横濱浪漫話

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夕方は通りも人通りが増え、道は混み、中々道の先が見えない。学生や夕食の買い出しをする主婦達の波をくぐりながら私はキョロキョロと首を左右に振ることしかできなかった。 もしかしたらもう夕方で店じまいしてしまったのかもしれない。そんな不安を胸に抱えもしたが、ふと通りすがった男性が小さな袋に入った金魚を片手に持っている事に気がついた。思わず男性の腕を掴むと、彼は驚いた顔でこちらに振り返った。 「す、すいません、いきなり…あの、その金魚どこで買いましたか?」 「金魚?あぁ、裏手の寺の前に屋台が出てたよ」 「ありがとうございます!」 そう言って頭を下げると男性は不思議そうに私のことを見ていたが、構わずに走り出した。裏手の寺の前。私はその言葉を頭の中で繰り返しながら走っていると急に足首が痛み出した。それでも私は立ち止まれなかった。何故だかわからないが、ここで立ち止まってしまえば、もう二度と歩き出せないような気がしたのだ。 息を切らして寺の近くに向かうと、赤い提灯(ちょうちん)の光が目に入った。小さな屋台にかけられているそれには黒い墨で「金魚屋」と書かれている。店の周りには人はおらず、その場所だけやけにしんと静まりかえっている。ゆっくりとその屋台に近づくとなんだか空気が張り詰めていくように感じた。 古びた小さな屋台の屋根の下には小さな水槽がいくつか並べられていて、金魚が自由に泳ぎ回っている。恐る恐る屋台の中をのぞくと椅子に座っている男と目が合った。 男は着物姿で赤い羽織を肩にかけ、気だるそうに煙草をふかしている。そしてタキ子さんが言っていたようにその顔は美しかった。まるでこの世の者とは思えない、妖艶な雰囲気が彼を包んでいる。夕日に照らされて光る男の髪の毛はまるで絹の糸のように黄金(おうごん)に光り輝いていた。
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