1030人が本棚に入れています
本棚に追加
「えっ」
一路は、俺の前で頭を下げた。そのまま、顔を上げようとしない。
俺は急いで一路の前に駆け寄った。細い体に手を伸ばすと、一路の肩がわずかに震える。床に、ぽとりと雫が落ちた。
⋯⋯泣いてる?
「いちろ! どうしたの?」
「⋯⋯仕事なのに、公私混同しすぎるから。だから、ダメなのに」
「ダメって? 俺が、今日ずっと、変な態度取ったから?」
俺はぎゅっと、一路を抱きしめた。目の端に溢れる涙を吸い取るように口を寄せた。
俺の態度が悪かったから、一路は料理に集中できなかったんだ。それで泣かせてるなんて、馬鹿なのは俺じゃないか。
一路が俺の胸に頬を擦りつけた。声が切れ切れになる。
「きの⋯⋯、蓮たちへ、お土産⋯⋯買お⋯⋯とフードコート通って⋯⋯。タカくんが、クレープ食べてるの、見た」
「クレープ?」
「⋯⋯手、引いて、クレープ⋯⋯」
「手? あ、花井のクレープ?」
一路が言ってるのは、俺が齧ったチョコアーモンドのことだろうか?
一路がびくりと震えた。はない、と小さく呟くのが聞こえる。一路の髪を撫でれば、さらりと手に馴染んだ。
「花井は中学からの友達で、隣のクラスなんだ」
一路は、腕の中で深く息を吸った。背中を撫でていると、だんだん落ち着いてくるのがわかる。
「⋯⋯ずっと、それが、頭を離れなくて⋯⋯。昨日は、目も合わせないで帰っちゃったし」
「だって、それは。一路が、あいつといたから」
「あいつ?」
一路が腕の中から目を上げた。俺は一路を腕の中に抱きしめたままで言った。
「あの、上司ってやつだよ。一路は何であいつを名前で呼ぶの?」
「えっ? 皓太さんのこと?」
「そう、そいつ」
胸の奥にじりっと嫌な気持ちが湧く。
「皓太さんは、大学の先輩なんだ。うちの両親が車の事故で死んで以来、ずっと相談に乗ってもらってた。『心』での仕事を紹介してくれたのも皓太さんなんだ。『心』は、皓太さんのお父さんが社長なんだよ」
俺は驚いて、何も言えなかった。一路は淡々と話し続ける。
最初のコメントを投稿しよう!