4人が本棚に入れています
本棚に追加
1:突然すぎるクビ宣告
年度末の仕事に追われる三月。
晴れ渡った青空が窓の外に広がっているにも関わらず、七幸の心は雨模様だった。
「も、申し訳ありません……もう一度、言っていただけますか?」
「来月から新年度になるにあたって、少々人員整理をしようと思っているんだ」
いつもと同じ時間に出社し、今日も一日仕事を頑張ろうとした矢先に「少しいいかな?」と社長室に呼び出された。
何事かと思い、平社員の自分が滅多に入室する機会の無い社長室へ足を踏み入れたのは数分前のこと。
入社して一年、呼び出しを喰らうような失敗をした記憶は無いはずなのに。
そんな戦々恐々するしかない七幸に突きつけられたのは、人員整理と言う名の解雇通告だった。
「失礼します」
扉の前でお辞儀をし、七幸は、急に重く感じるようになった脚を引きずりながら退室した。
しっかり扉が閉まったことを確認し、自分のデスクがある仕事場へ戻ろうと、そのまま歩き出す。
大学在学中、就職活動を地道に繰り返し、何社も落ちてようやくたどり着いた仕事先は、中小企業の事務員だった。
大学を卒業してから一年、遅刻や欠勤など一切せず真面目に働いてきた。
それにも関わらず、彼女――仁科七幸は、三月いっぱいでの解雇を言い渡された。
有名企業の下請け会社と言っても、近年の不況の波には勝てず社員を減らすらしい。
その筆頭にあがった名前が、どうやら七幸の様だ。
「君はまだ若い。次の仕事もすぐに見つかるだろう」
そう言って、社長は申し訳なさそうに「すまないね」と眉を下げていた。
そんな姿を前にした状況で、嫌だと抗議する勇気など持っていない彼女に、黙って頷く以外の選択肢はない。
(そう言えば……有給を消化しなきゃいけないんだった。どうしよう……)
重い足取りのまま、ノロノロと廊下を歩きながら、七幸は自分の今後について考える。
三月いっぱいまでここに籍を置けると言っても、四月に入ってすぐ次の仕事が見つかるわけじゃない。
使っていなかった有給を消化することを平行して、次の職探しをした方がいいかもしれない。
なんて思いをぼんやり抱く七幸の耳に、すぐそばの休憩室から漏れ聞こえる笑い声が届いた。
「ねえ、本当なの? 疫病神ちゃんがついに辞めてくれるって?」
「本当だって! さっき社長室に呼ばれて出ていったもん!」
(……えっ?)
扉の向こうから聞こえた“社長室”という単語に、思わず足が止まる。
驚いて後ろを振り向けば、周囲に人の気配は無く、視線の先にあるのはわずかにドアが開いたままの休憩室だけ。
休憩室から聞こえてくる複数の甲高い声に気づいた時、内心「仕事しなくていいのかな?」と不安を感じずにはいられなかった。
だけど、社員の中で一番下っ端な自分が先輩に注意なんて出来る訳も無い。
ここは大人しく目を瞑るのが得策だ。
そう自分に言い聞かせた七幸は、心に小さなモヤモヤを抱いたまま、扉一枚で隔てた向こう側でお喋りに勤しむ先輩たちのそばを通り過ぎたはず。
なのに、続けて聞こえてきた声に、思わず足を止めてしまった。
「疫病神さんって、暗いし、基本無口だし、何考えてるのか、さっぱりわかんないよね」
「そうそう、一応仕事はきちんとしてくれてるけど……愛想笑いの一つも出来ないのはダメだわ」
「疫病神ちゃんが関わった仕事、不思議と結果いまいちになることが多いらしいよ。だから社長も、これ以上は無理だってクビにするんだってさ」
「あんな子、いない方が会社のためだよね」
女性たちはケラケラと笑いながら、すっかりお喋りに夢中になっていた。
すぐそばに噂の中心人物がいることも、驚きのあまり唖然として立ち尽くしているとも知らない彼女たちの言葉は、容赦なく七幸の心へ言葉の刃を突き立てる。
「わ、たし……」
――疫病神って思われてたんだ。
自分の名前、仁科七幸の文字は誰も口にしていなかった。
だけど、彼女たちが自分について陰口を叩いていることは、すぐ理解出来る。
朝一番で社長室に呼ばれた人間なんて、自分しかいない。
社長は人員整理なんて最もらしい理由を言っていたけれど、つい数分前に聞いたばかりの言葉すべてが言い訳だったのだろうと今は思う。
本当の解雇理由は、厄介払い――まさに会社にとっての疫病神を追い出そうとしているのだから。
「……っ」
力なく両脇で揺れていた腕が震える。そのまま全身へ広がった震えは、七幸の思考をも乱し、彼女を絶望へ叩き落していく。
頭の中にゆっくり霧がかかり、次第に何も考えられず真っ白になっていくなかで、音も無く頬を伝う雫の感触だけは、やけにはっきりと感じ取れた。
最初のコメントを投稿しよう!