横濱浪漫話

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母はずっと赤ん坊だった私に付きっ切りで、兄のことは目にも入らなかったらしい。幼かった兄にとって急に母親を奪われたことは堪え難い寂しさであっただろう。 しかし母がいくら頑張ろうと無駄なことだった。 私が生まれて初めて口にした言葉は「おかあさん」ではなく、呪われたあの人の名前「まどか」だった。 母は抱いていた私をそのまま床に落とし、それ以来私を抱き上げることはなかったと言う。今でも母は心を病んでいて、一日の殆どを布団の上で過ごし、時折うわ言のように「ごめんなさい」と謝るそうだ。 私は年に数回しか母と顔を合わせない。それもちゃんと会うわけではなく、遠くから私が母を見るだけだ。 幼い頃母は私を見ると発狂し泣け叫んだ。お前なんか産むんじゃなかったと言って、化け物を見る目で私を見た。だから私は母を見かけても話しかけたりはしない。 「もうすぐ18になるんだろう?いつお前が死ぬのか本当に楽しみだよ」 兄の言葉にタキ子さんは「いくらなんでもそれは」と言って身を乗り出した。私はそんな彼女を右手で制止すると深呼吸をして背筋を伸ばし兄の顔を見上げた。 「私が死ねば、父も母も兄さんも幸せになれるんですよね?」 「…当たり前だ。お前は高屋敷に不幸をもたらす子なんだからな」 兄は低い声でそう言い放つと私を睨みつけ、そのまま背を向けて女学生の輪の中に再び戻っていった。すぐに楽しそうな笑い声が聞こえた後、女学生達は私のいる小屋を横目で見ながら何かコソコソと耳打ちをする。私はその様子がいたたまれなくて、空いていた窓の戸を閉めた。窓が締め切られた小屋の中は昼間だというのに暗く重い空気が漂った。 「雲雀様…」 後ろからタキ子さんが心配げな声で私の名前を呼んだが私は「一人にして」と言ったまま背中を丸めてうずくまった。 タキ子さんはそれ以上何も言わずそっと小屋から出て行った。彼女が居なくなると同時に胸元から熱い何かが込み上げて、両方の目から涙が零れ落ちた。
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