横濱浪漫話

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「いらっしゃい」 男は静かな声で私に向かってそう言った。愛想の笑顔もなく、座ったまま私のことを見上げている。何を言っていいのか固まっていると彼はため息交じりに煙草の煙を吐き出し「どの金魚が欲しいんだい?」と言って首を横に傾げた。 「え、えっと…」 そうだ、ここは金魚屋だ。金魚も買わずに呪いを見てくれなんて言ったらこの店主も機嫌を悪くしてしまうかもしれない。私は急いで視線を金魚に向けると、屈んで水槽の中を覗き込んだ。 水槽の中には赤黒様々な金魚がいて、大きさもそれぞれ異なっていた。小さく可愛いものもいれば、大きく背びれの長いものもいる。久しぶりに見た金魚に私は思わず「綺麗」と言葉を零してた。 昔兄が神社の祭りでもらってきた金魚が羨ましくて仕方なかった。私は祭りになんて連れて行ってもらえなかったし、生き物を飼うことも禁止されていた。私が生まれた時、屋敷にいた生き物達が死んでいったのだから禁止されたのは当たり前だ。 猫でも犬でも、いや金魚でもいてくれたらどれだけ自分の寂しさが紛れたことだろう。 兄が金魚を持って帰ってきた三日後、金魚は死んだ。兄は泣きながら雲雀のせいだ、雲雀が呪い殺したんだ、といって騒ぎ立てたが、今思えばそれは兄がちゃんと世話をしなかったせいだろう。持って帰ってきてから三日三晩、同じ小さな袋にいれられたままだったのだから、金魚もさぞ苦しかったことだろう。
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