愛くるしい姿に、つい声をかけてしまう。
七幸が首を傾げると、浅緑の毛玉もその動きを真似るように同じ方向へキョトンと身体全体を傾ける。
可愛すぎるその仕草は、ほんの少しハムスターに似ているかもしれない。
ついさっき自分を襲ってきた妖怪とは大違いだと、小さく笑った七幸は、ふと思い出した様子で、肩にかけていたバッグの中から目当てのものを取り出す。
「あっ……」
カサリと手に取ったそれは、空祈にあげようと持ってきたクッキーだ。
だけど、綺麗に焼き上がったはずのクッキーは袋の中で無惨にも砕けていた。
(そうか、あの時に……)
一体いつの間にと疑問を抱いた七幸の脳裏に、ついさっき妖怪に追いかけられた時の記憶が蘇る。
あの時、腰を抜かして尻もちをついてしまった。
その時に、七幸は気づかなかったが彼女の肩からバッグがずり落ちていたのだ。
きっと地面に衝突したせいで、砕けてしまったのだろう。
(でも、このくらいの大きさの方が……)
頭の中に浮かんだ疑問を自己解決した七幸は、小さく頷くと袋につけたリボンを解いていく。
そして、中から小さなサイズに割れたクッキーを取り出し、自分の手のひらへ乗せ、毛玉の前へ差し出した。
「これ、私が焼いたクッキーなの。でも、さっき転んで割れちゃったから……良かったら食べて? 形は変わっちゃったけど、美味しいと思うし。あなたには、このくらいの方が食べやすいでしょう?」
「ププ……ッ」
久しぶりに味わった恐怖心を、その愛くるしさで癒してくれたお礼に。
そんな気持ちが、つい毛玉へクッキーを分け与えてしまった。
毛玉は、差し出された手に乗った食べ物と、七幸の顔を何度も見比べ、少しずつ彼女の方へ近づき、クンクンとクッキーの匂いを嗅ぎだす。
しばらくして、ほのかに香る甘い匂いに好奇心を刺激されたのか、毛に覆われた浅緑色の小さな両手を伸ばし、甘い欠片を掴む。
「……ッ、ププッ! プププッ!」
最後にもう一度匂いを確認して、パクリと一口頬張った瞬間、つぶらな瞳を見開き、次の瞬間には興奮した様子でピョンピョンとその場で飛び跳ねる。
どうやらお気に召したらしい。
美味しいよ、美味しいよ。なにこれ? なにこれ?
そんな毛玉の音無き声が聞こえてきそうな喜びっぷりに、思わず七幸の頬が緩む。
「妖怪と遭遇するのは……もちろん、怖いです。だけど……この子みたいに害の無い子や、優しい妖怪が居ることも、知っているから。だから……出会ったモノすべてを憎むことは出来ません」
モシャモシャと、美味しそうにクッキーを頬張る毛玉を見つめたまま、時折嬉しげに口角を上げながら、七幸は自分の心にストンと降りてきた“答え”を口にする。
そんな彼女の声など聞かず、口の中が空になった毛玉は「もっとそれちょうだい!」とばかりに、七幸の指先をペシペシと小さな手で叩いて次を催促する。
おねだりの姿まで可愛くて、ついつい七幸は新しいクッキーを袋から取り出す。
「……そうか」
二枚目のクッキー片を貰い、キラキラと瞳を輝かせる毛玉を眺める七幸。
毛玉がパクッと欠片にかぶりつくのと同時に、頭上から男性の声が聞こえた。
その声につられて顔を上げると、彼は既に目の前から居なくなっていた。
ジーっと前方を見つめれば、少し先の方で小さくなっていくスーツを着た背中が見えた気がした。
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